第20話 殺し屋×ジョークの終わり

 さて、一つの問題だ。

 どっちがマシだろうか。

 愛される終わり。

 終わらない退屈な物語。

 星街小鳩は退屈を憎んでいた。

 言う。「ねぇ、面白い話をしてよ」


 進藤歩は壁に寄りかかったまま、眠たげな瞳だけを向ける。力なく垂れた右腕にはクリーニングで落ちそうもない酷い汚れがついている。それは小鳩も同じだった。誰の体液かなど覚えていない。自分のかもしれないし、近くに転がっている男のかもしれない。

 酷い夜だった。逃げ回った二人はようやく落ち着ける場所を見つけた。かび臭い路地裏、ポイ捨てされたゴミのたまり場。それでも充分マシだった。

 小鳩は座ることはしなかった。座れば最後、立ち上がれなくなるだろう。傾き倒れてしまいそうな体を、壁を支えにして直立させる。すでに自分の体という感覚がなかった。重い荷物を何とか地べたに接触させないようにしているという方が自然だ。

 そんな状態でも突き付けた銃口は一ミリも揺れることなく、相手へと向けられている。

「何かないの?とっても面白くて笑い死にしちゃう位の冗談」

 銃を向けられた男はぽりぽり頭の頂点を掻いた。薄くなった髪が小鳩に笑みを与えたが、それは充分ではなかった。

 もっと、もっと面白い冗談を。

 苦痛を忘れさせてくれるもの。

 退屈をどこかに追放してくれるものを。

 歩はぼそりと言った。

「とっておきのがある」

 銃口を揺らして合図する。続けて、と。

 催促されるがまま歩は思い口を動かす。

「俺がまだ教師だったころ、中三のクラスを担当したことがある。俺はいつものように進路希望の確認をした。他の奴らが進学とか書く中、一つだけ変わっている内容の子がいたんだ」

「何て書いたの?」

 歩は口角を吊り上げる。

「世界平和、さ」

 小鳩は思いをそのまま口にする。

「……馬鹿みたい」

 それはかって目の前の男が語った望みだった。

 馬鹿だと思ったのは、その子か、それとも歩か。疲れ切った彼女の頭では自分の気持ちすらよくわからなかった。

「俺もそう思うよ。だから、職員室に呼び出して新しい紙を渡した。そうしたら、その子はにっこり笑って言うんだよ。『サイン欲しいの?先生』、ってさ」

 苦笑いを浮かべたまま、歩は口に煙草をくわえた。胸ポケットにあるはずの百円ライターを探したが、どこかに落としてしまったようだ。しょうがなく火の無い煙草をくわえたまま、男は話を続ける。

「馬鹿な子だった。けど、不思議と不快感は無かったな。字がすごく綺麗でよく書記をやってもらった。笑ったときのえくぼが素敵で、自然と周りに人が集まる子だった。母親も面白い人で、面談の時は二人の漫才が始まるんだ。腹を抱えて笑ったよ。卒業式の日には馬鹿みたいに涙を流したくせに、三十分後には卒業証書でチャンバラごっこして遊んでやがった。言うんだ。『先生、また遊びに来るね!』俺は言った。ふざけんな、学校は遊び場じゃねぇ、って」

「……」

「世界は平和にならないかもしれない。でも、彼女がいれば、案外世の中も捨てたもんじゃないって思えた。思えたんだ」

 小鳩は彼の口ぶりによく知る匂いを嗅ぎ付けた。

「死んだんだ、その子」

 歩は何も言わず首を縦に振った。

「……暑い夏の日だった。ダムの水が干上がっただの、ニュースで言っていた。新人が、重苦しい表情で俺に受話器を渡すんだ。俺はクレームかと疑ったが、もっと悪い内容だった」

「誰に殺されたの?」

「自分自身にさ。俺は殺し屋の女の子によく会うみたいだ」

「何で自殺したの?」

「わかるかよ。死も殺し屋も女の子も俺にはさっぱりわからん。ただ、わかるのは殺すだけの動機があったってことだ」

「……」

「俺は思った、くだらねぇ。どんなに綺麗なものも、愛しい人も、道端の石ころだ。運命ってやつの気まぐれに蹴り飛ばされるくだらない存在だ。どうせ死ぬのがわかってたら、授業も真面目にやらなかった。通信簿を見ながら、受験校について話し合わなかった。補習に付き合わずに定時に帰ってた。綺麗なものほどすぐ消えて、残るのは俺達みたいに薄汚い存在だ。……なんで、なんで俺を先に連れて行かなかった」

 彼の口調は淡々としていたが、怒りに満ちていた。ずっと胸の内に秘めていた怒りを解放し、夜空の月に吠える。その様子を小鳩は静かに見ていた。

 ふっ、と彼の怒りが薄れた。

 目の前の彼女に改めて向き直る。

「でも、俺は間違えていた。死について想うのはいい。死んだ人に思いをはせてもいい。ただし、死に縛られちゃいけない。……薄汚くても、罪深くても俺たちは、まだ、生きてるんだから」

 小鳩の瞳は海の底のように暗い色をしている。

 しかし、その瞳が感情に揺らいでいた。

 殺し屋は自分の胸の内に湧き出た感情を必死に殺していた。

「……笑えない。全然笑えない」

 彼女は引き金に指をかける。

 死ぬ寸前にも関わらず、歩は安堵の表情を浮かべていた。

「良かった」

「何に満足してるの?今から死ぬのに」

 彼は肩をすくめる。

「お前は残酷な殺し屋だ。多くの人を殺した最低な人間だ。そんなお前でも、あの子の死を笑わなかった。それを知れただけで俺は満足だ。あとは好きにしてくれ」

 彼女は突き付けた銃をおろした。

「どうした?殺さないのか?」

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