第21話 殺し屋×何かの始まり

 彼女にとって殺人は証明だった。

 誰かを死体に変えるたび、頭の中にいる良心が悲鳴をあげる。倫理観が頭を締め付ける。罪悪感が彼女の頭に銃を突きつける。

 彼らは口を揃えて言う。命は大事だ、と。

 だから、証明する。

 命に価値はないことを。

 彼女は気まぐれに命を消し去る。命をもてあそび、死体を踏みつける。実際、人間の命を奪ったから特別なことが起きるわけでもなかった。死者の魂が彼女にクレームを入れることは無かったし、天罰が彼女を裁くことも無かった。

 戯れに訊いたことがある。

「なぜ人を殺してはいけないの?」

 誰かが言った。

 命は大切だから。

「なぜ命は大切なの?」

 一つしかないから。

「七十億個もあるのに?」

 その一つ一つが大切だから。

「あは、おかしいね。最初に戻ってきちゃった」

 彼女は引き金を引いた。

 大切だから大切。

 全て単なる言葉遊び、証明は終わり。

 命が大切というのは、空虚な妄想に過ぎない。

 証明は続く。

 人を殺せば殺すだけ、罪は増えていく。

 その罪をごまかすには人を殺すしかない。

 彼女は殺人の連鎖に囚われていた。そして、そこから抜け出す気力も残っていない。ただ、諦めていた。そういうものなのだ、と。

 麻痺した頭で考える。

 殺しは彼女の罪か、それとも彼女に与えられた罰か。

 答える人は誰もいなかった。

 

 退屈な時間が嫌いだった。暇な時間には悪いことばかり考えてしまうからだ。罪のこと、罰のこと、両親のこと。心に絆創膏がはれるわけがない。傷は一緒治らない。冗談だけが唯一の麻酔だ。

 ただ、最近は退屈を好きになっていた。ぬるくなったコーヒーをすすることも、外で降る雨の音も、眠る直前の真っ暗闇も。

 自分の愚かさに気が付いた時には手遅れだった。

 作ってしまったのだ。殺したくない人を。

 殺さなければ証明が崩壊する。

 殺すしかない、でも殺したくない。

 ふざけた冗談だ。

 人を殺せない殺し屋なんて。 


 小鳩の胸の内に生まれて初めての感情が芽生えていた。歩の教え子の話を聞いた時にできた、もやもやとした気持ち。いくつかの感情をあげながら、自分の気持ちの答え合わせをする。

 喜びでも、悲しみでもない。

 怒りというには静かで、安堵には程遠い。

 一つだけ、思い当たる言葉があった。

 嫉妬だ。

「うるさい」

 小鳩はその死んだ子のことを考えていた。きっと自分とは比べ物にならないほど綺麗で、可愛くて、歩の心の大部分を占めている。悔しいけど分かっている。

 でも、一つだけ勝てることがあった。

 彼女は座り込んだままの彼に顔を近づけた。十五センチ、十センチ、五センチ。高鳴っているのはどちらの心臓だろう。

 唇が震える。ロケットの発射を待つ宇宙飛行士の気持ちだ。

 四、三、二、一。

 ゼロ。

 二つの唇の摩擦が、小鳩の胸で火をともした。

 擦れたというくらいの軽い接触。たったそれだけのことなのに頭の中で積み上げてきた証明が音を立てて崩壊する。

 罪が何だ。

 罰が何だ。

 知るもんか。

 歩のきょとんとしている顔を見ると笑いがこみあげてきた。

 彼が言う。「斬新な殺し方だな」

 小鳩は言い返した。

「もう何言っても無駄だよ。絶対解けない毒を入れたから」

 彼女は地べたに腰を下ろした。全ての重荷を投げ捨てたから、体は重いが気は楽だ。もっと早く気が付けばよかった、と小鳩は愚痴を言いたくなる。

 自分がずっと考えていたこと、思い悩んでいたこと。全てはこんな簡単な結論で片付いてしまうのだ。

 遠くから怒鳴り声が聞こえる。もう二度と立ち上がれる気はしなかった。幸いにも相手の組織はほぼ壊滅させていた。歩一人なら逃げられるだろう。

 彼女は指を這わせ、彼の心臓の上に掌をかざした。

「すぐに胸が痛くなるよ。わたしのことばかり考えるようになるよ。あのとき、こうすればよかった、って思うようになる。……一生後悔してね」

 あの子みたいに。そう内心で思ったが言わないでおいた。死ぬときくらい綺麗な自分を見せたかった。彼の思い出の中で輝けるように。

「いや、無理だ」

 彼女の腰に手を回す。

「もう後悔したくないからな」

 彼は重い腰を上げると、彼女を抱えた。お姫様抱っこだったらまだマシだったが、現実は米俵のように肩に担がれている。

小鳩は落胆する。「そういうところ、ホント嫌い」

「俺は紳士じゃないし、お前はレディじゃない」

 小鳩は握りしめた拳で男の背中を叩く。悲しいかな、彼女の怒りを百分の一も表現できなかった。

「死んじゃえ」

「死ぬさ。でも、もうちょっとだけ歩こう」

 彼は立ち上がる。すでに夜は明けていた。

「死ぬには天気が良すぎる」

 

 世界平和を成し遂げた男がいた。

 彼は最強の殺し屋を殺したのだ。

 もっと正確に言うと。

「……好きだよ。ほんのちょっとだけ」  

 殺し屋の心を生き返らせたのだ。

「俺は嫌いだ。大嫌い」

 これは教科書に載せられないお話。

 めでたしめでたし、で終わりはしない。

 幸せに暮らしました、なんて言えるはずがない。

「何でよ?」

「自分の胸に手を当てて考えてみろ。そうしたら考え直してやる」

 それでも、もう少し続くだろう。

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