第三十一話
月日は流れ、精霊界の森も随分と広がり、いよいよ神殿と精霊界を繋げられるところまでやって来た。
夢にまで見たその瞬間に、数少ない純血の精霊族たちは涙し、混血の精霊族もまた感動に震えていた。
「いよいよだな」
「はい」
神妙な面持ちで呟いた救世主に、セラフィーナが同じような表情で頷く。
一人の精霊族が前に進み出た。
大きく両腕を上に伸ばし、何かを叫ぶ。救世主にはその言葉の意味も発音すら解らず、狼狽える。今まではどんな些細な魔法でも、『外側』に放出された魔法であればその情報が入ってきた。にも関わらず、何も理解できないことに焦った。
「セラフィーナ、今の言葉は何だ?」
「古代の呪文のようです。神殿を幾重もの亜空間に閉じ込める際に行った儀式は、古代の魔法を用いて行われたそうです」
育ての親は長老という立場だったが、古代魔法には明るくなかったようで、全くと言っていいほどに情報が入ってこないことに、救世主は苦笑した。
「今、呪文を唱えた方は、先見の出来た精霊族の親族だそうです。神殿を隔離し、また精霊界へと繋げるために、古代魔法を勉強したと言っていました」
それはすなわち、必然的に残される側にならざるを得なかったということだ。
二十年以上も前、どんな思いでその儀式を行ったのだろうかと、救世主はその人物を見つめた。
ゆっくりと呪文を紡ぐその声は、涙で震えている。
神殿を見つめ、あの日を思い出すかのように苦悶の表情をしていた。
最後の言葉が紡がれる。その言葉は救世主にも理解できた。それは送りの儀式の言葉。魂を天へと誘う、別れの言葉だった。
言い終わり、女性はその場で泣き崩れる。
静かに声を押し殺し、蹲るその女性に、何人かが駆け寄った。背をさすり、共に泣くその姿に、堪えきれずに他の精霊族も咽び泣いた。
「セラフィーナ……」
そして救世主の隣りにいたセラフィーナもまた、ハラハラと涙を流す。
そっと肩を抱き、胸に顔を埋めさせると、セラフィーナは小さな声を漏らした。
「大地が歓喜しています。そして、悲しんでもいます」
「皆の感情が流れ込んだんだろう? 精霊界ってのはそういうところだと、じじいが言っていた」
小さく頷いたセラフィーナに、救世主はあやすように背を撫でた。
「ああ! 神殿が!」
誰かが大きく叫ぶ。それと同時に神殿が淡く光出す。黄金色に輝く光が、小さな粒だと気づくのにそう時間はかからなかった。
救世主の胸から顔を上げたセラフィーナは、小さく息を呑む。その光の粒が何なのか理解したからだ。
一斉に、精霊族の面々が声を上げて泣き出した。先程とは比べものにならないほどに、悲嘆に暮れた泣き声だ。
「逝かないで、お父さん、お母さん……」
「ああ、姉さん……」
それが家族を想っての涙だと気づき、救世主は狼狽えた。あの光の粒が、精霊族の魂だと理解し、その数の多さに驚いた。そして必死に探す。自分の育ての親の魂を。
「じじい……」
未練も何もないかのように、静かに天へと昇っていく魂たちに、救世主は小さく呟く。
「帰ってきたぞ、じじい」
恋い焦がれた大地に、帰って来たのだと、救世主は胸を張った。
「救世主様……」
泣きそうな顔で、それでも誇らしげにそう言った救世主に、セラフィーナは目を閉じる。これから先の未来、自分が救世主の隣で支えて行くのだと、セラフィーナは強く心に刻んだ。
どれくらいに時間、天を見上げていたのだろう。咽び泣く声は次第に小さくなり、誰ともなく静かに立ち上がる。
神殿がこの精霊界へと『繋がれた』ことを認識し、歩き出した。
それに続こうとした救世主に、そっと声がかけられた。
「元帥」
救世主が声のした方へ振り返ると、そこにはジョナスがいた。寄り添うようにセシリーもいる。
「今一度一緒に、人間界に行きましょう」
「は?」
この大事なときに、何を言い出すのかと、救世主は怪訝な表情をする。
「これが最後になるでしょうから」
そう言って、寄り添っていたセシリーの手を取り、セラフィーナへと託す。
「みんなと一緒に、神殿に行きなさい」
そっと二人を促すと、頷いて歩き出す。セシリーを支えながら歩くセラフィーナの背を見送り、救世主は恨めしそうにジョナスを見た。
「どうしても、やっておかなければならないことがあります」
救世主の了承を得てはいないが、ジョナスは空間魔法を展開した。
「さあ」
そう言って促せば、救世主は渋々と空間魔法へと足を踏み出した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「お忙しいのに、お時間を作っていただき、ありがとうございます」
「いや、それは仕事の一環だから、別に構わないが……」
薬学部の所長であるジョナスに、困惑の表情を見せたグレアムは、何故ここに元帥である救世主が一緒に来ているのかと目だけで訴える。
「本日は最後のご挨拶に伺いました」
「ああ、そういえば、退役するのだったな」
チラリと救世主に目を向けたグレアムは、不貞腐れた様子で腕を組み、椅子に深く腰掛けているその姿に苦笑する。そして一月前に出された退役届けを受理した時のことを思い出し、苦い顔をした。
東の森で、救世主が特別視している女性が現れたと聞いたときは、国王を始め重鎮たちは歓喜したものだが、それがジョナスの娘だと判明した際には、誰もが落胆した。ジョナスはじきにこの国を離れることが分かっていただけに、救世主もまた一緒に出ていくのだろうと結論付けたからだ。そしてその予想は当たり、ジョナスの退役届けと共に、救世主の退役届けも出されたことに肩を落としたのを思い出していた。
「プラチフォード卿には、本当に世話になった。心より感謝する」
「本当に、いろいろありました。ただ、総督はよくやってくれたと、私は思っています。あの老人どもを排除したことは、大きな功績です」
苦々しく言ったジョナスに、グレアムは頷く。
「ああ、排除するのに時間がかかり、申し訳なかった」
「まあ、そこは目を瞑りましょう」
ふと、ジョナスはグレアムの失われた腕を見る。そして徐に懐から小さな瓶を取り出した。
「総督、これを」
「それは?」
机に置かれた瓶を見遣り、グレアムは首を傾げる。
「万能薬です」
「なっ! 親父殿!」
今まで黙って二人のやり取りを聞いていた救世主が、声をあげる。そこには不満の色が混じっていた。
それを制するように、ジョナスは救世主にスッと手を上げて黙らせる。
「何故これを?」
救世主の不興を買ってまで、何故これを自分に渡すのか分からず、グレアムは戸惑いながら問いかける。
「貴方は勇敢な人だ。自分の命も顧みず、軍の、ましてや国の膿を排除した。なかなか出来ることじゃない」
「それでも、元帥に許可を取らずに利用したことは事実だ。それの報いを受けるのは当然だと納得している」
「だからこそですよ。あなたのその覚悟も立派だ。ただ私は、彼の父親として、あなたにお詫びしたいのです」
「父親?」
その言葉に、グレアムは疑問を投げかけた。だがすぐにジョナスの娘が救世主の心を射止めたのだったと思い出し、得心する。そしてスッと救世主へと目をやると、呆けたような表情を見せる救世主がいた。
「息子の後始末をするのは、父親の役目です」
「む、息子……」
目を見開き、呆然と呟いた救世主は、次いで組んでいた腕を忙しなく左右に揺らした。照れているだろうことが覗えて、グレアムはその微笑ましさに目を細める。
「大穴の件は、もう随分と落ち着きました。これからは魔物も少なくなっていくことでしょう。ですが、魔物の脅威が去れば、今度は人間同士の争いが始まります。そしてそれが大きくなれば戦争に発展し、多くの血が流れることでしょう。そうなればまた、魔の大穴が開きます。その頃には元帥ももういないかもしれません。そうならないよう奮闘するためには、片腕だけでは心許ないでしょう。だから、受け取ってください」
言外に、魔物が現れたとしても、もう救世主は助けには来ないと匂わせるジョナスに、グレアムは拳を握った。
「なるほど。そういうことならば、有り難くいただこう」
これを受け取ることで、ジョナスが父親としての責務を果たしたことにもなると、未だ照れている救世主に目を向ければ、口をヘの字にして睨んできた。
「まあ、親父殿がどうしてもって言うんなら、仕方ねえ」
言っている言葉は不満気だが、表情は喜びに満ちている。国の重鎮たちが目論んだ伴侶探しの計画は間違いではなかったことが証明されたが、国に留められなかったことは非常に残念だったと、グレアムは肩を落とす。
「元帥にも、お世話になりました。ありがとうございます」
「おう」
素直に礼を言うグレアムに、救世主は益々照れたように腕を左右に揺する。
「では、我々はこれで失礼致します。どうぞ、お元気で。さあ元帥、皆のところへ帰りましょう」
「おう!」
言って立ち上がったジョナスに倣い、救世主も立ち上がる。その救世主の表情には屈託のない笑みが浮かぶ。
ふとその二人の距離感に、ついグレアムは口を出したくなった。
「親子になったのに、『元帥』と呼ぶのはどうなのだろう」
何気ない風を装って、そう口にした言葉だったが、思いの外二人には効いたらしい。大きく目を見開いた二人は、顔を見合わせて驚いた表情をしていた。
「ああ、確かにそうですな」
「そういやあ、名前を名乗ってなかったな。俺は、」
「駄目です! まだ名乗っては駄目です!」
言いかけた救世主を慌ててジョナスが止める。
「そういう大事なことは、まず、伴侶であるセラフィーナに教えてからです。娘はあれでいてなかなかに嫉妬深いのです。一生恨まれるのはかないません」
嫉妬と聞いて、救世主の顔が赤くなる。だがすぐに気持ちを立て直すと「そういうものなのか?」と首を傾げた。
「まあその方が、波風が立たなくていいのでしょうな」
助言ついでにグレアムがそう言えば、ジョナスが大きく頷いた。
「そうか、じゃあ帰ったらすぐに、セラフィーナに名を教える」
「ええ、そうしてください」
ホッと息を吐き出したジョナスは、グレアムへ向け腰を折る。
「では総督、これで失礼致します」
これで本当に最後だと、ジョナスは少しだけ感傷に浸る。それは軍部に対してではなく、人間界に対してだ。今まで生きてきた国を捨て故郷を捨てることに、ほんの少しの寂しさを覚える。だがそれもほんの一瞬。これから迎える未来は、ずっとずっと明るく、希望に満ちている。そう考えただけで、ジョナスの胸に温かいものが込み上げた。
空間魔法を展開し、二人で一歩を踏み出すと、救世主がすぐにジョナスへと問いかけた。
「なあ、親父殿。なんで精霊族じゃねえ親父殿が、導もねえのに精霊界へ渡れるんだ?」
「万能薬を作る際に、私の血を混ぜているからですよ。だから大地に染み込んだ私の血が導になるのです」
「そ、そうか」
血を混ぜると聞いた救世主は、少し引いてしまう。血を混ぜようと思いついたジョナスのその発想に。
「そういや、第三王子に奇跡の実を送るっていう約束はどうなったんだ?」
「とりあえず一年分、まとめて置いてきました。実際、腐ることはありませんし、元々一年という約束をしていましたので。その後はまあ、どうにかするでしょう」
なかなかに突き放した言い方ではあったが、これから自分たちも忙しくなるのだから仕方がないと救世主は頷いた。
「元帥は、他に挨拶をしなくてもよかったのですか?」
「ああ、もう済ませてある。エグバートには、ちゃんと話をしておいた。あいつも色々大変そうだったから、手短に済ませた」
「そうでしたか」
察しのいいジョナスは、それ以上を聞くことをやめた。誘拐された際に垣間見た、貴族たちの成れの果てを思い出し、頭を振る。
「親父殿こそ、薬学部の方には、挨拶したのかよ?」
「あんな連中に、そんなものは必要ありませんよ」
吐き捨てるようにそう言ったジョナスに、今度は救世主が察した。無理やり連れてこられて、薬を作らされ、挙句裏切られたのでは、感謝など微塵もないだろうと納得する。
「ところで元帥。もう親父殿と、『殿』をつける必要はないでしょう。堂々と親父と呼んでくれてもいいのですよ」
突然の宣言に、救世主は面食らう。だが言葉を頭で反芻し、次第に染み込んでいくと、狼狽えながらも歓喜した。
「お、おう。じゃあ、親父も、敬語はやめてくれ」
「ああ、そうだね。セラとキースと同じように、君にもそう接するようにするよ」
柔らかくそう言ったジョナスは、満面の笑みを救世主に向けた。
未だ頬は痩けて、目の下には厚い隈があるが、確かに親子なのだろう、笑顔がセラフィーナと被った。
顔を赤く染めながらモジモジとしだした救世主に、ジョナスはつい思ったことを口にしてしまう。
「ああ、キースが言っていた気持ち悪いって、こういうことか……」
聞こえていないのか、桃色の世界に入ってしまった救世主はモジモジしながらニヤついている。そんな救世主を冷たい目で見ながらも、ジョナスは幸せな気持ちになった。
「さあ、セラフィーナに会いに行ってください」
視界が光に包まれて、精霊界へと辿り着くと、ジョナスが救世主を送り出す。
「おう!」
勢いよく駆け出した救世主の背を見送り、ジョナスは一人ごちる。
「どんな未来が待っているのだろうね。本当に楽しみだよ」
呟いて、眩しそうに目を細める。
ゆっくりと歩み寄るセシリーを見つめ、ジョナスは笑顔をみせた。
「セラフィーナ!」
「おかえりなさい、救世主様」
笑顔で迎えてくれるセラフィーナに、救世主は駆け寄りながら大声をあげた。
「聞いてくれ、セラフィーナ! 俺の名を、教えたい!」
「まあ、名前を? それは長老様が名付けてくださった名前ですか?」
「ああ、そうだ。セラフィーナに、俺の名を呼んでほしい」
「ええ、ええ、もちろんです! ならば、今ここで、私が救世主様のお名前を叫びましょう!」
「なっ! 叫ぶのか!」
「ええ、叫びますとも!」
二人が、大きな声で笑い合う。それを遠目に見ながら、ジョナスとセシリーも笑った。
瑞々しい森の緑が輝くように淡い光を放つ。その奥には同じように光を纏った神殿が見える。
穏やかに流れるこの刻は、永遠に失われることはない。
精霊界は今この時、復活した。
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これにて完結です。最後までお読みくださり、ありがとうございました。また、応援、フォローしてくださった方にも、心より感謝いたします。
【完結】救世主様の嫁探し 吉 @k-i-t-i
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