第2話 遭遇

 半分開いた大きな穴には、側面に沿って、地下へ地下への先の見えない階段がぐるりと続いていた。底から吹き上げてくる風は生暖かい。

「この底に2体封じていたのですが、今回手違いで蓋が開いてしまい・・・」

 飯山が穴の淵に立ちそう言いながら、忌々しそうに見えない底を見た。

 半分閉まっている蓋を見る限り「手違いで開く」ものとは思えないほど重工だが、飯山はその経緯を話そうとはしない。

「・・・なかなか。」

 淵にしゃがみ込み、足元を指でなぞりながら先生はつぶやく。

「なかなか・・・?」

「ええ。飯山さん、今回依頼の電話をしてくださったのは貴方ですね。・・・解いてしまった、と。それはたしか、先週の出来事だったようですが、この一週間に何か変わったことはありましたか?」

「・・・と、いうと?」

「信者の方の体調不良や、怪我をするなどの事故は?」

「・・・そういえば、最近幹部周辺の者が3人続けて頭痛や吐き気をうったえて、休養しています。しかし、そのほかには特に。」

 先生の問に一瞬の間の後、飯山は表情を変えずに応える。

「わかりました。降りてみても良いでしょうか。」

「・・・どうぞ。しかしこの中は我々でも入る者はなく、導師から非常に危険だと聞いています。どうかお気をつけて。」

「ええ、承知しています。・・・宮内、行こうか。」

 正直言うと非常に行きたくない。この部屋に入ってから頭痛と吐き気、そして空気の歪みを感じている。これが仕事ではあるのだが、今までの依頼に比べると、今回が一番厄介なものに思えた。底の見えない穴には明かりはない。スマホのライトを起動させ、先生のもとに向かう。


 一歩づつ、慎重に階段を下りていく。

 穴の中は湿度が高く、じわりと噴き出た汗と混じりあって不快だ。

 前方には先生の後頭部の寝ぐせがぴょんぴょん動き、普段はみっともないと思うそれに、今は唯一の安心を感じている。

 進むごとに頭の中には警告音が鳴りはじめ、しかし逃げ帰るわけにはいかいないので、ただただ無心で足を進めた。鼻をかすめるのは下水と鉄のにおい。超えては行けない「境界」というものはとっくに超えて、思えばこの施設に入ってからかなり「あいまい」だった。現在解かれてしまったとはいえ、前提として境界づくりを実施していたらしいがどうも意識が必要なぶんだけ回っていない気がする。この施設そのものも、「封」の仕方も、今回の「解いてしまった」ということも。こんなに重く苦しい空気の歪みを生み出すものへの警戒、対策にしてはずいぶんとおそまつだ。先ほどの飯山も、口で言うほど深刻さを理解していないように思えた。職歴半年の私がそう思うのだから、先生も感じているに違いない。


 気づけば、目の前の階段は終わり、底の空間に到着した。

 息を飲む。

 スマホの無機質な明かりが照らすのは、どう見ても「ヒトの形」だった。


「先生・・・」

「こちらは、まだ目覚めていないようだね。」

 白い布にミイラのように全身を拘束されているそれは、成人ほどの大きさはなく、子供のようなシルエットで、壁に皮ベルトで固定されていた。周囲を確認すると、その横には布と皮ベルトの残骸が散乱し、そこに「いた」と思われる壁には無数の爪痕がのこされている。

「やはり、1体外に出ているね。」

 その一言で、通路を進んでいる時に感じた視線の正体を理解した。

 足先から一気に悪寒が駆け抜け、背をむけて階段を駆け上がりたい衝動を抑え、可能なかぎり声に理性を含ませる努力を試みる。

「すると、もう片方は、私たちを見ていましたか?」

「うん、そうだね。宮内、最近少しできるようになったじゃないか。」

 残る一体の前に立ち、腕組みをして少し何かを考えてから、先生は「めんどくさいな」と呟いた。

「そもそもこんな方法は雑すぎる。今回の依頼内容は再度の封だが、そうするためには改めて整えた方法で実行しなければならない。しかも2重で、だ。」

「・・・明日中に完了するでしょうか。」

「うーん、まずは出ているほうをまず回収しなくてはいけないね。そしてこっちもが目覚めるのも時間の問題かもしれない。猶予はそれまでだね。」

 私からの質問の応えには至らなかったが、どのみち急いだほうがいいという事実は変わらないようだ。それにしても・・・

「なぜ、こんな子供が。」

「さあね、それを詮索するのは業務外だよ。」


 穴から戻ると、飯山とカワサキが少々落ち着かない様子でこちらに近づいてくる。

「いかがでしたか。」

「やはり事態は緊急ですね。1体外に出ています。」

落ち着いた声音で先生がそう伝えると、飯山は一瞬息を詰まらせ、ようやく事の深刻さを理解した様子だった。

「最近の信者の方の不調は、それが理由かもしれません。1体はこの施設内を歩き回っている可能性もあり得るでしょう。」

「・・・なんとかなるのですか。」

「まずは、その1体の確保を早急に行います。そこから、再度の封を行ってみましょう。飯山さん、私と宮内が施設内を自由に行動する許可はいただけますでしょうか。」

「・・・・・・導師への確認を行わせていただきます。捜索は明日の午前からでもよろしいでしょうか。」

「ええ、どうぞよろしくお願いいたします。」

 飯山はカワサキへ、ここに残り私たちの「案内役」を継続して行うよう指示し、導師という幹部に指示を仰ぐため部屋を後にした。

 腕時計を確認すると午後19時30分をすぎたころだった。

 頭痛は先ほどより酷くなりはじめ耳鳴りがするようになる。

 カワサキは落ち着かないとばかりに周囲を見回し、こちらを不安そうに伺ってくる。

「カワサキさん、貴方はこの場所に来たことは今回で何度目になりますか?」

 先生の問に、一瞬目を泳がせてから、実は、とカワサキが口を開いた。

「実は、今回が初めてなんです。」

 先頭を歩いていたにしては違和感のある回答ではあったが、そもそもこの空間はいち信者が自由に出入りできるものではなさそうなので、それは事実なのだろう。

「今回のお勤めに選ばれ、事前に地図を渡されていたのです。ですからご案内はできます。どうか安心してください。」

 高音の耳鳴りに、低音のものが重なってきた。

「なるほど、今回は大変でしたね。」

「ええ・・・しかし、先生方がいらしてくれてとても心強いです!」

 耳鳴りは空間を持ち、そして中間の音も重なり始める。

 音は螺旋を造り、集約し、意図をもってまとまり始める。

「あの、先生・・・」

 警告音、頭痛、そして歪んでいた空気も集約していく。

 先生が勢いよくこちらを振り向いた。

 私の背後にはこの部屋へ入ってきた扉がある。


 その扉は、開いていた。


『こっちをみて』


 耳鳴りは止まった。

 あまりにも明確に、あまりにもはっきりときこえた声は幼い。

 そして扉の向こう、暗い通路に、白い「彼女」が立っていた。



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