トレヴスクーセ性格形成園
名取
トレヴスクーセ、私の垣間見た悪夢
我々はときおり、悪夢から目覚めた瞬間に自らを祝福することがある。我々はおそらく、死んだその瞬間をみずから祝福することであろう。
——ナサニエル・ホーソーン
1
私が見たものを話しましょう。
まず大前提として……私は長いこと刑務所に閉じ込められていました。ほんとうに辛かった。かつて刑務所というのは、「罪を償うための場所」だったと聞きました。でもツーダスレブスで罪を反省することが出来る者はいない。社会から「改心の余地がない」、または「この者がいくら改心したところで傷つけられたものの価値に見合わない」とみなされた者の収容施設だからです。私は官吏を殺しました。妹の仇をとるために。妹は——ほんとうに優しかった。苦しいときも、「神の与え給うた試練だ」といって耐えていたし、苦難を乗り越えるだけのたくましさも持ち合わせていました。彼女ほど心の美しい存在を、私は知りません。それを奴は。こともあろうに人違いで殺したという。あんなにも残忍な方法で——見つけた時には妹の体はすでに半分以上なくなっていて、それでも特殊な薬剤の点滴によって、意識を明瞭に保たされていました。ほぼ生首だけになった妹は、とうに発狂していて、支離滅裂な言葉を活発にまくし立てて笑っていました。
「牛乳買わなきゃ。母さんの茹でたセロリは天国に犬を巻く。明明後日の夕方は58番通りで裸の窒素が濃縮の歌。軽い。風船の皮で貫通した遺伝子。殺して。配給と讃美歌と痣の匂い。お腹すいた。プルトニウム!」
こんなふうに。
私は大変苦労しましたが、その後なんとかその官吏を殺すことができました。警護の目をかいくぐり、首元にナイフを深々と刺してやりました。本当はもっともっと痛めつけてやりたかった。そうするべきだった。でもすぐに護衛の兵士に取り押さえられてしまったので、あってないような迅速な手続きの後、私はツーダスレブスへ送られることになったのです。
2
ツーダスレブスはこの国の北部にある、比較的新しくできた刑務所ということはご存知であるかと思います。稼働し始めた当時こそ、「更生プログラムが非常に画期的である」といって、国内外に向けて大々的な広報が行われていました。しかし、それもいっときの賑わいで、今は針葉樹の森の奥で人知れず、春でも溶けない硬い雪に埋もれるようにして、粛々と動いているだけです。
私が護送車で運ばれたその日も、太陽など到底見えそうもない、狂おしく重苦しい灰色の曇天が広がっていました。外の空気を吸うこともしばらくできないだろうと思い、車から門までの短い距離の間に、私は深呼吸を六回も繰り返しました。手枷は凍りつきそうに冷たく、足も足の先も、次の瞬間には冷蔵庫の奥で腐り果てた塩漬け肉のように千切れてしまうような気がして、それでもやはり空気の方が重要でした。
一息吸うたび、寒さで両の肺がぎゅうぎゅう縮み上がりました。
でもこの先ずっと、埃混じりの汚れた空気を吸い込むことになるのだと考えると、寒さなんて断然二の次、三の次のように思えたのです。
中に入ってからの出来事は、今ではもう、細切れにしか思い出せません。
一体何年あそこにいたのか……自分が一体何をさせられ続けていたのか。それらを全部思い出すことは、できそうにありません。なぜなら私はあの場所で、永遠に近い時を過ごしていたからです。あの場所には無限があった。流氷は、気が遠くなるほどの年月をかけ、大地を削り、山脈を築く。同じことです。比類しがたき狂気と悪意、低温と飢え。それらが執拗に私の精神を削り続け、そして——あの場所を見つけた。トレヴスクーセ。刑務所よりもずっと忌まわしい場所。幼子の集う地獄の底。
もっとも収監させられたばかりの頃、私はツーダスレブスのことを「ゲーム風の更生プログラムをやっている刑務所」というだけだと思っていました。当時の新聞にもそんなふうに書かれていたからです。でも、実状は全く違いました。稼働開始からまだ五年と経っていなかったというのに、そこはすでに煮詰まったラズベリージャムのように地獄の様相を極めていました。人の悪意というものはきっと、善意の者による監視の目がなければ、坂道を転げ落ちるのと同じように、加速度的にその邪悪さを増していくのでしょう。一番新しい記憶では、私は迷路ゲームをさせられていました。そう、あの日——革命の起こった日です。あの日私は、無限の迷宮を彷徨っていました。
3
その迷宮は現実世界に存在するわけではなく、看守たちは電極と薬剤を用いて私の明晰夢に干渉を施し、古代文明もさることながらの巨大迷宮を作り上げていました。
記憶改竄、そして強制的な忘却。
与えられる様々な罰の中では、それが最も辛い仕打ちでした。我々には、償う罪を覚えていることすら許されないのです。なぜ痛めつけられるのか。なぜ苦しまねばならないのか。罪人は皆、止むに止まれぬ事情で手を汚した者ばかりでしたが、逆に言えばそれこそが自分の存在理由を証明する唯一のものでした。それを奪われ、ただ贖うべき結果だけが残される。これ以上に残酷な罰があるのでしょうか。
私は迷路の中で、何度も殺人を犯しました。
首を絞め、鈍器で殴り、ガラス片で首を掻っ切る。そんなことの繰り返し。こちらが争いを避けようとしても、向こうからしつこく暴力を振るわれたりして、相手を殺さなくてはならない状況に何度も追い込まれる。そして殺すと、ややあった後記憶を消され、しかし次の殺しをすると既視感を感じて、「ああまた殺してしまった」と、自己嫌悪を抱く。これがお決まりの筋書き。自分自身を信じられなくなる苦しみと、茶番を演じさせられ続ける情けなさ。この罰の本質は、罪人の自己愛の破壊にこそあったのだろうと、今となってはそう思えます。
ある時は学校の校舎。ある時は古い大講堂。ある時は豪華なホテル。
迷路の舞台は次から次へと変わり、全てに共通していたのは、物理法則を無視して上下左右に道が伸びているということ、そして、人を殺すと周囲から犯罪者として追われるようになるということです。あの時も、私は幼少期に通っていた学校を彷徨っていて、同級生の意地悪な男による嫌がらせの応酬に耐えていましたが、あまりにも酷い言葉で家族を罵られたその瞬間、ついに私はカッとなって奴の頬を殴りつけ、首を絞めて殺してしまいました。そしてこう思いました。
「ああ、またやってしまった。どうして私はすぐに人を殺してしまう人でなしなんだ?」
すぐに、というわけではないのは、今にしてみれば明白なことです。延々とこんなことをさせられていれば、誰だって我を失うでしょう。
でもやはり、そのことさえも忘れさせられているので、私はただひたすら自己嫌悪に苛まれながら、追手から必死に逃げていました。途中で設計図のようなものを拾いました——夢の設計者が置き忘れたか、革命軍による襲撃の影響で発生したイレギュラーだったのか、あるいは元々シナリオのうちだったのか、今となってはわかりません。とにかくそこには、私が辿るルートの全てが書かれていました。建物の道順ではなく、私の取りうる選択の結果の全てです。もし私が捕まって罪を認めれば、皆に糾弾されて絞首刑で死ぬ幻覚を見る、けれど実際殺していないと言えば、また別の結末に飛ぶ、というような。私はそれを読んで初めて、「殺していないと言い張る」という選択肢があることに気づきました。そして「殺していないというのが事実になる」というルートがあることも。考えてみれば、そもそもこれは夢の中なので、整合性など最初からあるはずもないのですが。
いずれにせよ私は少し希望を抱き、先を急ぐことにしました。すると、今まで見たこともない通路に出ました。そこには「窓」がありました。今まで窓なんて一度も出てこなかったのに。それでも私は嬉しいというより、むしろ怯えていました。知らぬ間に現実へ戻ってきているのだとしても、そうでないとしても。
医療施設のような内観でした。
とても清潔で、窓も大きく、溢れるほどの日光が入ってくる。何億年ぶりかの柔らかな陽光です。外は晴れていて、ありふれた農道が見え、通路には誰もいません。そこへ警報が鳴り響き、とっさに身構えましたが、どうやら私ではなく別の脅威について警告しているようで、「攻撃を受けている」と語る放送が聞こえました。でも雑音が混じっていて、何を言っているのかわからない。
そんな時でした。
窓の向こうから、中型トラックが走ってくるのが見えました。それもいかにも「この建物に用事がある」という感じで。そしてふと窓枠を見ると、そこにはなんと、内側からなら子供でも開けられる、簡素なクレセント式の鍵しかついていませんでした。
結論からいって私は、窓を開けませんでした。
外に出たら見つかると思ったからです。でもあれは夢ではなく、すでに当然の如く現実でした。もし外に出れば、すぐにも反乱軍のトラックに保護してもらえたでしょう。私はもっと早く救われるはずだった。でも私は……影に隠れることを選んでしまった。ずっと劣悪な環境に閉じ込められていたせいでしょう。全てが敵に思えて、あのトラックだって、どうせ自分を捕らえにきたんだと思いました。それで窓の反対側の通路に向かったのです。奥は暗くてよく見えないけれど、とにかくずっとずっと長く続いている通路へ。……なんだかんだ行動の理由を語ってしまいましたが、結局のところ私は、幸せよりも不幸の方にひどく慣れ親しんでいました。だからとっさに選べと言われた時、救済が保証されている天国ではなく、勝手知ったりの地獄を選んでしまったのだと思います。それだけのことでした。今にして思えば。
4
通路の先はやはり医療施設の雰囲気で、進むほどに暗くなっていきました。こちらの道には窓はなく、照明もなかった。だから次第に前が見えなくなるのを不安に思っていると、やがて一つの扉が現れました。見た目は防火扉に似ており、別館への仕切り板の役割を果たしていて、白いドアの上にはこう書かれていました。
『これより先、トレヴスクーセ性格形成園。関係者以外の立ち入りを禁ずる』
私は構わずドアを開けました。施錠はされていなかったし、性格形成園ならそんなに気をつける必要もないかなと思ったのです。
あなた方には説明するまでもないでしょうが、私の国では、まだ学校に入る歳になっていない子供を「性格形成園」に預けるのが一般的でした。そこには子供の世話をする先生たちがいて、みんなを庭で遊ばせたり、歌を教えたり、おやつを与えたりなどしてくれる。つまり園児たちは、学校に入る前に、基本的な譲り合いの精神と文化的素養を身につけることができるというわけです。
しかし、だからこそ疑問に思うべきでした。なんだってこんな場所に、性格形成園なんかがあるのだと。しかしお話ししたように、私は長いこと、何でもありのゲームの中に囚われていました——理屈の通らないことなんて本当に日常茶飯事だったのです。まず最初に出来事があって、それから理由にもならない理由がやってくる。その繰り返しに次ぐ繰り返し。だから私は何にも疑うことなく先に進みました。世の中にはこんな事もあるのだなと、ただそんな風に受け止めて。
白いドアを開けても、まだ同じ通路が続いていました。
相変わらず暗めだったものの、どこかからは明かりが入ってきており、辺りを視認できるくらいの明るさはありました。しばらくいくと透明のフィルムのカーテンが現れましたが、それも普通にくぐって先に進みました。カーテンはそのあと何回も出てきましたが、別に何か特別な部屋に入るでもなく、フィルムの前後は全く同じ通路でしかなかったので、一体何を間仕切りしているのかは謎でした。
この不思議な通路はいつまで続くのか。
そう考え始めた頃、ようやく別のものが見えました。通路の色調が変わり、明度の低いオレンジとグリーンの線が現れると同時に、通路の両脇にガラス窓が出てきました。でもそれは、外側を見るためのものではなく、内側を見るためのものでした。ガラスの向こうにあったのは、園児たちの部屋でした。
その時になって私は、人に見つかってしまうのでは、と焦り始めました。目立つオレンジ色の囚人服を着たままだったので。しかし通路は一直線に伸びているだけで、曲がり角などもなかった。すぐに私は、部屋から出てきた先生と鉢合わせしてしまいました。
でも不思議なことに、その先生は私がいることに全く気が付きさえしないかのように、すっとまたどこかへ行ってしまったのです。
もちろん私は驚くべきだったろうし、もっと困惑すべきだったのでしょう。でもその時感じられたのは安堵だけでした。
自分はまだ逃げられる——
そのことに安心して、それ以上は考えなかった。極限状況では、思考というのは食糧と同じように切り詰めなくてはなりません。生存のための必要最低限の思考だけをしていなければ、いざというとき、自分の思想に雁字搦めにされて、動けなくなるのです。脳を力尽くででも制御下に入れなければ、人は自らの脳によって殺されてしまいます。
いずれにせよ、私は先を急ぎました。何がどうして助かったのかはわからないものの、そのうちさっきの先生が騒ぎ出す恐れもあったので、とにかく足早に歩きました。園児の部屋はよく見る暇がなかったものの、なんとなく性格形成園にしては一部屋に入れられている人数が多すぎるような気もして、他の先生や職員ともたくさんすれ違いましたが、やはり誰も私を見ることなく、みんな忙しそうにしていました。
ほとんどの部屋でビデオを見せていたと思います。
お遊戯をしている部屋や、紙工作をしている部屋もあるにはあったのですが、ちらっと見ると大体全ての部屋にビデオデッキがあって、それで映像教材を見せていました。灰色の画面にはアニメーションが映っており、こちらも歩きながらなのでよくは見えなかったものの、それでもあまり楽しそうな内容ではないと感じました。園児たちも楽しんでいる様子はなく、そこにはただどんよりと、重い空気が漂っているだけです。
そんな生気のない子供たちとは裏腹に、先生たちは実に忙しそうで、ある者はファイルを脇に抱え、ある者はせっせとワゴンを押し、お互いに交流をする気配は全くなく、視界に入るほぼ全てのものを無視していました。あまりにも忙しいがために、侵入者の私に注意を払う余裕さえないのだろうかと思っていると、なんと私と同じオレンジの囚人服の者まで現れた……彼は先生の後ろについて歩いており、その表情はやはり暗く、その様子を見るに、ここの職員として働いているようでした。彼も私を見ることはなく、前を歩く先生の出す指示に、機械じみた動作で首を振って応答していました。
これでようやくわかりました。私が見て見ぬふりをされていたのは、何のことはありません。職員の一人だと思われていたのです。
5
電極と薬剤で虐待されていた後遺症であるのか、どうやら自分はひどく聴力を損なっていたらしいと、あそこで気づくことになりました。というのも、通路を進んでいくにつれて、周りの声がだんだん明瞭に聞こえてくるようになったのです。
最初に聞こえたのは「塩」という言葉でした。
文全体を聞き取れるようになるよりも先に、雪のようなものが降ってきて、私は指についたそれに目を落としました。
「このエリアには、塩が撒かれています。」
はじめに聞き取れたのはこの一文でした。確かに、上から淡雪のごとく降ってきていたのは、食塩に見える白色の結晶でした。通路の脇は壁だけになっていました。天井ではファンがごうごうと回っていて、道の先には先生たちの姿、そして何人かの子供たちも見えました。
「塩は体を清め、汚れを祓ってくれます。」
スピーカーから聞こえる朗らかな女の声は、確かにそう言っていました。まるで食料品店で流れるアナウンスのように。しかし無心に歩き、すれ違いざまに子供たちの顔を見た時の、吐きそうな衝撃といったら——彼らの眼は、目の前を歩く私にさえ反応しませんでした。経験から言って、子供は動くものをじっと見つめることが多いと思っていたし、そうでなかったにしても、人は目を開けている限り何かしらは見ているものです。でもほんとうに何も見ていないのです。
「塩はとても貴重です。感謝して通りましょう!」
放送はそんな言葉で締めくくられ、終わるとまた最初から同じメッセージの再生。さすがの不感症の私も、ここまで来ると疑問に思わざるを得ません。なぜ塩なのか。なぜこんなことをするのか。そもそもこれは——本当に塩なのか。でも舐めてみる気になど到底なれず、私は努めて普通の顔を保ったまま、黙ってそこを通り抜けました。とにかく何もかもが異常でした。しかしそれでも何か救いのようなものがあったとすれば、それはこの一直線の通路がようやく終わろうとしていたことです。
塩の降る道を抜けると、左側に開けた空間が現れました。私は肌感覚ですぐにピンと来ました——外だと。わずかに入り込んだ外の空気の匂いがしました。懐かしい匂い。懐かしい冷たさ。私は思わず泣きそうにさえなりながら、ふらつく足を進めました。何かわからないけれど早くここから去りたくてたまらなかったのです。刑務所にいるときでさえ、人に見つかるのを恐れて闇の奥に隠れるのを選んだ私がです。もう耐えられなかった。限界だった。とりたてて血や臓物を見たわけでもないのに、それらを見た時の何千倍もの不快感を感じていました。
出口はまさに一般的な園のそれでした。
靴箱。可愛らしい小さな靴を何十足もいっしょにしまうための、仕切りのついた大きな棚。紺色に塗られた二重扉。木製で、大きなガラスが嵌った引き戸。
暗い霧の森が見えました。
濃霧が立ち込めて、木々が生い茂っていること以外は、昼か夜かもわからないほど暗い。子供が一人歩いていて、よく見れば、等間隔の距離を保って、子供たちが列をなして歩いているのです——まるで夢遊病者のように。
「今日の薬はもうやりました?」
「はい。1から7班は処置しました」
「8班にも追加でお願いします。あそこもまだ幼くていいとおっしゃっていたので、忘れずに与えておいてください」
柱の裏に張り付くように隠れていた私の耳に、そんな会話が聞こえました。変調をきたしつつあった私の頭を、一つの疑問がぐるぐる回り始めます。
幼くていい、とはどういうことだ。
ここに来るずいぶん前——今ではもう前世の話のようですが——私は民間の警備会社で働いていました。だから、隠密行動は本来得意とするところであり、会話をしていた職員のあとを辿ることで、監視室と思しき部屋へ忍び込みました。そこでは無数のモニターが整然と並び、子供たちの様子を鮮明に映しており、怠惰な職員が一人、大豆肉を挟んだパンを片手にそれを見ているのでした。
私は音もなく彼に近づき、動けなくしてから尋ねました。
「ここは一体何なんだ」
彼は慌てた様子で、それでもさらりと答えました。
「人間の飼育場さ。トレヴスクーセはこの国唯一の、受注生産製の性格形成園だ」
私が言葉を失ったことは、今更述べるまでもないでしょう。
彼は淡々と続けました。
「見る限り、あんたは98年より前の囚人だな。だからあのニュースも知らない。今から数年前、国中の学校で、恐ろしい惨殺事件が相次いで起きた。そして犯人は、特に強暴でも凶悪でもない、むしろ柔和で大人しいとされる生徒たちばかりだった。国中が恐怖に震え、『子供』という不可思議な存在への不安から、出生率は駄々下りになった」
「だから家畜のように扱おうということになったのか? 同族に対して?」
すると彼は、蝙蝠のような笑い声を上げました。
「同族だから何だっていうんだ! そんな健全な認識、あんたの頃にだって、とっくに廃れて久しかったろ。まあ、だからこそツーダスレブスになんか入れられたんだろうがな……とにかく上の連中は、人口減少に対して手を打つ必要に迫られた。それで試験的に作られたのが、このトレヴスクーセだ。まあ早い話が、大金さえ払えば、子供を自分好みの性格にしてくれる、至って効率的な人間工場だよ」
一体何から聞くべきなのか、少しだけ迷ったあと、私は尋ねました。
「どうやってそんな洗脳まがいのことをやってるんだ。まさか薬剤か? まだ身体の未発達な子供に対しては、あまりにリスクが高すぎると思うが」
「上がそんなリスクだの後遺症だの、考えてるわけないだろ。何不自由なく育ってきた、傍若無人なボンボン共だぞ。壊れたらそれまでとしか思ってないさ」
「だが、大金が動いているなら、主な顧客は富裕層ということじゃないか。そんな無責任な話が通るとは思えない」
男は引き笑いをして、顎でモニターの方を示しました。
「通るんだよ、これが。あんたの頃も酷かったろうが、この国の連中ときたら、みーんな頭がどうかしちまったんだ。右から三番目、上から五番目の画面を見な」
私は言われるまま、画面を見ました。そこに映っていたのは、園児と両親との再会の場面でした。スモックを着た子供の方は、明らかに目は虚ろ、喋る言葉も酔っ払いのように呂律が回っていませんでしたが、親の顔を見てあどけなくにこりと笑いました。両親はそれを見て、「ああ、可愛い私たちの天使!」と、子を抱き上げて去っていったのです。何一つ、心配の言葉をかけることもせず。
「わかるだろ。お貴族様はお利口さんを欲してるわけでも、天才の卵を求めてるのですらない。むしろ今の流行りはな、何かしら欠如した奴なんだよ」
ぞっと背筋に寒気を感じながら、私は彼の言葉を聞いていました。
「どういうことだ」
「恵まれた家から天才や美形が出るだなんて、もう古いんだ。飽きられたんだ。付加価値がなくなったんだ。だからこそ、発注されるのは奇形、障害児ばかりになった」
「意味が……わからない」
「わからない方が正常だよ」
私は全てを悟って、思わずその場に嘔吐しました。つまり彼らは、家族みんなで苦難を乗り越えるという、美談の主役になりたがったのです。そのためだけに、聡明に生まれた子も、頑強に生まれた子も、全部ないまぜにして放り込み、均一な欠陥品にしたのです。そういうことだったのです。
ものを吐く間、職員の男を押さえつける力をつい緩めてしまいましたが、彼は抵抗しませんでした。仕事に疲れ果て、消耗しきっているように見えました。ははは、と笑い、それきり静かになりました。
6
あとのことは、おおよそ報道の通りです。
革命は半分成功、半分失敗に終わりました。私はあの後、抱きかかえることのできた数人の園児たちと共に、あの場所から逃げました。追っ手はいたものの、革命のどさくさに紛れたおかげで、何とか死なずに済みました。
そして革命軍の元へ行き、無事に南北の区境を越えた……という顛末です。
知っての通り、南側には今のところ、政府の力は及びません。
けれど、私は忘れるに忘れることができないのです。凍える刑務所に併設された子供らの庭——あの場所では、未だに塩が撒かれているのでしょうか。考えたくもありません。あなたはよほど刑務所の方が過酷じゃないか、とおっしゃるかもしれません。でも、あの時、モニターに映っていたスモックの子が使っていた言葉を聞けば、あなたもぞっと寒気を覚えることでしょう。……そうです。あの子は私の妹と同じことを言っていたのですよ。それを、それを。事もあろうに、彼らは天使と。
やりがい、なのでしょうか。
元が悲惨なほど、育て甲斐がある、ということなのでしょうか。
それとも元々そのように生まれた子に対して、差別がなくなったのだとすれば、これは進歩ということなのでしょうか? 一切合切を「性格」の一部として認め、そうしてただ親の信じる方向へ、矯正しているだけなのでしょうか。
私は考えたくもありません。
時代とともに価値観が変わることはわかっていますが、とりあえず私が見てきたものとしては、これが全てということになります。ジャーナリストであるあなたのご本に、もしこの話を載せてくださるのなら、これ以上の幸いはございません。
トレヴスクーセ性格形成園 名取 @sweepblack3
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