この火事は誰かのせい

本田余暇

この火事は誰かのせい

 夏の暑さが色濃く残る秋の日の深夜、僕は残暑だけでは説明のつかない熱さを左頬に感じて、布団から飛び起きた。クーラーから出る人工的な冷気が苦手なため、エアコンの電源を入れてなかったことを加味してもさすがに暑すぎる。なんだろう、と思い寝ぼけ眼を擦りながら左側を向くと、ゴミ箱から真っ赤な火柱が立ち上っていた。


 慌てて薄手の毛布を被せてみたけど、その毛布に炎が燃え移り、事態はより悪い方向へ向かってしまった。

 なんてことをしてしまったんだと呆然と立ちすくむ一方で、こんな非常事態では誰だって正常な判断は下せないだろうし燃え広がってしまったのは僕の責任じゃないよと、冷ややかに炎を眺めている自分がどこかにいた。

 昔から切羽詰まった状況に陥ると、思考が極端に鈍くなって物事を人ごとのように傍観してしまうという癖があった。しかし僕の思考回路とは無関係に炎は着実に広がっており、最悪の場合命を落としかねない問題が差し迫っている。ここまで炎が大きくなってしまったら、消火器もなしに僕だけで消火をすることは不可能だろう。

 急いでこの部屋を出て消防車を呼ぶしかないと考えた僕は、半年前の事故で動かなくなった足を引き摺って、電話のある隣の部屋へ移動しようとした。


 その時、悪い予感が僕の頭をよぎる。もしこのまま消防車を呼んでしまったら、出火元を調べられたときに間違いなく僕が起こした火事だと思われる。家族にこっぴどく怒られるだけならまだましだが、未成年なのに喫煙の習慣があることまで世間に暴かれてしまうかもしれない。

 もしそうなれば、僕の自尊心は粉々に砕けるだろう。


 昨日のことを想い返す。僕は間違いなくタバコを吸っていなかった。一昨日はこの部屋でタバコを吸ったけど、そのときはガスライターが壊れたせいで一本しか吸えなかった。

 一昨日の火が今日まで燻っていたことはありえないし、間違いなくこの火事は僕の責任ではない。しかし、このまま部屋が燃え尽きてしまった頃には、出火の原因が僕でないことを証明することは不可能ではないだろうか。

 タバコそのものに関しては、昨日の夕方の時点で19本、外観からはそれと分からないようなシガレットケースに入れて身に着けている分以外は一切保有していない。が、昨日か一昨日か、ゴミ箱に火のつかなくなったガスライターを捨ててしまったような気がする。さすがに、それが燃え跡から発見されれば、僕がタバコを吸っていたことを疑われるだろう。

 まだ部屋全体に火が回るまで時間がある。僕は僕の保身のために、同じ部屋で寝ていた、佐久間拓と掛布祐子を叩き起こした。彼らと僕以外にタバコを吸う人は、この部屋にはいなかった。


「うるさいわね、今何時よ」

 掛布祐子が最初に目を覚ました。状況が理解できていないようなので、僕は炎に向かって指をさす。その先を確認した掛布祐子は、キャーと耳障りな甲高い声で悲鳴を上げた。

「何なんです…うわー!!」

 掛布祐子の悲鳴で目を覚ましたのか、佐久間拓は目覚めるなり情けない声で驚いた。

「君たちのどちらか、昨日の夜タバコを吸っただろう。それが今こうやって燃えているんだ」

 僕は二人を問い詰めたが、彼らは返事をしなかった。

「何とか言ったらどうなんだ?」とさらに畳みかけると、掛布祐子は反論してきた。

「あんたが原因の可能性はないの?」

「僕は違う。間違いなく僕は昨日タバコを吸っていない」

 掛布祐子は僕の言葉に納得したのか、口をつぐんだ。

「僕も違うぞ。昨日は吸わなかった」と佐久間拓も声を上げる。

「私も違うから、つまり私か佐久間、どちらかが嘘をついていることになるわね」

 炎は床の間に燃え広がった。恐らくそれなりの値段が付くであろう掛け軸が炭化していく。

 僕たちにはあまり時間が無かったけど、どちらがタバコを吸っていたのか、手掛かりとなるものはまだ見つかってはいない。


 僕は昨日の夕方のことを思い出そうとした。いつものように、僕は部屋の前の廊下に母親が運んできた食事を食べた。内容は鰤の照り焼きと野菜炒め、ご飯とみそ汁だったけど、今回の事とは無関係だろう。昨日、一昨日と殆どタバコを吸っていなかったせいか、食事がいつもより少し美味しく感じた。

 晩御飯を食べ終えた僕は、食べかすが少し残る食器を廊下に戻し、ふすまを閉めた。僕を見るときの母親の、ものすごい気味が悪いものを見た時のような表情の上から無理やり張り付けた笑顔は見たくなかった。

 その後オンラインゲームを数時間プレイしてから、明日の朝、ニュース番組に好きなアイドルが出てくるということを思い出して、珍しくその日のうちに寝た。

 思い返してみても、特筆するべきことのない、一般的な引きこもりの一日だった。


 壁掛け時計は、午前0時30分を示していた。僕は何か矛盾点が出ることを期待して、昨日の夜のことについて二人に聞いてみる。

「布団に入る前、あるいは入ってからのことで何か気になったことはないか?」

 掛布祐子が、少し考えてから口を開く。

「そういえば、寝る直前に赤い光が見えたような気がしたわ」

 赤い光。タバコの火だろうかと考えていると、佐久間拓が調子づいて発言する。

「ほら、それはタバコの火に違いないでしょう。やっぱり貴女がちゃんと火を消してなかったんだ」

「でもその光とは限らないし…」

 掛布祐子の語気が萎んでいく。

「でも僕はそんな光見ませんでしたよ。僕が貴女より先に寝て、そのあと貴女がタバコを吸い、ゴミ箱にでも放ったんでしょう。火を消さずにね」

 佐久間拓が勝ち誇ったような顔で解説するのを聞いて、僕は一つの疑問が浮かんだ。自分はタバコを吸っていないと発言した人物が、タバコの火を見たことを正直に告白するだろうか?

 炎は敷布団を包み込み、さらに勢いを増す。火事の死因としては、炎による焼死よりも、不完全燃焼により発生したガスによる死亡の方が多いという、中学の防災訓練で聞いた話が頭をよぎる。見た目よりもタイムリミットは近いだろう。僕たちは、結論を急がなくてはならない。

 

 僕は燃えていく敷布団の傍らに、炎に包まれていくスマートフォンを見つけた。普段は寝る前に見ないように、隣の部屋で充電をしているけど、そういえば昨日だけは朝のニュース番組が見たくて目覚ましをかけたことを思い出した。その時、僕の中である考えが閃いた。

 昨日、僕は11時半頃に床に就いた。その少し前にスマートフォンを充電器につなぎ、目覚まし時計をセットした。確か充電し始めた時は90%くらいだったはずだ。それなら、30分もかからずに充電完了するだろう。つまり、掛布祐子が見たのはスマートフォンの充電ランプの赤い光だ。佐久間拓は充電が終わってからタバコを吸い、0時以降に眠りについたから、スマートフォンの光に気づかなかったのだ。それに、昨日の時点でゴミ箱は、捨てたタバコの火が見える程満杯になってはいなかったはずだ。


 そのことを二人に急いで説明した。どうやら僕の推理は当たっていたようだ。

「はい、僕がタバコを吸いました。我慢できなくて一本だけ…」

と佐久間拓が白状した。僕と佐久間拓、掛布祐子はタバコを共有しているため、念のためシガレットケースを開いてみると、19本のタバコが並んでいた。つまり、昨日の夕方の時点で恐らく20本のタバコが入っていたのだろう。

「佐久間の事、どうする?」

「佐久間拓には悪いが、処分するしかないだろう」

 掛布祐子の問いに僕は即答する。これだけのことをやらかしたのだから、仕方がないだろう。佐久間拓は俯いたまま動かなかった。

 掛布祐子はまだ火の回っていないタンスを開け、酸化した血がこびりついた金づちを取り出す。彼女はくぎ抜きの側を、佐久間拓に向かって思いっきり振り下ろした。


 走馬灯の類なのか、不意に昔の記憶がよみがえる。小学三年生の思い出。その日も残暑の厳しい秋の日だった。

 温泉につかった夢を見たその朝、夢から覚めたのに股の間がまだ温泉につかっているみたいに生暖かかった。僕はお母さんに知られまいとパンツとパジャマを急いで洗濯籠の奥底に隠したけど、布団はどうしようもなかった。小学三年生にもなって、とお母さんに詰られたときは顔から火を噴きそうなくらい恥ずかしくて、僕がおねしょをしようと思ったわけじゃないのにと叫びたくなった。

 その時、僕は気づいてしまった。僕の意思でおねしょをしていないなら、僕の中にもう一人の僕がいるのではないか。これは僕のせいではない、全てそいつが悪いのだということに。僕は僕の局部に存在するそいつに、山田太郎という名前を付けた。

 当初は、そいつはただそこにいるだけで人格とは言えなかった。しかし、ずっと山田太郎と一緒にいるうちに、いつしか僕はそいつと会話が出来るようになっていた。

 そして僕の人格は数を増していく。リレーのアンカーなのに転んでしまった時は、自らの足に大路海と名付け、彼女が転んだということにした。僕の胃に存在する田月邦彦が弱いから、修学旅行の帰りのバスで昼ご飯を戻してしまったと思い込んだ。そう考えると気持ちが楽だった。

 やがて彼らは僕の意思を離れて思考するようになり、高校に入る頃には僕は立派な多重人格者となっていた。

 右手である掛布祐子や、左手である佐久間拓もそうやって誕生したうちの一人だったと思う。


 掛布祐子が佐久間拓を金づちで殴り続けている間、何故か僕の左手に激痛が走った。この痛みは、半年前アクセルとブレーキを踏み間違えてコンビニに車を突っ込ませたときに、大路海を殺して以来味わっていないものだった。

 それでも、僕には掛布祐子の凶行を止めようという気は一切生じなかった。佐久間拓を殺さなければいけないという意識が痛みを上回り、骨が砕け、筋繊維がぐちゃぐちゃに潰れていく様子に自然と笑みが浮かんでしまう。

 ようやく佐久間拓がピクリとも動かなくなり言葉も発しなくなった頃、僕は自分が失血死する可能性に思い当たる。僕は燃え盛る部屋の布団のそばに這いより、止血するために炎の中に左手を突っ込み、傷口を焼いた。左手は既に神経が麻痺していて、熱さは殆ど感じなかった。そういえば、ライターが壊れていたのに、佐久間拓はどうやってタバコに火をつけたのだろうか。それだけ聞いておけばよかったかもしれない。


 僕の人格のうち、不良品から順に殺していけば、最後に残った僕は完全で完璧な人間となっているだろう。僕は僕が生き延びるために隣の部屋を目指し、畳の上を這いずる。











9月15日 〇〇新聞 夕刊

【××市の邸宅で火災、1人死亡】

 9月15日午前0時半頃、〇〇県××市の母子二人が住む一軒家から出火した。近隣の住民の通報で消防隊員が駆け付けた時には既に半焼していたが、近隣の建物には燃え移らなかった。消火活動後、寝室から加藤信代(45)と思われる遺体が発見された。加藤信代の息子である男性(19)は重度の火傷を負っていたが、命に別状はない。男性はたばこを所持しており、出火の原因は外国製のガスライターであると見られている。また、男性の左腕に鈍器で殴打されたような傷が付けられており、放火犯が別に存在し既に殺害されているという旨の供述を男性がしていることから、傷害事件としても調査が進められている。


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