第10話 精神分析家とソクラテス
精神分析家が他の精神分析家の分析を受けることは、どのような意味があるのでしょう。それは、大学教育の実習授業の延長線上にあるのでしょうか。それは、精神分析療法とは、具体的にどんなものかを知るための体験学習でしょうか。それは、実際の臨床の場で緊張しないための模擬訓練でしょうか。それは、精神分析家として正式に認めてもらうための必修事項としてあるからでしょうか。それは、……。それは、全然違います。
精神分析家が他の精神分析家の分析を受けるのは、精神分析療法において、転移と逆転移という現象が必ず起こってくるから、分析家自身が、自身の、自分でも意識化できない葛藤や無意識の領域に埋もれている心理的な問題を、他の分析家の解釈を手がかりに意識できるものにして、自分の患者に、自分自身の問題を転移させてしまい、本来、患者本人とは関係ない問題で、その患者を苦しめることをしないために、どうしても、他の分析家の分析を受けることが必要になるからです。
分析家も人間ですから、当然、生きてきたなかで経験したことすべてを意識化し、葛藤や矛盾と無縁にいられることはできません。ですから、分析家より弱い立場に置かれている者、たとえば、患者とか、自分の子どもとかに、分析家自身も意識してとらえることが苦痛となるような抑圧された外傷経験の記憶を、その自分より弱い者に転移させてしまい、その相手の人をうまく利用できれば、患者ではなく、分析家自身の癒しとなってくれると暗に考えてしまうという事態を招いてしまうのです。そういう事情があるので、分析家が自己の問題を患者に転移させてしまわないためにも、分析家自身の無意識の領域に抑圧されてしまっている本人にもそれと意識できない、転移の危険をはらんだ主として外傷経験の記憶を、とりわけ、分析家自身が幼少期に経験させられたそのような苦しい記憶を、分析家自身が分析を受ける側に立つことで、無意識の領域に抑圧された問題を意識化し、患者に転移させてしまうことを避けるために、このような、精神分析家が他の精神分析家の分析を受けることが必要になるのです。
古代ギリシアの哲学者ソクラテスの箴言に「汝自身を知れ」がありますが、これは、精神分析家であるための基本的態度であり能力となるものです。また、「無知の知」という箴言も遺していますが、無意識を意識化することは、知ることができていなかった心理の諸問題を、分析の解釈を手がかりにして、知ることができるものへと、言い換えれば、認知の対象として明瞭なものに変えていくことと言っていいでしょう。ではありますが……「無意識をわかることはできない」のです。
精神分析コラム ジュン @mizukubo
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