星霜

「おかえり」

 と言いながらドアを開けたかがりの顔に向かって、両手を差し出した。

「何……?」

「霜柱。ほら、手を出して」

 びっくりした顔で広げた手にそっと霜柱を乗せる。

「今年初めて見た……!」

「ね。冬になったね」


 少し泥が付いている、五センチ四方ほどの細い氷の柱のかたまりは、かがりの背後から漏れる部屋の灯りに煌めいていた。

「神秘的だよね、土の中の水分が凍る時、こんなに綺麗な氷の柱に姿を変えるなんて」

 霜柱はかがりの体温で少し溶け、手のひらに泥が混ざった雫を広げていた。でもかがりは全く気にせず、微笑みながらしげしげと霜柱を見つめている。


 そういうところが好きだ。

 出会って三年経つ今でも。


 ふと、玄関先で立ったままであることに気づいたらしく、かがりは申し訳なさそうに眉を寄せた。

「ごめんね、聖、寒いよね。部屋に入ろう。霜柱は溶けちゃうけど……」

「ふふ、また感情移入してる。かがりは変わらないね。じゃあ、霜柱さんはベランダに出しておこうか? 夜はずっと氷点下だし、きっと明日の朝まで溶けないよ」

「そうだね」


 暖かな部屋に入り、一緒にベランダに向かう。

 今日もリモートワークだったかがりはモコモコの部屋着を着て、モコモコの靴下にさらにモコモコのスリッパを履いている。光熱費が高くなったからと、日中はこの格好で暖房を我慢して節約しているのだ。

 キッチンの脇を通ると、コンロに置かれた鍋から美味しそうな匂いがした。

 今日は久しぶりに残業もなく業務が終了したからご飯作って待っているね、とLINEが来ていたから、飲み物だけ買って足早に帰る道すがら、公園で霜柱を見つけたのだ。踏もうか、と一瞬考えて、いや、かがりに見せようとそっと掬い上げ、急いで帰った。


「いい匂い。ごはん何?」

「かぼちゃと豚肉の煮物と、玉ねぎのコンソメスープと、実家から届いたゆめぴりか新米炊きたて」

「え! 新米今日届いたの?」

「そう。つやつやだよ」

「最高のメニューだよ。かがりってすっかり料理上手になったよね」

「簡単なやつだけだよ。それより先に霜柱でしょ。溶けちゃう前に早く開けて」

「はいはい」


 背を丸めて霜柱を抱えるかがりが私を軽く睨むから、私も慌ててベランダに続くガラスの引き戸を開けた。

 凍えるような寒気がリビングになだれ込み、ふたりの息が白く浮かぶ。ついさっきまで外を歩いていたのに、まだ私はコートを着たままなのに、ひどく寒く感じた。

 かがりがしゃがみ込み、ベランダの床に宝物のように霜柱を置く。そして立ち上がり断熱用のガラス戸を二枚閉めると、振り向いて私の手を握った。


「ありがとうね。私に霜柱を見せてくれて」


 かがりの会社はコロナ禍になってからリモートワークが主体となり、月に数回しか出社しない。でも仕事の量は変わらず――むしろ物理的に離れている分、減ったコミュニケーションをカバーするためにオンラインの会議や打ち合わせが増え、自分の業務がなかなか進まず、繁忙期も迎えた近頃は家にいながら毎日残業が続いている。

 なかなか会えないからと私たちは今年初めから一緒に住んでいるけれど、中学校教師の私は毎日学校に出るし、土曜日も部活対応で出勤することがが多い。かがりは仕事中は自室から出てこないから、結局はすれ違いの時間が多かった。私が寝ているベッドにようやく仕事を終えて潜り込んでくるかがりの顔に浮かんだ疲れが、最近気になっていた。


「霜柱って時期が限られているから、かがりは見逃しちゃうんじゃないかと思って」

「そうだね、雪が降ったら雪の下で見えなくなっちゃうもんね。……でも、手袋もしないで霜柱持って、すっかり手が冷たくなってるよ」

「大丈夫だよ。すぐそこの公園で見つけたから」

「冷たいよ。寒いの苦手なくせに」


 そう言いながらかがりは私の手をさする。

「あ、ごめん、泥が付いちゃうね」

「ううん、私にも付いてるし、そんなの気にしないよ」

 私もかがりの手を握り返し、そのままどちらからともなく抱き締め合った。

 かがりからは暖かで安心する匂いがした。私たちの家の匂いだ。互いに一人暮らしをしている時は別の匂いだったのに、今はもう混ざり合ってひとつの匂いになっている。


「霜柱、私に見せたかったの?」

「うん。特別な思い出があるから」

「覚えてるの?」

「別れる前にふたりで踏んだよね」

「私は踏みたくないのに、聖は子どもみたいに喜んで踏んだよね」

「かがりは別れてからも、私のアパートまで来て霜柱見て泣いたんだよね?」

「泣いてません~」

「そう? 私はひとりで見てちょっと泣いたな。霜柱にすら感情移入するような優しい人と、なんで別れたんだろうって後悔して」

「――もう、そんなこと聞いたら泣いちゃう……」


 かがりが身じろぎして、目頭を拭った。

 そんな彼女をもう一度抱き締め直す。


「来年も、その先もずっと私がかがりに霜柱を見せるから」

「私、どんどんおばあちゃんになるよ」


 今年で四十になったかがりはますます年齢を気にするようになっていた。


「私だって年を取っていくよ。どんなに年を重ねても、この先何があっても、かがりだけを愛してる。二度と離れない。ずっと一緒にいようね」

「……なんで今日は泣かせるようなこと言うの」

「大事なことはちゃんと言葉にして伝えないとだめだって学んだから」

「泣いたら化粧崩れちゃう。リモートだからたいしてしてないけど」

「えー、そう?」


 私はかがりの顔を覗き込んだ。

 目を赤くして涙をこぼすかがりが私から顔をそらす。


「大丈夫、泣き顔も可愛い。……キスしていい?」

「だめ。手洗い・うがいしてから」

「だよね」


 離れる間際、隙を突いてかがりの額にチュッと口づけた。

 かがりの顔が見る見る赤く染まる。見た目は綺麗な大人のお姉さんだけれど、いつまでも純粋な少女のような可愛らしさが、かがりにはある。


「あー、もう。早く手洗いうがいしてきて」

「かがりも泥が付いたから一緒に洗わなきゃでしょう」


 かがりを引っ張って洗面所へと向かう。コートを脱いだ私の背中にかがりが鼻を押しつけ、冬の匂いがする、と呟いた。

 明日はねぼすけのかがりを無理矢理起こして早朝の散歩に連れ出そうか。

 かがりはきっと寒いとか眠いとか言って不機嫌になるだろうけれど、やっぱりふたりで霜柱を見たいから。

 そうやって、何でも一緒に見ながら年を重ねていきたいから。


(終)

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15-あるいは1000回の嘘 おおきたつぐみ @okitatsugumi

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