エピローグ 悪魔の真実が明かされるとき(4)

「ごちそうさま」

 珈琲を飲み干した俺らは、店員さんに礼を言って店から出た。辺りはすっかり暗くなっている。腕時計を見ると午後10時だ。

 そういえば、七条君の話を聞いていて思い出したことがある。七条君から呼び出された『悪魔憑き』の事件の前夜。俺が見た悪夢は、もしかしたら俺が殺される直前の記憶だったかもしれない。鞍馬山に行く前日に見た夢に出てきた「『教授』と呼ばれていた初老の男性」。あれは天塚教授だったのではないだろうか。すると、あの普段は使わない大教室で彼と会った夢も俺の記憶なのか? そうすると、俺は事件の記憶を思い出しつつあるのだろうか?

「そういえば、君は現実世界は2090年って言ってたけど。それだと、君はもう大学を卒業してるのか。社会人一年目かな? 京界統括委員会だっけ? そこではうまくやれてるのか?」

 重い話の後だし、軽く場を和ませようとした質問だった。だが、七条君は答えずに背中を見せて歩き去ってしまう。

「お、おい。ちょっと待てよ」

 俺が声を掛けると、七条君はただ

「来て欲しい場所があるので付いてきてください」

 とだけ言った。此方こちらを見ずに、ただ前へと進む。

(急に何なんだ?)

 と思ったが俺は素直に従った。




 しばらく、歩くとそこはよく見慣れた景色だった。勧学院大学今出川キャンパス。俺の通っている大学。

 普段、使っている入口とは逆方向だ。まさか、鴨川デルタからこんなに近いとは思いもしなかった。

 キャンパス内に入る。煉瓦造りの校舎、橙色の街灯。その空間は幻想的だった。キャンパスのど真ん中の大きな道、両端には木が植えられており、ベンチが置かれている。勿論、学生は誰一人居ない。俺と七条君の二人きりだ。

 明徳校舎。七条君の話によると、ここで最初の事件は起きた。小さな休憩所で起こった『奇妙な男』事件。どこか懐かしく感じる。中を少し覗くと、学生は誰も居ないのに、まだ電気は付いていた。

 ふと、七条君が歩みを止めた。肩を震わせている。

「おい、どうした。七条君……」

 俺が声を掛けると、彼は振り向いた。そして、大声で怒鳴った。


「どうして、僕の前から勝手に居なくなったんですか!」


 彼は泣いていた。大粒の涙を目から零していた。手の甲で涙を拭う。

「ずっと……貴方に言いたかった! 先輩が死んだのは突然でした。昨日まで一緒に部室に居て、馬鹿みたいな話をして笑い合って……。『また、明日な』って言いながら部室から出て行って、翌朝に突然、八神会長から先輩の死を知らされて……。そんな、僕の気持ちを考えたことありますか?

 また、いつも通りの明日が来ると思ってたのに。また、先輩と色々と話せるって思ってたのに。まだ、先輩には聞きたいことが、話したいことがたくさんあったんですよ! それなのに……。

 先輩は四回生が終わって、就職も決まって、春休みに死んだんです。先輩は知らなかったでしょうけど、卒業する先輩たちの為にお別れ会を考えてたんですよ。先輩が亡くなったのはお別れ会の一週間前だったんですよ!

 人の死は当事者が苦しいんじゃない! 残された側が苦しく辛い思いをするんです! 先輩が亡くなってから、僕の大学での二年間は空虚でした。心にポッカリと穴が空いたみたいだった……。

 だから、この仮想世界でのんびりしている貴方を見ていると、怒りが湧くんです……。苦しんでいる僕の気持ちも知らずに。僕の前から何も言わずに居なくなったことをずっと恨んでいたんですよ。その気持ちを伝えたかった。

 でも、伝えられなかったんです。だって、今の貴方には何も関係が無いのだから。貴方はその記憶を思い出せていないのだから。今の貴方にこんなこと言っても無駄だって分かってます。それでも、言わずにはいられないんです……」

 涙を拭いながら立ち尽くしている後輩は肩を震わせていた。

 そうだ。俺は伝えなくてはならない。たった一人の信頼できる後輩に。唯一の俺の相棒に。彼はずっと一人で苦しんでいたんだ。それでも、ずっと俺を待っていてくれたんだ。俺はそれに応えなくてはならない。

 俺は彼に頭を下げた。そして、今の気持ちを素直に伝えた。

「悪かった。勝手に君の前から居なくなって。本当に申し訳ないと思っている。すまなかった」

 そして、頭を上げ、彼の肩をポンと叩いた。そして、涙まみれの後輩の目を見て、礼を言った。

「ありがとうな。ずっと、俺を支えてくれて。本当に感謝してる。これからもよろしくな」

 後輩はその言葉を聞いて、わっと泣き出した。今まで押し殺していた感情が堰を切って溢れ出したようだ。俺はそんな後輩をただ見つめる事しか出来なかった。






 七条君の言っていた「来て欲しい場所」とはいつもの推理小説研究会の部室だった。

 床のあちこちに、読みかけの推理小説や原稿用紙、ボールペンやパイプ椅子などが転がっている。部屋の中央には、会社のミーティングで使われそうなT字脚仕様の大型テーブル。パイプ椅子も右に3つ、左に3つの計6つが並べられている。窓際には会長のポケットマネーで購入した32インチのテレビ。右側の本棚には推理小説が全段にぎっしりと敷き詰められている。

 大型テーブルの上にはデスクトップのパソコンがある。部員共有のパソコンだ。俺もたまに使っていたが、ノートパソコン派なので使う頻度は少なかった。

「先刻の台詞。八神さんや他の部員にも言ってあげてくださいね。先輩が亡くなった時、皆、とても悲しそうでしたから」

 数十分程して、ようやく泣き止んだ七条君が鼻声で言った。俺は彼にハンカチを渡した。

「あぁ、勿論だ。ちゃんと、皆に伝えないとな。で、このパソコンから現実世界に行けるのか?」

 デスクトップのパソコンの画面に妙なフォルダーがある。「ログアウト」とだけ書かれたフォルダーだ。七条君がマウスを動かし、カーソルをそのフォルダに移動させクリックした。すぐに黒い画面が現れ、その画面には白い文字で「Now Loading……」と表示された。

 画面が切り替わる。


「戻リ橋 ログイン中 N、七条葵  二名」


 七条君がカーソルを動かし、画面の下に移動する。


「現実世界へと帰還しますか? YES or NO」


「これで現実世界に戻れますから安心してください。あくまで一時的にですが、先輩には現実世界へ来てもらいます。そこで事件の詳しい話や今後の話をしましょう。

 ちゃんと、先輩の魂を入れる器は用意してあります。自律型二足歩行ロボットなんですけどね……」

 その言葉を聞いて、俺は慌てる。

「おい、ちょっと待て。それ、大丈夫なのか? 技術的な問題とか……。あと、見た目はどんな感じなんだ? 目が覚めたら『鉄人2〇号』みたいになるのはやめてくれ! せめて、『鉄腕ア〇ム』くらいに……」

「あ、ログアウトが始まりますよ!」

 「ちょっと待て!」と言おうとしたが、文句を言う暇も無く、目の前が白い光に包まれる。俺の意識が段々と上の方へ昇っていく。体の感覚が消え、俺の意識がふっと消えた。







 確かに、怖い気持ちもあった。自分が死者の魂のコピーだと知って、自分の存在が怖くなった。自分の今居る「京都」のエリアが「仮想世界」であること、そして、何者か分からない人物に理由も分からずに殺害された事実を知ってしまった。それも受け入れ難い事実だったし、今までの「平凡な日常」が新たな物語へと展開していくことに不安を感じた。

 でも、俺はその事件に立ち向かわなくてはならない。これからも、仮想世界で謎を解かなくてはならない。それが俺の使命であり、サポートしてくれる仲間が居るのだから。その信頼には応えなくてはならない。

 そして、正直な話、凄くワクワクもした。今の俺に過去の記憶は無い。だから、かつて自身がどのような物語を書いたのかも覚えていない。だからこそ、自分が考えた事件を探偵の立場で解き明かせる。

 これから、俺はどんな事件や謎に出会うのだろう。そして、その謎をもう一度、仲間と一緒に話し合えるのは純粋に嬉しかった。

 人生とは一つの物語だ。そして、人はその物語の中で様々な謎を抱え、それを解決しようとする。俺に限った話ではなく、人間は皆、名探偵だ。そして、俺は自分の死の謎を解く為に、これからも「名探偵」であり続ける。




 ―――これは「」為の物語。






 

 

(「悪魔の囁きとNの喜劇」 終幕)

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悪魔の囁きとNの喜劇(Prototype) 深静零(みしず れい) @kyoukai-fujiwara

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