第4話 別離「──おれたちは、道具じゃない!」
神祇官は
長官『神祇伯』は東西の伯王家が交代で一人ずつ任にあたる。次官『
この二家の祖・
十二の国が滅び、一つの皇国が興ったのちは『審神者』として『帝』を支えた。この『審神者』がはじきだす神託は、時に『宰相』や『将軍』の言葉よりも重んじられた。
皇子女の籍を神に奉り、各地の社や道院の
この制度は今も残っており、主に更衣腹の男皇子が〝
加茂の
「──わきまえなさい。これは、そなたのためでもある」
沙良はゆっくり顔を覆った。あまりのことに、目眩がした。頷くことさえ、満足にできなかった。
(お公家の子だとはおもっていた)
でも、まさか。
(……藤北家のご嫡男がみずらを結わないで、やんちゃばっかりしているなんて)
けれど、どこかで納得している自分もいた。稚秋はそのあたりの男の子と、同じようで居て、違う。
稚秋と話していると、知識の深さに驚かされる。やんちゃそのものの笑顔を浮かべるくせ、瞳がふっと冷たくなることも知っている。
藤四家が揃っていた時代「藤にあらずんば花にあらず」と謡った藤の貴公子がいたそうだ。
続けて、藤の姫が「藤の栄華は満月の如く、欠けたることもなし」と返した。けれど、その〝月〟はもうかけはじめている。
中央貴族は、長く藤の下にあまんじていた。持ち上げる仕草をしつつ、虎視眈々と『宰相』の座を狙っている者たちを、宮中で多くみかけた。
そういう者たちは、枯れかけた藤に斧を入れることをためらわない。
稚秋の背負うものは、はかり知れない。そして、彼が立つのは薄氷の上だ。
彼のそばで、遊芸人を父に持つ娘がうろついていたら? 藤北家の失脚を画策する者たちからすれば、恰好の的である。
貴族社会では、十歳はもう小さな大人として考えられる。沙良自身も分別のない女子として誹られるだろう。
考えれば考えるほど、とんでもないことだ。
※※※
その光景が目に飛び込んだとき、胸の中がどす黒いものでいっぱいになった。
雪が舞い始めたので、図書室へ向かおうと椿の生け垣を抜けた。その場で、稚秋は息をのんだ。
いつも、稚秋が声をかける丸窓の下。そこに、沙良が背中を向けて立っていた。
彼女の細い肩を支えるようにして、大人の男が傍らに居る。
冷たい風が、三つ編みを揺らす。そこに、粉雪がひとつ、ふたつと舞い落ちて。気付いた男──加茂の大副が袖を広げたその瞬間。
稚秋と加茂の大副の視線が、ぶつかった。大副は表情ひとつ変えなかった。しかし、稚秋の視線から遮るように、広袖で沙良を覆ってしまう。
揺れる黒髪がずいぶん伸び、艶やかさが増していることに気付いて、心臓が音を立てて跳ねた。
「……楓、藤の太郎君にご挨拶を」
大副の声は、淡々としていた。その袖のうちで、沙良の身体がびくりと強張る。
ゆっくり振り返った彼女の唇は、震えていた。浅葱色の瞳には薄く涙の膜がはり、稚秋の心を千々に乱した。
「……沙良」
「どうかその名を、呼ばないで」
鋭利な刃物で、胸をひと突きにされたような気分になった。あるいは、奈落の底にたたきつけられるかのような。
「おねがい、忘れてください」
「ちょっと、待ってくれ。黙ってたのは、おれだ。けど、こんないきなり……」
烈しく渦を巻く激情のまま、稚秋はまくしたてた。沙良が、離れてしまう。遠ざかってしまう。言いようのない焦りで、稚秋はみっともなくうろたえた。
「ごめんなさい」
そう言ったっきり、沙良は口をつぐんだ。震える両手を組み合わせ、俯く。全身で、稚秋を拒絶しているのが伝わってきた。
「楓、もう直曹に帰りなさい」
加茂の大副が沙良の肩を押す。沙良はかすかに頷いて、優美なお辞儀をする。洗練された女官しぐさだった。
「……さ、……楓!」
背を向ける直前、彼女の白い頬を涙が伝う。稚秋はたまらず手を伸ばしたが、加茂の大副が肩を掴んで阻んだ。
そのまま、沙良は奥御殿の方角へと走り去ってしまう。
「追ってどうなさるんです?」
「そんなこと、
稚秋がくってかかると、大副は無表情のままこう尋ねた。
「……藤の太郎君は、姪を
「は?」
頭を岩で殴られたような衝撃のあと、襲ってきたのは強い不快感だった。全身の血の気が下がり、握りしめた拳がぶるぶると震えてしまう。
「なにいって……」
「貴方が元服後もかわらず姪を傍にとお望みであれば、妾として差し上げることもできます。ただし、それはあなたさまが正室を迎えられ、お世継ぎをもうけた後の話です」
「──おれたちは、道具じゃない!」
怒りのままに叫んでも、大副の顔色は変わらない。それがますます腹立たしくて、稚秋は大副の手を乱暴に振りほどいた。
稚秋の癇癪に気分を害した様子もなく、大副が深々と礼をとる。
「昨夏の乞巧奠では姪がご迷惑をおかけしました。……どうぞ今後はお忘れ頂きますよう」
二葉の結び ~うっかり身分違いの恋に落ちてしまいました~ 俤やえの @sakoron
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