【所感】「職業としての小説家」(村上春樹/新潮文庫)
表題の本を読んで考えたことをつらつらと書いていく。
・小説家とはどういう人たちか?
杜甫という詩人は、まともな手紙が書けなかったらしい。詩なら、どんなことでもいくらでも書けたのに。
小説家というのは、これに近い人種のように思う。
あらすじにされたり、要約されたりするのを拒む「なにか」を書くことができる人。「なにか」をあらすじ化したり、要約したりすることができない人。小説家をそのように定義してみてもおもしろいように思う。
「なにか」を伝えたいと思い、それに10万字が必要ということになったら、伝えたいことを形にするのに半年かかる。そういう非効率な行いを嬉々として行うのが、小説家という人たちの生き方である。
・だれでも小説を書けるか?
村上さんは、多少文才があるならばと限定したうえで、一生に一冊くらいは書けるのではないかと言っている。星新一は、だれでも、その人の人生経験をもとに、一、二冊は書けるのではないかと言っていた。
両者が共通して訴えているのは、書き続けることのむずかしさである。
・私たちはどう書くべきか?
村上さんが、アイザック・ディネーセンの次の言葉を引いている。
『私は希望もなく、絶望もなく、毎日ちょっとずつ書きます』(116ページ)
結局、これに尽きるように思う。
ちなみに、村上さんはパンツァー・タイプでプロットは作らないようだ。そちらのほうがおもしろいからとのこと。その代わり、何度も徹底的に書き直すようだ。
趣味で書いている私もパンツァーである。プロットを細かく決めてしまうと、書いている最中楽しくない。趣味なので、楽しくないのは困る。布団にうつ伏せになって泣く。
・オリジナリティ
なにかを足していくのではなく、なにかを引いていくことでオリジナリティを見つけるという方法もある。
・幸運
『しかし幸運というのは、言うなればただの入場券のようなものです』(151ページ)
これは本当にその通りだと思う。
大半の人には、人生において、何らかの幸運が訪れている。しかし、ほとんどの人はそれを活用することができずに、人生を終えていく。
・まず、私が書きたい小説
調和的な世界が構築されている小説を書きたい。現実社会からのシェルターになるような小説。現実をひと時でも忘れる物語。
・不必要なキャラクター
小説を前に進めてくれないキャラクターは必要がないのかもしれない。
・結局、そういうこと
『欠陥のある人間が欠陥のある小説を書いているんだから、まあなんと言われても仕方あるまい』(233ページ)と達観している村上さんですら、文章を書いていく中で、散々嫌な目に会っている。『ですからいきおい、「なんでもいいや。どうせひどいことを言われるのなら、とにかく自分の書きたいものを書きたいように書いていこうぜ」ということになります』(208ページ)。これが現実である。
であるから、とくにアマチュアの我々は、村上さんの至言に従って、創作活動を行うのがよいと思う。
誤字脱字があろうが、文章のルールが守られていなかろうが、他人に迷惑を書けない範囲で好きなように書けばいいのである。結果さえ求めなければ、それでよいと思う。
・大人
『判断は本当にそれが必要になる時まで保留しておきます』(250ページ)
これが大人の考えというものだと思う。何でも片付けたがるのは、逆に子供であろう。
保留にしておくべき、優先順位の低いことの判断について、みなが囚われているように見えるときがある。
アオギリズム Ⅲ 青切 @aogiri
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