夏のしるし

  風そよぐ ならの小川の 夕暮れは

  みそぎぞ夏の しるしなりける

 作者:(藤原家隆)


 こんな山奥で禊だなんて、形だけだと思われるかもだけど、冷たい水から上がると一瞬、体の内側から熱さがわいてくることがあって、負けるもんかと思う。

 私はまた縁台に上がって、山の木々の切れ間からのぞく鉄橋を見る。

 列車は走ってない。

 今日も智昭は帰ってこない。

 学生の時は一緒に修練を積んだのに、部活の合宿もなくなって、今は私一人。

「智昭のばかーっ!」

 やまびこが聞こえるくらい、叫んだ。

 すると、不意に背後がざわめいた。

「ここにいた!」

 え?

 背の高い草をかき分けて、ハスキーな声がした。

 知らない声……。

「明子!」

 え?

 縁台から振り返ると、少し背が高くなって精悍さを増した智昭がいた。

 間違えるわけない。

 でも……。

「その声はどうしたの?」

 それに髪が黄色い。

「酒とたばこでつぶしたんだよ。今、シャンソンやってて」

 シャンソン!? なんて変わり身。

「ロックはどうしたの?」

「あんなの一時の熱きょう。今は人生の賛歌を歌い上げるのが日常さ」

 笑ってしまった。

 智昭はどこまでも色気のある音楽で――ご都合だ。

 退散しよう。

 長話は嫌い。

「そ、じゃあね!」

「あ、おい。明子――」

 こんどは私が待たせる番。


 -了-

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初夏色ブルーノート 水木レナ @rena-rena

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