理解したい。
理解されたい。
承認欲求の裏には常に、不実が蠢いています。
人に認められるために自分を偽ったり、
装ったり、着飾ったりして、
誰かに認めてもらおうと必死にもがいて、
結局は醜く繕ってばかり。
拒絶されることは恐ろしい。
誰にも認められないことは恐ろしい。
だからこそ、
自分らしく生きている人に憧れを抱き、
個性的でありたいと望みます。
ですが、私たちの憧れる「個性」や「らしさ」は、
普通や常識の範囲内で許される限りにおいて、
賞賛されるに過ぎません。
その枠組みからこぼれ落ちる「個性」や「らしさ」は、
常に悪でしかないのです。
「個性」や「らしさ」を肯定する社会は、
自己欺瞞に満ちています。
この小説では
普通からこぼれ落ちてしまった者と、
普通という枠組内部に生きている者との、
真摯な衝突が描かれています。
彼らの関係性は、
現代が無意識に受け入れている
相対主義的な正義感の自己矛盾を、
デフォルメしたカリカチュアです。
社会に満ちた個性称揚の欺瞞を暴き出しています。
私が私であることと絶対的に切り離せない要素が、
一般的に受け入れられない内容だったとしたら、
その自分を、どのように受け入れることができるのでしょう。
理解されたい、理解したい。
その祈りはどこまでも届きません。
届かなくても、今日も激痛に耐えながら、
指折り数えて待ちながら、何度だって衝突しながら、
わかりあうことを試みます。
それが覚悟。誠実さ。
理解しあえなくても、
理解しあおうとすることはできる。
耐え難いほどの激痛はともなうとしても。
これは、希望です。(……たぶん
悲痛で悲惨でどこか喜劇めいている、
とても素敵な作品です。
ぜひ、ご一読ください!