第三十話
万能薬の作製は順調に進み、少しずつではあるが他の精霊族の手を借りて、精霊界の大地へと撒いてもらっていた。
今日は随分と久しぶりに、精霊界へと渡る運びとなり、救世主は少しばかり浮かれていた。それは昨日のセラフィーナへの告白に由来するものだが『断られたら』という考えは、救世主の中には全くなかった。
これが運命の出会いだと疑わない救世主は、未来のことばかりを思い描く。
南大陸の外れにある森で待ち合わせをし、沢山の精霊族を引き連れて、救世主は精霊界へと渡った。
「おお、凄い!」
「こんなことって!」
空間魔法で到着したその場所は、神殿から少しばかり離れた位置にあった。
到着して早々、目に飛び込んできた光景に、精霊族の面々が驚きの声をあげる。
それに負けじと救世主も声をあげた。
「なんだ? 森が出来てるぞ!」
神殿のすぐ目の前には、森が広がっていた。
神殿付近の浄化は終わり、結界の範囲を広げて万能薬を散布する計画だったのだが、久しぶりに来てみれば、驚くほどに成長した植物は、森と呼ぶに相応しい様相へと変貌を遂げていた。
「救世主様の想いが、大地に届いたのでしょうね」
「本当にそうですね。元帥、ありがとうございます」
満面の笑みを浮かべたセラフィーナに、キースも賛同する。救世主は照れくさそうに頬をかく。
「俺じゃねえよ。親父殿の万能薬のおかげだろう」
自分だけの力では、こうはならなかったと、救世主は何故かジョナスを褒めようとしない姉弟に諭すように言う。
「そうですね。父には勿論感謝しています。でも、救世主様にはもっと違った意味で感謝しています。諦めていた私たちに、希望をもたらしてくださいました」
大袈裟に言うセラフィーナに、救世主は肩を竦める。それに一層笑みを深めたセラフィーナは、森に目を向けると、その奥にある神殿の状態を確かめた。
未だいくつもの層に囲われている神殿に、焦燥感が募る。今こうしている間にも、命を削る同胞がいるのだと、否が応でも自覚させられる。
「今回は、どこまで範囲を広げますか?」
そう聞いてきたのは、精霊族の中でも年長に当たる老人だ。
「そうだな。出来れば神殿をぐるりと囲んで結界を張りたい。そうすれば、少しでも早く神殿をこっちに繋げられるだろう?」
「ええ、確かに」
「だが、食料はどうする? 今の段階じゃあ、食糧不足になっちまうだろ?」
「いえ。純血の精霊族は、食料は必要としません。必要なのは聖魔力です。聖獣とは違い、自身で魔力を生成出来ない精霊族は、大地から魔力を吸収していますので」
「魔力。ああ、だから奇跡の実なんてものがあるのか」
奇跡の実は、魔力を回復する効能がある。そう思い至り、なるほどと救世主は納得した。おそらくは、奇跡の実だけではなく、もっとたくさんの他の作物もあるのだろう。だが、救世主が精霊界の植物で見知っているのは奇跡の実だけだ。
「だとしたら、もっとずっと時間がかかるかもしれないな。大地はまだ回復してないし、奇跡の実もここじゃあ育たねえだろ?」
「それはどうでしょうか?」
小さく笑んだ老人は、森へと目を向けた。
既にこの森の中で生活を始めている精霊族もいる。特に不自由は感じないのか、こちらに移り住んでからは、人間界に一度も帰って来ていないと、老人は救世主に説明をした。そして一つ、疑問を投げかける。
「救世主様は、大地に願ったとき、あの森を思い浮かべたのですか?」
「いや。ただ育ての親のじいいから、精霊界ってのはすげえきれいな場所だと聞いてたから、ただ漠然とそんな世界をと望んだだけだ」
「そうでしたか。ですが、救世主様はそのとき既に奇跡の実の存在を知っておられたのでしょう? 恐らくそれが影響したのだと思います」
実際、大地に願う直前には、魔力を魔石に吸われ、セラフィーナに奇跡の実を口に放り込まれて食べていた。見た目に反し、とても甘くて美味だったことを思い出し、願ったときにその実の味を無意識に思い浮かべたのかもしれないと、救世主は考える。そして今の老人の言葉は、まるであの森の中に奇跡の実がなっているかのような口ぶりだ。もし本当に奇跡の実がなっているのなら、そう思うと同時に、救世主は駆け出していた。
「救世主様!」
急に駆け出した救世主に、セラフィーナが驚きの声をあげる。そして救世主の後を追うように走り出した。当然のことながら、追いつくことは出来ない。遠くなる背中を見つめ、途中で追いかけることを諦めたセラフィーナは、森の入口付近で立ち止まる。
人間界の森とは明らかに違う鮮やかな緑は、ただそこに居るだけで、魔力が満ちていく感覚が全身に広がった。
「これが、精霊界……」
本来の姿に戻りつつあるのだと実感出来たセラフィーナは、思わず胸がいっぱいになる。『戻って来た』のだと強く心が揺さぶられる感覚に戸惑いながらも、ゆっくりと森の中へと足を進めた。
「セラフィーナ、来てみろ! 奇跡の実がなってるぞ!」
救世主の大声が、森の澄んだ空気を震わせる。声がした方にセラフィーナが目を向ければ、救世主が大きく手を振っているのが見えた。
ゆっくりと歩き出したセラフィーナは、足元にある美しい花を踏まないように気をつけながら進んだ。
そうして救世主の傍まで来ると、その光景に目を瞠る。
鮮やかな縦縞模様の実を見つけ、自然と笑みが溢れた。
「こんなに沢山」
たわわに実っている小さな樹を見つめ、セラフィーナは感嘆した。
「同じくらいの範囲で、森があと四つくらいできりゃあ、神殿の連中も解放してやれるんじゃねえか?」
「はい、確かに。それくらい森が大きくなればきっと」
嬉しそうに返事をしたセラフィーナだったが、それにはまだまだ時間がかかるだろうと、気持ちが沈んでいく。
そんなセラフィーナの表情の変化に、救世主も気を引き締めた。
「なるべく早く、そうなるように頑張るからよ。そんな顔すんな」
真剣な声音で言う救世主に、セラフィーナは俯けていた顔を上げる。
「はい。ありがとうございます。私も微力ながら、精一杯お手伝いします!」
拳を握り、力強く頷いたセラフィーナに、救世主が目を細める。そして、ふいと視線を外すと、小さな声で呟くように言葉を投げかけた。
「それでよ……その……返事、今日聞かせてくれんだろ?」
「え?」
唐突な話題の転換に、セラフィーナは一瞬呆けたあと、一気に顔を赤く染めた。
「いいい今、ここで、ですか?」
心の準備の出来ていないセラフィーナは大いに慌てる。
そんなセラフィーナを見遣り、救世主が不貞腐れたように口を尖らせた。
「いや、まあ……後でもいいけどよ……」
そう言いながらも、チラチラとセラフィーナに目を向ける。
大柄で目つきの鋭い救世主のそんな姿に、どぎまぎしながらもセラフィーナはちょっと可愛いなと思ってしまっていた。
「私は……」
赤い顔のまま第一声を放つが後が続かない。それでもその一声に期待の眼差しを向けてきた救世主を見遣り、セラフィーナは勇気を振り縛る。
「この精霊界で、一緒に暮らしていけたらと思っています」
俯きながらも言い切ったセラフィーナは、次いでやって来た羞恥に身悶える。だが救世主はそれに追い打ちをかけるように問いかける。
「それは、俺のことが好きだってことでいいのか?」
「ふひゃ!」
真正面からそう問われ、セラフィーナは激しく狼狽えた。ただでさえ心臓が飛び出しそうなほどドキドキとしているのに、自分からその言葉を言わなければならないのかと、セラフィーナは思わず卒倒しそうになってしまう。
「そそそそその……あの……」
返事に窮していると、ふとセラフィーナの目の端に、銀色が映った。それが弟の髪色だと気づき、目を向ける。木の陰に身を隠し、頭だけを出して、昨日と同じようにニヤニヤとこちらの様子を伺うキースに、セラフィーナが眦を吊り上げた。
「なっ!」
「ん? どうした、セラフィーナ?」
顔を真っ赤にさせて怒っているような表情を見せるセラフィーナに、救世主が驚いたように呼びかける。そしてセラフィーナの視線を追って、後ろを振り返るも、特に何もない。そのことに首を傾げた救世主は、またセラフィーナに視線を戻した。
「弟が、居ましたもので」
救世主の戸惑いの表情にセラフィーナは事情を説明する。だがキースが居たからといって、何故そんなに怒っているのか、救世主には皆目検討もつかなかった。
怒りに震えているセラフィーナの顔は、まだ赤い。
「その、救世主様……」
「お、おう」
気を取り直して口を開いたセラフィーナは、この怒りを糧に勢いに乗って告白をしようとする。
その気持ちが伝わったのか、救世主は緊張した面持ちで返事をする。
「わ、私は……救世主様のことが、す、すすすすす」
顔だけでなく、首まで赤く染めながら、セラフィーナは勇気を振り絞る。
だがその一言がなかなか出てこない。
辛抱強くその言葉を待っていた救世主もセラフィーナのその様子につい拳を握り、固唾を飲んだ。
「すすすす、好きです」
目をぎゅっと瞑り、小さな声で告白したセラフィーナに、救世主は思わずホッと息を吐き出した。次いで、大きな拍手が辺りを包んだ。
ぎょっとして周りを見渡した救世主とセラフィーナは、木の陰からこちらを伺っている精霊族の面々を目の当たりにする。
「なっ!」
驚きの声と共にセラフィーナは飛び上がる。そして一気に羞恥が込み上げたセラフィーナはその場に蹲り、頭を抱えた。
よかったよかったと拍手の合間に声が聞こえて、益々居たたまれなくなったセラフィーナは、恨みがましく救世主へ目を向ける。
嬉しそうに相好を崩していた救世主は、セラフィーナのそんな瞳にたじろぐ。
そして徐にセラフィーナへと歩み寄り、手を伸ばすと転移魔法でその場から立ち去った。
「そんなに恥ずかしいことか?」
「恥ずかしいです! ただでさえ恥ずかしいのに、皆が見ていたなんて!」
どこに転移したのかは分からないが、皆の目がない場所に移動したことで、セラフィーナはなんとか気持ちを持ち直す。
「ありがとうございます。あの場に留まるのは流石に辛かったので助かりました」
蹲ったままだったセラフィーナはゆっくりと立ち上がると、救世主へと視線を合わせた。
「そんなにか? まあでも皆、祝福してくれてたし、俺としても嬉しい限りだ。あとは正式に親父殿に許しをもらえれば、俺たちは夫婦になれる」
夫婦と聞き、セラフィーナはまた顔を赤くさせた。
「親父殿は……許してくれるだろうか?」
いつも自信満々の救世主が、珍しく弱音を吐く。それを意外に思いながらも、セラフィーナは大きく頷いた。
「もちろんです。父も喜んでくれますよ」
柔らかく笑ったセラフィーナに、救世主は暫し見惚れる。
そっとセラフィーナの頬へと手を伸ばした救世主は、愛しそうにゆっくりと撫でた。そんな戯れに頬を染めながらも、セラフィーナは拒むことはない。
一歩、救世主が距離を詰め、お互いに見つめ合い照れたように笑う。
そんな桃色の空気の中、堅い声が響いた。
「私はまだ許してませんよ!」
「っ! お父様!」
何故ここに?と言いたげな表情を見せるセラフィーナを無視して、ジョナスが救世主へと鋭い視線を向けた。
「私は、まだ、許して、いませんからね!」
一語一句を強調しながら言うジョナスに、流石に救世主の顔が引き攣る。
「いやいや、親父殿。俺たち二人の想いは通じ合ってる。それを許すも許さないもないだろう?」
「おやおや。先程は私が許してくれるだろうかと、不安げにしていたではありませんか。どの口でそんなことを言うのです!」
睨み合う二人を見遣り、セラフィーナは「ええ〜」と情けない声を出す。
収拾のつかなくなったこの事態をどうするべきかと考えていたセラフィーナは、ただ項垂れるばかりだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます