初夏色ブルーノート

水木レナ

 パシャンッ!

 白装束でみそぎを終えた私は、川から上がると、下草を踏んで縁台に上がった。

 そうして腰まである髪まで乾いたら、いつもの外出着に着替えて、里の中で唯一のジャズ喫茶に足を運んだ。

 高校生の時に、向学のためにと部活の男子も交えて通った、大人のカフェだ。

 照明を落とした店内に、金色の文字盤『リトルバード』が淡く浮かび上がっている。

 やけにシャープな動きをするウェイターが注文をとりに来た。

「あったかいコーヒーください」

「ホットですね。苦味が強いものと酸味が強いものがあります」

 あら、この人、新人さんね。

 いちいち説明は不要よ。

「ブレンドをください」

 ウェイターは、タブレットを操作して、伝票と一緒にブレンドコーヒーを置いていった。

 生演奏は心地よい。

 しかし、選曲がよくなかった。

 引きずられる。

 胸の底の想いが表層へ表れて、心は引きさらわれて、過去の忌まわしい思い出を想起させた。

 あたたかいコーヒーはどんどんと冷めていった。

「お嬢さん、よく見る顔だね」

 トロンボーンをおろした白髭の演奏者が言った。

 いつの間にか距離が近い。

 いくら暗くても、同じ服装ではいずれバレると思ってた。 

「ええ、学生時代からお邪魔してました」

「楽器、演奏してみる?」

 示されたそこには、古いグランドピアノがスポットを浴びてたたずんでいた。

 鍵盤をたたくと、いい音がする。

 古くてもしっかり調律されている。

 こういうの好き。

 だから、通い続けたんだと思い返して笑った。

 昔取った杵柄で、スウィングしてみる。

 ――智昭ともあき、確かに熱血に目覚めたあんたには、いい加減に聞こえたかもしれない。

 でも、これはあんたが私にくれた曲だから。

 今でも弾けるのよ、私……一生にたった一つのラブソングを。

 だけど。

「こらっ! また仕事中にイヤホン使って!」

 カウンター席の向こうから小さな叱責が飛んだ。

「好きな曲聴くくらい、いいでしょう」

「ここはジャズ喫茶だ! 聴くならジャズにしろ。肩で風を切るんじゃない」

「あんなへたくそな客のノリについていけるわけないでしょ」

「おまえはジャズがわかってない!」

 あら? 智昭みたいな子。


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