外伝三・三 魔物

 ある日の朝。

 寮の食堂は丁度腹を空かせた生徒達で賑わっていた。

 焼き立てパンの香ばしい香りが鼻をくすぐる。

 真っ白なお皿の上にはメフィ鶏の卵を使った目玉焼きと、ギンカ豚のベーコンとソーセージが乗っていて、エリウ産のグリーンリーフがフリルのように飾られている。ワンポイントはハーブを乗せてじっくり焼いたトマトだ。カップには温かいベジタブルスープが盛られ、白い湯気をたてている。

 

 ウィリアムは一口大に千切ったパンにバナ牛の乳を加工したクリームを乗せ、口の中に放り込みながら、彼の親友に話しかける。

 

「なぁサム。そう言えば学院の敷地内で魔物が跋扈ばっこしているとミカエル先生が先日言ってたけど、何か情報が入って来てないか?」

 

 大抵こういう場合、ウィリアムが何か良からぬことを考えていると、直感が訴えてくる。そしてそれはほぼ間違いなく的中する。サミュエルは嫌な予感がしてぴくりと反応した。

 

「特には。先生達が対処すると言われていただろう。僕達は勉学に集中すれば良い」

 

 サミュエルがソーセージを齧っていると、ウィリアムは左から耳打ちしてきた。どこか弾んだ囁き声に、折角の美味い肉汁が口の中で一気に冷えてくる。

 

「明日は授業が休みの日だ。折角だから探検してみないか?」

 

「お前な……」

 

「魔物がどんなのか知りたいし、僕達の今の力を実際に試してみたいのさ。実戦でやってみないと分からないことも多いだろうし、これも勉強の一つだと思うんだがなぁ」

 

「……」

 

 ただの屁理屈にしか聞こえないが、彼が言うことも確かに一理ある。それにウィリアムは一度言い出すと中々ひかない性格だ。好奇心旺盛だから魔物を実際に見たいという気持ちもあるだろうが、腕試しをしたいのが本音だろう。こうなると、止める方が難しい。

 

 ――何かあったら自分が手綱を引く役になるしかないか……。

 

 サミュエルはスープを啜りながら腹を括った。

 

 ☆☆☆ 

 

 夜になり、支度を済ませた二人はこっそりと部屋を抜け出した。ウィリアムは柘榴色の鞘の剣、サミュエルは宵藍シャオラン色の鞘の剣を帯びている。真夜中の探検だ。ウィリアムはアネモイ学院に来て初めての違反をすることにどこか背徳の快感があり、心を弾ませていた。

 

 仕入れた情報によると、学院の敷地内に今は使われていない旧宿舎があるらしい。現宿舎は本館共々五年前に新築されたもので、昔は本館と宿舎は別々の建物だったそうだ。それは開学当時の建物で、軽く二百年以上は経っているとのこと。敷地内で一番胡散臭い場所だと噂が立っていた。なにかが現れるとするならきっとそこに違いないだろうと。

 

 その旧宿舎は敷地内で本館・現宿舎から見て西の方角の土地に建っていた。外観は現在のそれと似たゴシック調の西洋洋館だが、何せ大層な年代物だ。見ているだけで蝙蝠の鳴く声が聞こえてきそうである。

 

 ウィリアムが門を開けると軋む音が辺りに響いた。無意識に耳を押さえたくなる嫌な音だ。門の中に入った彼はまず入り口である戸の取っ手に手を掛けてみた。鍵がかかっているのかそれはびくともしない。まず鍵を外すのが先決だ。

 

 ウィリアムは戸に向かい手で戸を開く仕草を二回し、人差し指を二回上にクイクイっと曲げた。するとカチリと音がした。戸の取っ手を試しに引いてみると、何と戸が開いたのだ。途端に隣りにいるサミュエルの表情がみるみる変わる。こちらに白い目をじとりと向けてきた。

 

「……お前……」

 

「……なんだよ。偶然だよ。偶々だってば! まさかこの建物の戸に効くとは思わなかっただけだって」

 

 ウィリアムは親友の訝しむ瞳に対して冷や汗混じりで弁明する。こういう悪戯は自分で勝手に編み出したか、クラスメイトの誰かに聞いたかのどちらかだろうとサミュエルは思った。これは一歩間違えると非道への第一歩である。だが親友は非道に走るような性格ではないことをきちんと理解している彼は、時々気を付ける程度で良かろうと判断した。サミュエルの顔が元に戻ったのを見たウィリアムは安堵した。

  

 一先ず灯りが必要だ。サミュエルが右手の人差し指と親指をパチリと鳴らすと燭台が現れた。灯りを手に二人は先を進む。足元には二人の影がゆらりと伸びている。

 

 旧宿舎内は古びた建物の割に案外綺麗だった。誰かが管理しているのだろうか。思った程埃っぽくない。廊下の壁には昔の英雄の絵画だろうか。お偉方の肖像画やら高名な画家の手によるものと思われる風景画があちらこちらに飾られている。二人は中の部屋を色々見回ったが、特に問題はなさそうだった。

 

「なぁサム。何かあったか?」

 

「いいや。こちらは特にない」

 

「本当にいるのかなぁ魔物」

 

「居ないなら居ないに越したことはなかろう」

 

「ちぇ。つまんないの。面白そうなシチュエーションなのに」

 

 後頭部に両腕をクロスさせつつウィリアムはやや不満げな声を上げる。サミュエルは嘆息をつきつつ先の調査に集中することにした。

 

 ☆☆☆

 

 二人が更に奥に進むと途中、応接室のような部屋があった。その部屋の中から何か異音が聞こえてくる。

 

「……グ……グフゥ……」

 

 こもったような不気味な音だ。何の音だろうとその部屋の戸を開けてみると、何も居なかった。しかし、音は聞こえてくる為二人はそのまま中に入ってみることにした。

 

 蔓草文様からくさもんようをベースとした絵柄であるカーペットの上に革製の大きなソファが、机の周囲をぐるりと回るかのように設置してある。暗くて色は良く分からないのが残念だが、いずれも質の良さそうな物ばかりだ。特に変わったところは見当たらない。

 

 ウィリアムが部屋の端の方にふと目をやると一つの小高い大きな山が見えた。模型かと思い近付いてみると、それは茶色い身体で一つ目を持つ怪物だった。その肉体は立てば天井間近までありそうな図体である。異音の発生源はこの怪物だったのだ。

 

「どうして宿舎内にこんな大きな怪物が居るんだ!? あの戸から出入りするにはどう見ても無理があるぞ!」

 

「ミカエル先生が言われていた魔物って、奴のことか?」

 

 意外な場所での怪物との遭遇に思わず後ずさる二人。

 

「グオォオオオオオ!!」

 

 怪物はのそりと立ち上がり、咆哮を上げた。

 

「こっちに向かってくる。行くぞサム!」

 

「ああ!」

 

 二人は剣を鞘から抜いて構えると、怪物は二人に向かって突進して来た。それにより巻き起こる風に耐えきれず、二人は後ろに飛ばされた。更に室内に置いてあるランプやら調度類が後追いの様に自分達へと向かって弾丸の速さで飛んで来る。

 

「うわあああああああ!!」

 

 辛うじて習得したばかりの守焔術を使い、ウィリアムは衝撃を相殺して持ち堪えた。サミュエルは守光術を使い、身を守りつつ空中停止している。目の前に飛んできたものは自身の剣で払いつつ制御した。

 

 地響きと騒音が止まったと思いきや、後ろの壁には大穴が開いていた。穴からは外が見える。それを見た二人は背中に大いに冷や汗をかいた。この怪物を抑える自信は正直あまりない。しかしこの怪物がこの建物の外に出ることだけは何とか避けねばならない。でないと学園内が大変なことになる。

 

「ウィル。奴を何とか食い止めるんだ」

 

「分かってる。でも一体どうやれば良いんだ?」

 

「思いつく限りやってみよう」

 

「ああ!」

 

 一先ず、壁に開いた穴を何とか塞がねばならない。二人はあれこれ考え、それぞれ思い付く限り修繕の魔法や修復の魔法をかけてみた。だが思うようにいかない。十種類の方法で試してみたが、穴の面積の内五十分の一程度しか修復出来なかった。穴が大き過ぎて大変手間がかかるのだ。サミュエルが美しい眉間にシワを寄せる。

 

「埒が明かないぞ。他に手はないだろうか?」

 

「サム。奴を此処からでられない様に拘束魔法を使うのはどうだ?」

 

「そうだな。やってみよう」

 

 ウィリアムは呪文を唱え、赤い太い鎖の様なものを何本か出現させ、怪物を縛り上げた。サミュエルはそれを見てほぅと歓声を上げる。

 

「この前授業で習った緊縛術の応用か?」

 

「ああ、僕なりにちょっとアレンジを加えてみた。ただの鎖では何か味気ないしな」

 

「屋内では危なくないか?」

 

「見た目燃えていそうだが、見た目だけだ。ただ本当に炎にすると冗談抜きで灰になる。此処では試せない。まだまだ改良が必要な術だ」

 

 ウィリアムは真っ赤な鎖で縛り付けられた怪物が身体をうねらせているのを見ていた。

 

「グオォオオオオオ!!」

 

 怪物が咆哮と共に自分の身体に巻き付いた赤い鎖を千切ってしまう。それを見たウィリアムは苦い顔をした。その隣で怪物が標的を変えたことにサミュエルは気が付き目を見開く。

 

「まだまだ術としては不完全だったようだな」

 

「? 奴はどこに向かう気だ!?」

 

 突然一つ目の怪物は戸の近くに置いてある、蔓のような模様に縁取られた古めかしい大きな鏡に向かって突進し始めた。部屋の高さの半分位の幅がある鏡だ。それでも、怪物の図体に比べると鏡の方が小さい。怪物が一体何をしたいのか良く分からないが、調度品が又一つ破壊されることに違いはなさそうだ。

 

「危ない!!」

 

 怪物が鏡にぶつかり鏡が砕け散ることを二人は想像したが、実際は違った。彼は大きな鏡を頭がするりと通り抜けたと思いきや、その巨体は吸い込まれるように入って行ったのだ。

 

「……!?」

 

 二人は大鏡に近寄ってみた。飾りの付いた極々普通の鏡である。今までいた怪物の存在だけが見事にかき消えていた。

 

「あれ? 魔物は?」

 

「どうやら退散したようだな。下手に深追いする必要はないだろう」

 

「この鏡は……?」

 

 サミュエルが鏡をしげしげと眺める。そして何か思いついたように頷いた。

 

「どうやらこの鏡が鍵だったようだ。怪物が入る前と入った後では色が変わっている。きっと入り口か出口に値するもう一枚の鏡がどこかにあるんじゃないかな。この鏡を出入りするには多分呪文が必要なのだろうが、僕は知らない。しかし、例へ現在使われていない建物とは言え、結界を張って関係者以外の侵入を阻んでいる筈のアネモイ学院がどこかと繋がっているというのは厄介だ。早く先生方に報告しないといけないな」

 

「奴は襲って来たと言うより、単に怯えていただけだったのかもしれんな」

 

 二人がああだこうだと意見を交わしていると、応接室内に蝋燭の光が差し込んできた。 

 

「こら!! そこにいるのは誰だ!! 今何時だと思っている!?」

 

「ヤバい!! 舎監の先生に見つかった!! サム早く宿舎に戻ろう」

 

「だから言わんこっちゃない……」

 

 逃げてもどうにもならないことは分かっていたが、血相を変えた二人はその場を慌てて立ち去るしか方法がなかった。

 

 ☆☆☆

 

 休日明けの朝一番に二人は学院長室に呼び出された。消灯時間の舎監による巡視で、消灯時間以降の無断外出がばれた為だ。彼等は罰として一週間舎監の仕事補佐をすることになった。問題となっている魔物を学園の敷地内から撤退させたのは結果として良かったが、それに伴う被害(器物破損など)を出してしまったこと、指導者不在で危険な目に遭う行動をしたこと、などなど、違反行為を犯したことに変わりないからだ。

 

 しかし、学院長はウィリアムが言っていた「実戦経験を積む機会」については首を縦に振っていた為、全てが無駄骨ではなかったようだ。

 

 ウィリアム達二人の活躍を見て何も思わない生徒は無論居なかった。

 

「ウィル、サム、お前達凄いな! あの怪物を撃退したんだろ? 今度武勇伝を聞かせろよ」

 

「いやいや、あれはマグレだ。単に運が良かっただけだ」

 

「またまたぁ! 勿体ぶらなくても良いのに」

 

「もう消灯時間だ。早くベッドに入れ。続きは明日で良いだろう?」

 

 サミュエルの声が会話を一刀両断した。 

 

「ちぇっ。つれないなぁ。ちょっと位良いじゃないかサム」

 

「悪いが僕とウィルは現在巡視中だ。君達は消灯して寝るのが仕事。ほら、隣の部屋に行くぞウィル」

 

「あいよ」

 

 他の生徒達と戯れようとする親友を止めるサミュエル。渋々部屋から退去するより仕様がないウィリアムだった。親友に迷惑をかけているので、ぐうの音も出ない。

 

「今回の一件で父上と小父上が呼び出されたらしい。まぁ無理もないが」

 

「ひえぇぇぇ……」

 

 ウィリアムがアラスター・ランドルフに大目玉を食らったのは言うまでもない。

 

 ☆☆☆ 

 

 旧宿舎でウィリアム達が見つけたこの鏡、実はラスマン家にもある鏡の片割れだった。サミュエルの読みは見事に当たっていた。そのことが判明するのは彼等が学院を卒業した三年後のこととなる。

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月龍伝説〜外伝〜 蒼河颯人 @hayato_sm

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