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西田あやめ

第1話 現場へ

 先生の着信音はいつも不穏だ。

「はい。新規のご依頼でしょうか。」

 どうやら見たことのない電話番号だったらしい。

 私は地域ごとの依頼者情報の打ち込みの手を止めないまま、意識を先生の声へと向けた。正直、夏の休暇目前のこの週に厄介な依頼は舞い込んでほしくない。

「解いてしまった?はい、それはいつからの封だったのでしょうか。・・・ええ。」

適当なメモを取りながら、先生は話の途中にぬるくなった緑茶をすすった。

「はい。と、なるとそれはわりと緊急性が高いですね。・・・ええ、いつ頃をご希望でしょうか。・・・少々お待ちください。」

 保留にしたスマホを片手に、先生は私に呼びかけた。

「宮内。今日、これから行ける?」

 今日、これから・・・?

 今日こそ定時に上がって、有機野菜をふんだんに使った近所の大人気スペシャルオードブルをゲットして、いつもよりいい感じのプレミアムなビールをゆっくり楽しむ予定だったのに。

 腕時計を確認すると午後17時。定時まで残り1時間。

「残業代出すから。めんどくさい案件は早めに終わらせたいんだよ。」

 まあ、それも一理ある。

「今日行くとして、進行予定はどんな感じなんですか。」

「ひとまず、今日これから現状把握をしに行って、明日中に片づける予定。なんたって来週末から宮内は夏季休暇だからね。」

「・・・いいでしょう。残業代、頼みましたよ。」

 さよなら、大人気スペシャルオードブル。そしてプレミアムビール。


 集合場所として告げられた駅は事務所の最寄りから快速で30分ほどの、中心部から離れた場所だった。私はその駅名を先生から聞いた時から、少なからず身構えている。今は隣の県に暮らす母に、この付近は近づくなと忠告を受けていたからだ。

 この仕事について半年。「怖い」と感じる経験は何度もしてきた。しかし今までのものは実態のないもの、はざまに立たなければ接近もされないものばかりだった。器を持たない限り、私たちの対峙するものたちは物理的な害を成さない。

 それよりも、よほど恐ろしいのは「生きた人間」である。

 この地域は、県の指定観察団体「輪廻の木」を信仰する人たちが特に密集して生活する区域だった。

「先生。今回の依頼って・・・」

「こんにちは!急なことにも関わらず、よくいらっしゃってくれました。」

 私の声を遮るように、約束通り南改札前に現れたのは、雑な坊主に白いアロハシャツ、趣味がいいとは言えないゴールドのネックレスに、くたびれたチノパンの男だった。小走りに駆け寄ってくるその男を見た瞬間、これは関わりたくないタイプの人間だな、と瞬時に感じた。電車で隣に座ってこられたら確実に別の車両へと距離を取るタイプ。

「俺はカワサキと言います。今回は先生のお迎えを仰せつかりました。」

「そうですか。この度は大変でしたね。それでは案内をどうぞよろしくお願いします。」

「私は助手の宮内と申します。今回は同行させていただきます。」

「先生と、宮内さんですね。へえ、どうぞよろしくお願いします。それではご案内します。」

 夏ということで日は長くはあるが、この街を、これから夜がやってくるはざまの時間に歩くのはなんだか気持ち悪く思える。

 駅周辺は薬局やスーパー、コンビニが並びそれなりに活気があるように見えたが、少し路地を入ると街の表情が変わり、極端に少ない街灯や、中心部ではもう見ないような古い民家が密集しており、時折その隙間に真新しいアパートが建ち、異様な印象を受けた。

 ちらりと横を歩く先生を見ると、なんてことない顔で、朝から直らない寝ぐせをいじっている。

 そのまま男についていくと、ますます辺りは異様な雰囲気を醸し出し、やがて巨大な白い施設が現れた。仰々しい門を開けるには暗証番号が必要らしく、カワサキは慣れた動作で入力作業を済ませ、私たちを招き入れた。

「ようこそ、輪廻の木へ!」


 悪い予感が的中した私は、一瞬息を詰まらせ、状況把握のために敷地内を見回す。

 門を入ってから目前に広がるのは施設を囲む水盤で、その中央に白石の背の低い橋が施設入り口まで伸びている。施設自体は曲線が印象的な造りで、やはり白に統一されていた。高さはあまりなく、せいぜい3階建てほどのように思えたが、県営ドームほどの敷地面積は、先ほど通ってきた密集住宅エリアとは明らかに対照的だった。

 エントランスに入り、カワサキは担当者を呼んできますと言い残し、その場に先生と私を残した。内部も白を基調とした造りで、しかし床には海外から取り寄せたであろう色とりどりな巨大絨毯が贅沢に敷かれている。壁際にならべられている木製の椅子に腰かけた先生に習い、私もその横に腰掛ける。気づけば既に日は暮れていた。

「先生・・・ここって、県の指定観察団体じゃないですか。」

「そうだね。そんなに怯えなくとも大丈夫だよ。急に襲ってきたりはしないさ。」

「でもやっぱり、異様な雰囲気ですね。担当っていったいどんな人なんでしょう・・・」

 その時、革靴の軽快な足音がエントランスに響いた。

「本日は急な依頼に関わらずお越し頂き誠にありがとうございます。」

 小綺麗なネイビーのスーツに身を包んだ長身の男が私たちの前に現れ、慌てて立ち上がる私の後に、先生も相手の視線に合わせるためゆっくりと立ち上がる。金回りの良さそうな男だ。赤く派手なネクタイは自信の象徴のように見える。

「初めまして、私はここを取りまとめている飯山と申します。」

 飯山は背の高い男で、取りまとめていると言うにはずいぶんと若いようだ。私より年上で、先生よりかは年下くらいだろうか。体格はよく、なにかスポーツでもしているのだろうか。

 飯山の後ろには先ほどのカワサキがついてきており、4人で行動を共にすることとなった。

 エントランスから奥まったエスカレーターに案内され、ここからは選ばれた者しか立ち入りを許していない場所だと説明を受けた。やはり白い空間に4人は乗り込み、カワサキが地下2階のボタンを押した。

 どうやらエスカレーターのボタンを見る限り、この建物は地下2階から3階の構造となっているらしい。

 すぐに扉は開き、降り立った空間は先ほどのエントランスの印象とは違い、うす暗く、壁はコンクリート打ちっぱなし、目の前には先の見えない通路が続いている。

そこでようやく、私は空気の異変に気が付いた。

「先生・・・」

「ああ、そうさ。」

先生は変わらない表情のままで、くたびれたサマージャケットに手を入れ、これから進むであろう暗い空間に視線をやった。

「鈍感な宮内にもわかったね。いつも通り、お願いね。」

「・・・わかりました。」


 カワサキが先頭に立ち進む通路は、思ったよりもすぐに終わり、突き当りとなる扉が開かれた。そこは、白壁の巨大な円錐形の空間となっており、中央にはその3分の1の床を占める大きな黒い「穴」があった。その「穴」は半分が開いている状態で、もう半分は重工な鉄の蓋で塞がれている。開いているほうを見ると、どうやら更に地下に続く階段が伸びており、その全てが黒に覆われていた。

 明らかに歪み始めた空気と、最後尾にいるはずの私は、後ろにナニカが立っている気配に身を震わせた。

部屋に入ってすぐに理解する。

 ここが、


「先生。ここが今回、私たちが解いてしまった封になります。」


 飯山がゆっくりと先生を手招いた。

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