日は沈み、復讐の炎は静かに燃ゆる
にゃ者丸
プロローグ
湿気の絡みつくような空気に包まれた、熱帯の森の一角で、一陣の風が吹く。
目の前から吹き荒れる風の暴力が、青年の身体を痛みつける。
何十人もの大男たちに押されているような圧力を感じても、青年は顔色一つ変えない。
「GIGYAAAAA!!」
獣が吼える。我が身を覆う程の大翼をはためかせて、眼前の矮小なる人を吹き飛ばそうと、風の暴力を叩き付ける。
しかし、青年の身体はびくともしない。地面に足が縫い付けられたが如く、微動だにせず直立して、獣の全身を無感情な瞳で見据える。
口を開ければ、青年など丸呑みにできそうな巨大な獣だ。それも、ただの獣ではない。翼竜と呼ばれる種の中でも、上位に位置する化物だ。
褐色の鱗が陽光を反射して煌めく。
日差しが獣の姿に降り掛かる。日の光が、この薄暗い森の中に獣の姿を晒し上げる。
両腕が翼になっている、得てして見れば鳥に似た骨格の獣。後ろ足の鉤爪を立てて、鋭角になった頭部に一対の緑色の瞳を宿し、獣は眼前に見下ろす人の姿を視界に入れる。
見れば見る程、矮小にして下等な人類。
取るに足らない、この鉤爪で引っ搔いてしまえば容易に肉を裂ける餌。
そう、餌だ。この獣にとって人は等しく餌に過ぎない。生まれながらの強者にして、森の生態系の頂点に匹敵する生物。それが、自身。
自分の実力に絶対の自信を持っているのだろう。青年を見る獣の目には、驕りがちらついて見えた。
「…………」
反対に、青年は感情を晒しもせず、無感情な瞳で獣を見上げて、無表情な顔で獲物の身体を見据えるのみ。
片手には一本の刀。それも異様な、刀身が黒に見えそうな真紅に塗りさ潰れた刀だ。だが、青年は構えもせずにだらりと刃先を地面に向けている。
どう見ても、持っているだけにしか見えない立ち姿。
いや、事実、彼は武器を持っているだけなのだろう。青年の瞳には、微塵も焦りも恐怖も浮かび上がっていない。獣に出会う前から、獣に出会った後の今でも、ずっと無感情なままだ。
苛立ちを隠さず、獣が尻尾をゆらゆらと揺らし、爪を立てて歯を剥き出しにした。
気に食わないからだ。下等な人の分際で、泣きも喚きもせず、何ら抵抗らしい抵抗もせず、無礼にも自身を見上げているからだ。
圧倒的な強者である自分を見据えているからだ。
「GYAOOOO!!!」
再び、獣が吼える。今度は威嚇の意味ではない。本気で、仕留めに行くという己への合図。大翼を広げて、爪を立てて下等な
自らに死が迫っているにも関わらず、それでも青年の瞳は不気味なほどに、穏やかだった。
―――――――否、青年は自分に死が差し迫っているとは思っていない。
「紅蓮」
一言、己の手に握る獲物に、青年は呼びかける。刀は呼応するように、その刀身から禍々しい真紅の魔力を昇らせる。
赤黒い魔力が、形を持たない力の塊が、一瞬――――形を得る。
獣の鉤爪が青年の身体に届く瞬間、目にも止まらぬ速さで、赤い軌跡が獣を凪いだ。
弧を描いた赤黒い軌跡が、獣に留まらず後方の木々や蔓や枝葉を凪いでいく。
一瞬、理解できないとでも言うように、獣の瞳が見開かれる。瞳孔が収縮し、呼吸のできない喉を震わせようとして、赤黒い血の泡が口から零れ落ちる。
ボタボタと、粘性のある赤黒い液体が地面に滴り落ちる。
獣が全てを理解し、己の得物を振り抜いた状態の青年を目の当たりにした時には、獣は既に死んでいた。
ズルりと、獣の胴体と片翼がズレて地面に落下する。胴体を裂かれ、片翼を捥がれた獣の死体が、地面に落ちて泥を飛ばす。
赤黒い血の混じった泥が、青年の頬を染める。無感情な瞳が獣の亡骸を貫いた。
「…………」
何も言わず、青年は刀を腰に差した鞘に納刀する。気づいた時には、刀には何も纏われておらず、単なる刀に戻っていた。
腰から刀とは別の短剣を取り出し、青年は自らが殺した獣の胸元を、心臓のある部分の鱗と皮を剥ぎ、乱暴に肉を抉り、邪魔なものを削ぎ落す。
そうして、まだ命の温かみを残す血に手を汚しながらも、青年は獣の心臓部分から、紅い結晶を切り取った。
脈動する心臓に似た、赤を混ぜた琥珀色の結晶。内部には血管のようなものが張り巡らされていて、どこか心臓にも見える何かだ。
それを青年は腰のポーチから取り出した布に
作業を終えて満足したのか、青年は短剣を鞘に納めて、立ち上がる。そのまま、その場を立ち去ろうとしたが、何を思ったのか青年は自らが殺した獣の亡骸に顔を近づけて、その頭に片手を翳すように触れた。
亡骸を見つめる青年の瞳はどこまでも穏やかで、生きているとは思えない程に冷たい。感情を失った人間、もしくは人形のようだ。
青年が口を開く。咽を震わせて、悍ましさの気配が漂う何かを吐き出すように、青年は言葉を紡いだ。
「朽ち果てろ」
言葉が、獣の亡骸にぶつかる。音が反響するように、青年の発した言霊が獣の亡骸の全身を浸透していく。
それは、身体から別れた片翼と半身まで響き渡った。
直後、獣の亡骸は震えて崩れ去るように風化していく。風にさらされ、水にさらされ、時の流れにさらされるように。
獣の亡骸は、色を失った灰のように無数の粒に変じていく。
やがて、獣の亡骸が全て砂へと、青年の紡いだ言葉通り〝朽ち果てた〟時、青年は踵を返して、その場を歩き去って行った。
日は沈み、復讐の炎は静かに燃ゆる にゃ者丸 @Nyashamaru2
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