第3話 恋バナとコーンスープ
生まれた人は必ず死ぬ。
そして、そのほとんどの人が自殺によって命を落とす。
そんな世界、誰が、望んだのか。
誰が、作ったのだろうか。
名前も知らない、ただ、恋バナとコーンスープだけで生きてるような誘拐犯とさよならして、僕は共同住宅に戻った。
「お、なんだ生きてたのか」
管理人のテキサスこと、薫君は、ぶかぶかのパーカーを着て、おそらく下は履いてない状態で、僕のことを出迎えた。
「そっちこそ」
僕は帰り道で買った、スモークチキンサンドの入った紙袋を渡して、散らかったサンダルの山を踏みながら、部屋の中に入った。
「かあー。冷たいねえ。雪は」
雪っていうな。
「おっ、あれぇ? 雪ちゃん、お花の香りのシャンプーの匂いがするよ? 女の子のお家にお泊りしてきたのかな」
無視して廊下を進み、服を脱ぎながら脱衣所に向かう。
別に汚れてるわけじゃなかったけど、なんとなく家のシャワーでリセットしたかった。
たった2日離れただけでも、どこか遠くの世界にでも行ってたみたいに、変な匂いが身体に付着している気がした。
もちろん、シャンプーの匂いのことじゃない。
外の世界と隔離された、不自然な程きれいに保たれた浴室に裸足で侵入する。
僕は立ったまま、全身の毛穴を刺激するような線の細い強めのシャワーを頭から浴びて、すぐに風呂に入りたくなった理由はそれだけじゃないことに気がつく。
水が恋しかった。
人肌なんかよりも、ずっと。
溢れんばかりの水滴に溺れたかった。
水に。
海に。
◇
「いや、殺されかけてさ、あぶない女に」
「へえ」
癖のある炭酸飲料で、さっき買ってきたスモークサンドを胃に流し込みながら、僕はテキサスの愚痴に耳を傾ける。
「入れろって言うんだよ。でも、たたないだろ? そしたら発狂してさ、わたしより、自分の手のほうがいいのって。ナタで俺の手首落とそうとしてきやがった」
実は僕も殺されかけたって言おうとしたけど、やめて正解だった。
テキサスの会った女に比べれば、僕の出会った女は大分まともな方だ。
「それで、その女どうなったの?」
「えっ? ああ、さあ、どうなったんだろうな」
テキサスは炭酸飲料を酒みたいに一気に飲み干した。
それで、なんとなく予想がついてしまった。
ああ、死んだんだな。
「それで、お前は、どこほっつき歩いてたんだよ。そんな女の子みたいなか弱い身体で」
「うるせえ」
そう答えるや否や、ベッドロックが飛んできた。
「ほら、どうするんだ? こんな風に襲われてたらお前今頃死んでるんだぞ?」
テキサスはすらっとした見た目の割に、絶滅危惧種のゴリラみたいに力が強かった。
子供の頃剣道を習っていて、腕前はそこそこあったらしいけど、今では技は衰えてなくても、心のほうは確実に堕落していた。
髪も長くて、わかめみたいに前髪を垂らしていた。
その外見は女に人気があるみたいだったけど、よってくるのは、いつも頭のおかしい、狂信的な奴ばかりみたいだった。
「ほら、ごめんなさいは?」
「ごっご」
「ん?」
「ごりら、わかめ!」
しばらく痛い目に合わされた後は、まるで猿みたいに、食べ残しも空き缶もそのまま放置したまま、深夜まで一緒にゲームして遊んだ。
でも、深夜をすぎると、隣から寝息が聞こえ始める。
すぅー
力があって元気なように見えるテキサスだけど、夜はすぐに眠くなって子供みたいに寝てしまった。
いつも力でテキサスにやられる僕だけど、体力的な意味では僕の身体のほうが強かった。
あと、たぶん、メンタルも。
「ゆき…」
胎児のように丸くなって、テキサスは薄い唇をかすかに動かしてつぶやいた。
「ゆきって呼ぶな」
頭をなでてやるのは気持ちがわるかったから、痛そうにしてた腰の辺りを少しなでてやった。
お前も、いつか、自殺するのかな。
◇
若者の自殺率が99%と言われるようになった理由はわからないけど、そう言われるようになった後の世界で起きた変化のことなら知ってる。
ひとつは、男の性器が使い物にならなくなった。
男の性器は、単に排尿と自慰行為でしかその機能を果たすことができず、異性との性行為の場では、ただの硬い棒になることも出来なくなってしまったらしい。
らしい、と言ったのは、僕が生まれた時点で、男性器というのはそういう物だったから、以前の、性行為の場で役に立つものとしての性器は、教科書でしか知らない存在なのだ。
だから、この現在の世界において、交尾というのは存在しなし、人類が子孫を残す手段は人工授精しかない。
僕たち男が、女より立場が低くなったのもソレが原因らしいけど、実際のところはどうかわからない。
確かに自慰行為を強要されたり、立たないことを責められたり、時にはソレが原因で殺されそうになったりもごく稀にあるらしいけど、男がいつも性暴力を受けているわけじゃない。
というか、むしろ数としては圧倒的に女の方が男の性暴力の被害を受けているはずなのに、荒廃した世の中では、データや論理は無視されて、単なる印象論としての、男の方が立場が低くなった、男は女に虐げられている、といった馬鹿げた意見がまかり通ってしまうのだ。
寝苦しい夜に、額にたまったじりじりとした熱が更に僕の眠りを邪魔してくる。
涼しい風をあびたくて僕は鎧戸の窓を開けた。
お目当ての夜風の前に部屋に入ってきたのは、淡くて冷たい月の光だった。
そういえば、あの時も、こんな月だった。
額の熱が身体に降りてきて、胸の奥がぐっと締め付けられるように、熱くなった。
僕は月が恋しくて鳴く狼みたいに、何かが恋しくて、叫びたくなった。
僕は、自殺率99%と言われているこの世界で、今まで一度も死にたいと思ったことはなかった。
それは珍しいことだったかもしれないし、みんなが本当は心の中で思っていることだったのかもしれなかった。
でも、僕は、あの時死のうとした。
いや死のうとしたわけじゃなかったけど、何かに導かれるように、僕は海に溺れに行った。
そして、あの時ほど死にたいと思ったことはなかった。
あの時ほど、生きたいと思ったことはなかった。
僕はあの海の中で、何かを見た気がしていた。
「それで、何を見たの?」
コーンスープを飲みながら、昨日の女が僕に尋ねてくる。
「かみさま」
「え? かみさま?」
女はその四文字を聞くと、聞いたこともないくらいのボリュームで笑い出したっけ。
「かみさまって」
「わらうなよ」
そう言ったけど、僕も笑っていた気がする。
人が本気で笑う顔を久しぶりに見た気がしたし、自分が笑うのも久しぶりだった。
「ごめんね。でも、いいじゃん。私も神様になら、恋しちゃうかもしれない」
女は笑いながらそう言ったけど、目は本気のように見えた。
恋が実るといいね。
それだけアドバイスして、女は気持ちよさそうに寝ていた。
「どうやったら、神様との恋が実るんだよ」
一口だけ吸ったタバコを、窓からコンテナに投げつけて僕はベッドに横になった。
そして、僕は隠れるように、でも神様に見られてしまうことを心の奥では望みながら、身体にどうしようもなく籠もった熱を開放したくて、行為した。
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