外伝三・二 嵐を呼ぶ生徒

 それから数年たったある日のこと。歴史の授業中のことだった。


「こら!ウィリアム・ランドルフ!!」


 今日も女性教員による怒号が教室中に響き渡る。発生源はいつもと同じだ。


「何でしょう?」


 けろりとした顔で目を瞬かせている空色の瞳を見て、沸点が上がりっぱなしの教員の額に青筋が浮かび上がった。


「何でしょう……ではないでしょう! ウィリアム・ランドルフ! 貴方はまた居眠りをしていましたね? 罰としてレポートを十枚。明後日までに提出すること。良いですね?」


「うへぇ……」


「お返事なさい。ウィリアム・ランドルフ」


「……はい」


 ウィリアムはすごすご引き下がった。彼の幼馴染みは隣で大きな溜め息を一つついた。


「……授業を続けます。次のページを開いて下さい。エウロスの歴史のところですね。ではサミュエル・ガルシア。今開いている章から次の章までを読んで下さい」


「はい」


サミュエルは玲瓏たる声で音読を始めた。その後特に騒動は起きず、平和な時間が過ぎて行った。




 職員室に入ると、ハニー・マクスウェルは自分の席に座り、項垂れた。そこへ、二つのマグカップを持った男性教員が現れる。彼女の同僚で攻撃魔術の授業担当のゴードン・ミカエルだ。彼はマグカップの一つを彼女の机の上に置いた。


「どうしたマクスウェル先生。ひょっとして例の生徒がまた何か起こしたのか?」


「そうなんです。彼はどうしていつも問題ばかり起こすのでしょう? 私の授業の時は居眠りするか他の生徒に悪戯したりちょっかいかけたりで落ち着きがない。もう三年生なのに。先が思いやられます」


 ハニー・マクスウェルは礼を言いながら置かれたマグカップに手を伸ばした。マグカップの中身は彼女お気に入りのハーブティーが入っている。白い湯気と共に得も言われぬ芳しい香りが周囲に漂う。一口啜り、ほうと溜め息を一つついた。


「しかし、彼は幼馴染みと聞いているサミュエル・ガルシアとは違った意味で優秀な生徒だそうじゃないか。自由に野に咲き誇る花のように明るく、クラスの人気者だとも聞いている」


「だから尚更なんですよ。規範になってもらわないといけないのに」


ゴードン・ミカエルは彼女を諭すように言った。


「自由気儘で奔放な性格は生まれ持ったものだろう。彼はランドルフ家の嫡男だ。いつかはランドルフ家を担っていかねばならない重圧が待っている。その肩書きのない自由な今の間だけは少し自由にさせてやるのはどうか? 多少のことは目を瞑ってやって……だ」


 ハニー・マクスウェルは眉間を指で揉みながらやれやれと言った表情をしている。


「……分かりました。ミカエル先生は御心が広いですね。ではせめて私の胃が痛まない様に祈ってやって下さい」


 そうこうしている内に予令の鐘がなる。勤務日の時が過ぎるのは早い。

教員達は次の授業の準備に取り掛かった。




 アネモイ学院での授業は基本的に教室内で行われるが、実技授業は屋外の広場の様な鍛錬場にて行われる。座学でも実技でも個人差が出る為、秀でて優秀な者も居るが反対の者も当然居る。この学院では飛び級制度は特に設けておらず、成績が優秀な者はそうでない者を支え、教える指導補佐をする様指示されている。それも将来自分の家で兵達を教育・指導せねばならない立場に立たねばならない生徒達への大切な教育の一環なのだ。ウィリアムとサミュエルは言うまでもなく前者で、早期に他の生徒の指導補佐にあたることが殆どだった。ウィリアムは座学より実技が好きなので、攻撃魔法術の授業をいつも楽しみにしている。


「ウィル。お前また悪戯しただろう。いい加減大人しくしたらどうだ?」


「これからまだ後三年は此処に居ないといけないんだ。息抜きしながらやらないと息が詰まりそうになるよ」


「お前の息抜きはしょっちゅうだろう……」


呆れ顔のサミュエルにウィリアムは言い返した。


 今彼等は攻撃魔術学の一つ“衝撃波”を修得中である。これは誰もが最初に会得する基本的な攻撃技で、有事に役立つ。学院で基礎を学び、その後は各家でアレンジを加えオリジナリティを出しつつ昇華させるのだ。二人共基本の型はもう修得済みで、一足早く応用編に進んでいた。


 ふと振り返ると赤金色の巻き毛を持った、翡翠色の瞳がウィリアムの方を見ている。


「凄いですねウィル、貴方の衝撃波は一段と素晴らしく見えます。僕にも教えて下さい!!」


「良いとも。まずはだな……」


ウィリアムはエドワードに構え方と呪文を教えた。


「ではやってみますね。えい!」


エドワードは真上に手を伸ばし、呪文を唱えた。


「お!?」


緑色の“衝撃波”が蒼天に上がったと思ったら、どう言う訳かくるりと向きを変え、術者に向ってそのまま真っすぐに向かってきた。


「わーーー!!!!」


チュドーン!! と地響きを立て、真っ白な煙幕が上がる。生徒達の間でどよめきが広がった。尻餅をついたウィリアムの傍で、真っ黒になったエドワードが目を回してひっくり返っている。


「大丈夫か二人共!!」


「一人倒れてる生徒がいる。救護室に運ぶんだ」


「きゃぁ! エド!!」


 エドワードと同じ班であるリコリス・ラジアータが血相を変えている。


「おっかしいなぁ」


「ウィル、お前大丈夫か?」


 ザッカリー・デルヴィーニュが声を掛けた。顔は無表情だが、心配してくれているのがその声色で良く分かった。


「僕は大丈夫だ。エドは目を回してるだけだ。大したことはない。考えられる点としては、組む指が僕とは微妙に違った可能性がある」


「やれやれ。エドの奴、好奇心は旺盛だが、彼は伸びるのがゆっくりだからな。君みたいに直ぐ応用技迄一足飛びという訳にはいかぬのだ。今のはどう見ても基礎の型ではない。手加減し給えよ」


 いつもエドワードのことを気に掛けているザッカリーは、眉を若干顰めていた。


「彼は筋は悪くないんだがなぁ……何回か手取り足取りが必要かな」


「ウィル……建物をふっ飛ばすことは流石に止めてくれよ。小父上の雷どころじゃなくなるからな」


彼の親友は冷や汗混じりでウィリアムに忠告した。


「他の者は続けて技の修得に励む様に。私は彼を救護室につれてゆく。サミュエル・ガルシア、私が戻って来るまでみんなを見ていてくれ。ウィリアム・ランドルフはくれぐれも事故を起こさぬ様に」


 ゴードン・ミカエルはそう指示を出し、エドワードを抱えて救護室の中に消えた。



 流石に救護室騒動を起こしてしまった為、ウィリアムは暫くは大人しくしている日々が続いていた。しかし、喉元過ぎれば熱さを忘れてしまうとはよく言ったもので、数日過ぎるとまた再びいつもの彼に戻っていた。


 この数日後、学院の背筋を凍らせる事件が起こる。エドワードを救護室送りにした事件はその一つの予兆に過ぎなかった。

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