第4話 いつかきっと

 ジェットコースターの稼働音に混じって、子どもの甲高い歓声が響く。とことことこ、と短いコンパスで走り出した幼い弟を見て、父が慌てて走り出した。齢五十近い父。普段体力勝負の仕事をしていても、幼い子どもの瞬発力には追いつけなくて、遊園地に着いて早速息を上げていた。

 先が思いやられるなぁ、と純はため息を吐いて頭上を見上げる。ようやく緩んできた寒さ。春の気配を滲ませた陽光を背景に、観覧車が回っている。

 あれから。

 共感し合った二人は、たまにこの遊園地を訪れては、観覧車を見上げながら共に過ごすようになった。が、それもすぐに大学受験に追われて、半年とは続かなかった。あとりは塾の受講を増やし、純は家に帰って弟の面倒を見ながら自宅学習に励み――そうしているうちに、登校も週に一度になってしまって、顔合わせの機会などなくなってしまった。


 純は、悩みつつも希望を変えることなく、志望校に合格した。卒業式を終え、大学入学までの日数を数えている現在は、引っ越しもなにもない。

 そして今日は、その暇な時間を利用して、家族とこうして遊園地に来ていた。純の卒業祝い兼合格祝い――なんていうのは建前で、弟がレジャー施設に連れていけるだけの年齢になり、純も受験から解放されたから、家族で遊びに行きましょう、なんていうもの。つまりはまあ、弟のためだ。

 でもまあ、この歳になって家族で遊園地なんて、そうでもなければ普通は来ないだろう。自分でも意外なことに、その計画には抵抗なく、こうして現地についても気分は悪くない。


「純、なにから行く?」


 ゲートの前で、弟の脇の下を持ち抱え上げながら振り向く父。遊び好きの父は、たぶん早く娘と絶叫マシンに乗りたくてたまらないのだ。二歳三か月の弟は当然乗れないし、母は乗り物酔いが凄いので、絶叫系は問題外。純しか父に付き合えない。


「清は?」


 自分の答えを有耶無耶にして、純は母を振り返った。弟の意見を尊重したいところだが、遊園地デビューの本人に尋ねたところで分かるはずもない。となれば、決定権は母にある。


「とりあえずメリーゴーランドの馬車にでも乗っているから、純はお父さんと行ってくれば」


 純は曖昧な表情で笑った。確かに絶叫マシンに付き合えるのは、純だけだ。ただし、純も好きだとは言っていない。

 ――でもまあ、親孝行だと思って。

 結局家族は二手に分かれた。


 家族間で合流したり別れたりを繰り返しながら一日を楽しんで、夕方。

 くたびれて眠い目を擦る弟を抱えながら、純たち一家は観覧車の前を通り過ぎる。雲ひとつない見事な快晴、絶景への期待からか、観覧車の搭乗口には家族連れや恋人たちの行列ができていた。

 純はなんとなく横目でその行列を眺める。


「乗りたかった? 観覧車」


 重そうに弟を抱えた母が、振り返る。抱っこは母さんじゃないと嫌、と我儘を言うものだから、母親も大変だ。


「いいよ。別に」


 今更観覧車ではしゃぐ年齢でもなし。行列に並ぶのも億劫だ。

 ただ、現在の自分は、家族とあの狭いゴンドラに乗れるのだろうか、とは考えてみはしたけれども。

 答えは出なかった。きっとうるさいだろうな、とは思う。元気が有り余る弟は声が大きいから。


 帰り道へと視線を戻しかけて。広場の隅に、観覧車を仰ぎ見る人物がいた。

 眼前になにかを翳している様子に、まさか、と身構えたのも束の間、それがスマートフォンであることが判明し、安堵のため息を漏らした。

 ――あとりがこの場所にいるはずがない。


 純と同じく、志望校に合格したあとり。その大学は他県にあるということだから、彼女は引っ越しの準備に勤しんでいるはずだ。下宿先を探すのに父がうるさい、とついこの間も愚痴メッセージが届いていたのだから。


 純も、あとりも、家族と観覧車に乗る機会はまだ当分なさそうだ。

 でも、もしそのときが訪れたら、きっとなんの躊躇いもなく、あの小さな箱に乗るのだろう。

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頭上で回るは観覧車 森陰五十鈴 @morisuzu

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