ユーアーマイソウル

 思い出すのはちょうど今頃の音楽部室。

 日差しがあったかくなってきたからといって、窓を開け放つとブラスの音が大きいと近所から苦情がきてたっけ。

 まあ、それもいい思い出。

 ――あの頃は、なんでも吸収した。

 中でも一条智昭いちじょうともあきの熱中ぶりはまぶしかった。

 カフェ・リトルバードに自前のトランペットを持ってきて、演奏に混ぜてくれと飛び入り参加までして。

 人のあまりいない過疎な地域だから、そんなやんちゃも許されていた。

 親には内緒だったけれど、精一杯服装に気を遣ったりしてもぐりこんだものだ。

 けど、きっとばれていたと思う。

「智、生真面目にやりすぎるんだって。ツタタツタタじゃなくてパララパララだよ」

「パララパララかー、だよなー、ジャズだもんなー」

「力を抜いて。酒、飲むか?」

「おおー、いいねー」

 大人にまじって談笑してたのを思い出す。

 なのに。

 智昭はいつの間にか世界を広く見た気になってこう言い出した。

「オレはパッパラパーはいやなんだよ、もう。ズッダンズダダン! がいい。究極音楽は、みんなジャズになる。でも脇役だ。俺はロックで主人公になりたいんだ」

 部長の私はタクトをおろしながら最後通牒を突きつけた。

「だったら、行けば」

 お別れなのだと、覚悟した。

「どこへなりと、好きなところへ」

「明子も来い」

「私はいや。顧問がジャズだって言ったら、今回の慰問コンサートはジャズなの。私は恥ずかしくない演奏を届けるの」

 思えば超のつくド近眼だったが、与えられた課題にそれだけ一生懸命だった。

 それだけが世界のすべてで、それだけが使命だった。

 智昭の提案は突拍子もなくて、それを許すわけにもいかなくて。

 智昭は吹奏楽をやめ、ロックに生きるんだと渡米した。

 正気を疑った。

 おいてけぼりを食らった高二の頃。

 薫風。

 智昭が言ったのを思い出す。

「ジャズは、食事しながらでも、考え事をしながらでも余裕で聴ける。ロックはそうじゃない。心が燃えるから、吠えるからロックなんだよ」

 親のすねをかじってなにがロックよ!


 わかってない。

 智昭は……。

 ジャズは脇役なんかじゃない。

 人の心にやさしい時間を届けるものだ。

 よりそって歌い上げるのがジャズだ。

 あるいはむせび泣きだ。

 列車ががたごと走っても、子供らが笑いさざめいても、それはジャズになる。

 世界そのものが音楽に変わる。

 独りよがりは許されない。

 専門的に学んだわけではないけれど、そういう風に思ってる。

 そして、そのまま高校を卒業した私は、修行をしている。

 智昭が去っていってしまったからと、音楽には精神修養が必要だったからだ。

 ほんのつかの間、たった今起こったことのように思いはせた智昭は、今頃どうしているだろうか。

 ずいぶんと時を過ごしてしまった。

 でももう、いいの。

 もう、これを飲んで出てしまおう。

 のこりの数口をのどに流し込んでしまうと、わたしはプレイヤーに礼をして店を出た。

 去り際に目をやったら、新人さんの彼は、マスターにトレイで頭をたたかれて、髪の毛が崩れるとか何とか言ってておかしかった。

 不思議ね、あのウェイターさん、生演奏してる店で別の曲を聴いてたなんて。

 なんて、自由なんだろう。

 そうね、私も少し片意地を張っていたかもしれない。

 今日はちょっとだけ、彼を思い出してしまったから、ワンフレーズだけ口ずさんでみよう。


 ――ユーアーマイソウル、クライングソウル……。

 グッバイ、マイソウル。

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