ゴーイングマイウェイ



「さあ、憩様朝ですよ!!!」



 イシスと出会った翌日、憩は幼女メイドに叩き起こされた。


 …比喩ではなく、ばしばしとそのまま安眠をむさぼるには不都合な威力で持って、叩いて起こされた。


 無理に起こされたせいか、頭に鈍い痛みを覚えながら体を起こすと、



「おはようございます!憩様!」


「…えぇ、おはやくございます。メイドさん」



 皮肉気に憩はそう挨拶を返すも幼女にその皮肉が届いた様子はない。


 そして童特有の元気いっぱいでキンキンと高い声は頭痛の頭に良く響いた。



「…メイドではなくマリーとお呼びください、何時になったら覚えてくれるんですか、もう!というか憩様ったらもう朝も遅い時間ですよ。城の人は大概みんな起きてます」



 せっかく憩様の専属になれたのに名前すら覚えていただけてないなんて…などとぶつくさ言いつつもカーテンは開き、掛布団は剥ぎ取る等、仕事はしっかりこなしてゆきその優秀さが伺えた。主人が起きるよりも後に出現したうえすぐに窓から外へ主人ごとダイブした誰かさんとは雲泥の差があるだろう。


 もっともその勤勉さが主人に好ましいと思われるかは別の問題ではあるが。


 とはいえ幼女の言うことは正論だ。


 人は普通、夜に寝て朝に起きるものだ。


 しかし、憩はこちらの世界に来てから、いや元の世界においても昼も夜もない生活を送っていた。


 起きれば研究、実験の日々。


 眠くなればあるいは動けなくなれば眠り、また起きればそれを繰り返す。


 時間や日の出、日の入りに縛られることも頼ることもない生活を続けていた。 



「ほら早く起きてください憩様。今日は他の二派の見学に行かれるんでしょう」



 二派の見学。そう昨日この幼女と交わした約束。その一部。


 憩は別に忘れていたわけではない。ただ昨日の今日ですぐに行くとは考えていなかったし、今日に行くとも言ってはいない。


 そもそも見学に行くと言っても行くと知らせを出したわけでもない。いきなりひょいと行っても向こうも困惑するだろう。


 と言うよりか正直、寝直したい。


 よし、いいくるめよう。



「行くと言ってもさきに「いやはやしかしさすが憩様ですね!昨日、見物したいと二派に使いに行ったのですがどちらも二つ返事で了承してくれましたよ」



 前のミレイユさんは物理的に抗えなかったが、この幼女も幼女でなかなか自由だ。



――他の転移者に付いたメイドもこのような感じなのだろうか。



 そうこうするうちに幼女はカーテンを開け、憩の着替えを取り出していた。


 その時、幼女が抱えるには衣服の方が嵩張ったためか、あるいは重いものなど入っていないと油断していたのか転移当初から憩が羽織っているコートからごとりと黒い物が落ちた。



「あ、ご、ごめんなさい憩様」



 謝りつつすぐにそれを拾おうと屈むも



「それに触るな!!」



 憩の怒鳴り声にその黒い物…、拳銃に指が触れるかと言う所で手を引っ込めた。


 ベッドの上に胡坐を掻いていた憩であったが、それが落ちるのを見るや飛びついた。


 憩はそれを拾い上げるとどこか目に見えて壊れていないかを確認する。


 幼女は憩の底意地の悪いところはだいぶ慣れてきていたが、こうして直に怒り、怒鳴るようなところを見るのは初めてだった。ましてやその対象が自分であったとなればなおさらですっかり委縮してしまう。



「…はぁ、とりあえずは大丈夫か。まぁメンテする器具もないですし、どうしようもないと言えばないのですけどね」


「あ、あの憩様…」



 いまだにびくつきながらもとにかく謝らなければと思ったのだろうか、幼女は震えを抑えようとしているようだがうまくいかずに二の句が継げずにいた。


 仕方ないか…。そう憩は呟くと、幼女の方を見やり



「怒鳴ってしまったことを謝るつもりはありません。が、過ぎてしまったものも仕方ありません。次からは気を付けてください」



 カクカクと首を痛めそうなほどに振る幼女を後目にさっさと着替えると黒いそれを内ポケットにしまった。


 明らかに悪くなってしまった空気を払しょくするかのように努めて明るい声を演出して憩は言う。



「さ、行きますよ。先ずどちらですか。メイドさん?」



 そう憩が尋ねると幼女は弾かれたように動き出した。


 またも憩にメイドと呼称されているがこの流れで指摘するほどの胆力はマリーにはない。主人が仕方ないと言ってくれているのだから余計にこじらせる必要はないと言わんばかりにマリーは必要以上に明るい雰囲気で、



「はい!まずは技巧派のとこにご案内します、憩様」




※※※




 カチャカチャと物と物とを弄る音が響く。


 広い大部屋に長机が四本置かれ、所狭しと人が並んで座っている。机の上にも端から見ればゴミのようにも見える何かの材料が撒き散らすように散在していた。


 そして座っている人達は誰も一心不乱に手元で何かの工作に励んでおり、その熱中しているとも言えそうな雰囲気からとても声を掛けれそうにはない。



「…事前に来ることを知らせには来ているんですよね?」


「確かに私自身が昨日来たのですけども…」



 多少のトラブルこそあったものの、いざ来てみれば技巧派の集まりだと言う部屋は工場というよりも工場とでも呼んだ方がしっくりくる労働者の集まりにしか見えなかった。しかしそれにしてはその労働者たちの身なりは憩の知る限りでも…、具体的に言うとゴードン邸でのメイドや護衛達よりも身なりが良いのが奇妙に見える。


 憩と幼女がどうしたものかと入り口付近で立ち尽くしていると、奥の方からこの工場の監督役であろうか長机の労働者たちよりも歳の行った男性が大仰に話しかけてきた。



「おぉ!そこにいるは昨日のメイド。と言うことはもしやあなたが転移者、憩殿で?」



 憩たちはその言に、なんとなく察しはついていたもののその男の流れるような語り口に口を挟む間もなく男が話し通した。



「いやいやいや、結構結構。そう、そうなのでしょうな、貴方様が憩様だ。なあに我輩にはわかりますとも、貴方さまから漂うオーラ。間違いようはずもありませぬ。貴方様こそ憩様だ。


 んっん~、たしかこの技巧派がどういうものなのか興味があり、かつその派閥に属するかを吟味したいとか。いやいや大丈夫大丈夫、もちろんぶしつけに品定めされたからと言って気分が悪くなったりなぞはしませんぞ。そりゃあ人間いらぬ危険には近寄りたくないものです。得体のしれぬ団体に何の情報もなくその身を投じることなぞ阿呆を通り越して狂人の所業でありましょうや。


 おっと、自己紹介がまだでしたな、そこなメイドからお聞きかもしれないが私の名はピーター、ピーター・ハロウズ。どうぞお見知りおきを。


 …とはいえ、それはしかし困りましたなぁ、現状では三大派閥だなんだと言われてはおりますがとどのつまりは一つの回復魔術組合という一つの集合体。多少の差異こそあれ、掲げた目標は同じものであるはず、とくれば如何に説明しようとも付かず離れず似通ってくるのは必定でしょう。他の二派よりもこの技巧派こそが特に優れていることは賢人であるならば誰の目にも明らかでありましょうが、たかだか口上による説明では勘違いないし取りこぼしや不足分が出ることもこれまた必定。それは嘆かわしいことではありましょうがしかし致し方のないことでもありましょう、我らが挑む回復魔術という神秘はそれが神秘であるがゆえに形容しがたい。見方によっては我らはその神秘を暴く無粋者なのでありましょう、だとしても我らの探求を追及を止めることは誰にも止めることはかないませぬ、そうたとえ神であっても。


 我らが人の悲願、怪我や病からの開放、いいやここはもっと直接的に言うべきでしょう。そう!死からの解放!!人は死ぬそれは自然の摂理だ。そう寿命で死ぬのなら、なるほどそれは自然の摂理だ。だが実際はどうです。病から戦争から理由はたくさんありますがそれらすべてはおおよそ摂理とは言い難く、全うすべき寿命をないがしろにしている。


 我らはいい加減にこの問題を克服すべきであり、この壁を乗り越えるべきだ。そのために我々技巧派は過去に存在していた魔術を復元し今現在の人でもあるかえる様に改良を模索し時に失敗し成功を重ね確かに存在していたと呼ばれる大魔術、蘇生魔術へと至らんとしている。それが我らが技巧派の回復魔術へのアプローチ。やる気のない本の虫どもや阿保面を引っ提げて口を開けたまま餌を待つ阿呆どもとは違う。 我らは着実に道を進む。憩様、どうか技巧派へとお入りになられると良い。百度講釈を聞くよりも実際に見た方が理解も早いとはよく言ったものでこの崇高なる技巧派についてお知りになられたいのであれば言葉などでは足りませぬ。我らが発展のためにこれよりも確実なものはないでしょう、そうだそれがいい」



 会話をする気のない口調。それはこの男の癖なのかそれともわざとなのか、あったばかりでは判断が付きかねる。


 疑問の提唱からその答え、解決策まで一人で完結させ道をさも一つしかないように誘導する。それはある種の技術ではあるのだろう。


 それでこの捻くれ者が丸め込まれるかは別の話であるが。



「確かに興味深い。技巧派は魔法陣や呪文等、技術や手法を重視しているとはお伺いしておりましたが、確かに話を聞いただけではここで行われている研究の数々を理解しきれるとは思えませんね」


「そうでしょうそうでしょう。書物派の輩は教本こそにすべて書かれているなどと完成されたようなことをほざきやがりますが、蘇生魔術を成功させたとはついぞ聞きませぬ。慈愛派は回復魔術は愛だと頭の中がお花畑だとしか思えぬ妄言を吐く、しかしてその真摯なる想いの力を以てしても蘇生魔術は顕現していない。…やはり過去の叡智では足りぬ、思いなぞという空虚な物では決してない何かが必要なのです。それは呪文か魔法陣にたった一本の線が足りないだけなのかは判明しておりませぬが、それを我らが技巧派こそが…」


「お金に目がくらんでそんなものに本腰入れていないくせに」



 さも気持ちよさそうに語るピーターをマリーは遮った。



「…なんだと?」


「組合の方ならだれでも知っていますよ。技巧派は使えもしない粗悪なガラクタを高値で売りつけているって。どうせ憩様を欲しがっているのも良い広告塔になるからとでも思っているんでしょう」



 憩は作業中の技巧派たちの手元を幾人か見比べてみた。


 確かに全員が同じ魔法陣を描いているのだろうということは分かる。それは決して拙く歪んでいるというわけではないのだが個々人にて癖のような歪みやはねがあった。とはいえスキルのおかげでただ回復魔術を使えるようになっただけで、呪文についても魔法陣についてもあの「よいこのかいふくまじゅつきょうほん」での付け焼刃程度の知識しかない憩にはその技巧派たちの描く魔法陣のどれもが大差なく回復魔術の行使に大きな支障をきたすほどの致命的な問題であるとは思えない。


 とはいえ、



「そんな風評でも売れるということは粗悪品と風潮されていても有用なのでしょう?」


「もちろんですとも。…いや、いやいやいや、そもそもその言葉自体に矛盾があると思いませぬか。使えるのであれば粗悪などとやっかみを受けるわけがない。この技巧派が魔術工芸にて多大なる利益を上げているのに自負はありますがそれこそがその利益こそがうちの魔術品の品質を保証していると言えましょう。もっとも、先行きの暗い方々がさがない文句でも何でもつけてうちの品位を下げ相対的に自分たちの評価を上げようというのでしょう。ただの無能であれば書物派のように部屋に籠っていればいいものを、頭に花を咲かせている輩は太陽を求めるついでにわざわざ周りに害悪を振りまきやがる。そこのメイドもそんなデマに憑りつかれて己が主人を惑わすようでは先が思いやられますぞ」



 そう諫められたマリーはぎゅっと両の手を握りこみ何かを堪えているようだったが、やがてぽつりと言葉を漏らした。



「…訂正してください」


「ん? あぁいやいや大丈夫だ、君はまだ若い。若いうちの失敗はしておくものだ。人は…とくに我々貴族と言うものは年を重ねることにいらんしがらみが多くな…」


「いいえ、そんなことではありません。別に私は私が屑であろうと無価値であろうと構いません。しかしそれでも譲れないものがあるのです」



 マリーがそこまで話したところでおおよその察しはついたのかピーターは面倒くさいと言わんばかりに溜息を吐いた。



「イシス様はそんな御人ではありません。イシス様は全ての人を人として平等に扱ってくださいます。あの人は本当に人のために身を捧げられる御人です。回復魔術なんて相手を思いやる心そのもののような素晴らしいものを正しく振舞われているあの方がそんなくだらない権力争いにかまけている時間もなければ興味もないでしょう。訂正してください、私は惑わされてなどいません、そしてイシス様はこんな狡い手を使うような御人じゃありません」


「あぁ、憩様のメイドは慈愛派の信奉者であったのですな。それは失礼、お許しを。いやはや我輩…」


「そうじゃありません!!私は慈愛派を…」



 あーだこーだとご高説を続けるマリーを前にピーターの心中は一言に尽きる。


 面倒くさい。


 ピーターにとって今、憩を巡るこの最中での敵対者であるイシスが実際のところ崇敬に値する人格者であろうと唾棄すべき悪人であろうとどうでもいい。こと今においては技巧派にとって有用であろう憩という要因を取りこめられればどうだっていいのだ。



――それをこのメイドは…いいや慈愛派の奴らはいつだってそうだ。尊厳がどうの、相手を思う心遣いがどうの等と実のない言葉で重要な点を覆い隠す。



 それはいつもピーターがやっていることと似通っているがその実まるで違う。ピーターは意味のない言葉を意味のない言葉として扱うが、慈愛派は意味のない言葉を有り難いものだと信じて疑わない。


 いいやそれでは語弊があるだろう。慈愛派の中ではそれこそが真実なのだ。だからこそそれを否定するもの疑うものは嘘であり悪だと彼らは言い切る。



「……そんな中でイシス様は全ての人のために「憩様はどうにも従者に恵まれていないようだ。どうです、うちに所属を置いていただければ器量の良いのから要領のいいのまでいくらでも出しますが」



 マリーの口から吐き出される意味のない修飾語のオンパレードに辟易したピーターは割って入るも、先のように饒舌に舌を回すこともない。


 そんなピーターの様子に慈愛派の世間からの風評を察しつつ彼の心情を慮って肩を竦めてみせた憩は、



「なかなかどうして前のミレイユさんも今の小さなメイドさんも悪くはないものでしてね」



 その返答にピーターは少し残念そうな顔を浮かべたが特に何を言うわけでもなかった。



「さて、技巧派がどういう所かもだいたいわかりましたし。そろそろお暇しましょうか」



 黙々と作業を続けている技巧派たちを後目に部屋を出ていこうとする憩とその後ろを「ミレイユ様のことは名前呼びなのにどうして私だけ!」とプリプリ怒っているマリーがついていく。


 そんな二人の後姿を見送りピーターは彼らが聞こえない声で愚痴る。



「せっかく儲けられる機会なのに、もったいない」



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異世界転移~え!?俺が回復術師ですか?やったああ!!~ @migotomigo

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