第6話 ママはだれ?


 あぁ…。

 一気にどっと疲れが押し寄せる重たい空気。

 テキサスと顔を見合わせる。

 そしてお互いに同情するような目で、ちらりと女を見る。

 まだ、ほんの4、5歳。

 手入れの行き届いたロングの黒髪に、この世の1%の醜さだって見たことがないような無垢な瞳。お花畑にピクニックでもしにきた真っ白なワンピース。

 再びテキサスに視線を戻し、無言で会話する。

 (どうするんだよ。こいつ、捨て子だぞ)

 

「だから、ひめ。今日からお父さんと暮らすの」


 女はさらっとそう言ったけど、自分がどういう状態なのかわかるわけもない。

 不思議そうに味噌汁を見つめながら、飲むわけでもなく、ふぅーって息を吹きかけて、波をたてて遊んでいた。

 

「そっかぁ。ひめ、お母さんとバイバイして来たんだな」


 僕の戸惑いを無視するように、テキサスは女に話しかける。

 さっきよりも、ほんの少し優しい声だった。

 そういう態度が、逆に女の為にならないのに。


「たばこ吸ってくる」


 どうしようもないくらい、この場にいるのが無理だった。

 僕はテキサスみたいに優しくできない。

 自分への怒りと、こんな小さな子どもを猫みたいに外の世界に放り出した屑親に猛烈に腹が立った。もちろん、そんな事が平然と起きてしまう、この世界にも。


「いっぱい食べな、腹減ってただろ」

「うん!」


 テキサスの声と、もぐもぐと何を喋ってるのかわからない宇宙人みたいな声が背中から聞こえる。

 僕は開いていた窓に腰掛けて、タバコに火をつけた。

 天気は、僕たちの世界とは何の関係もなく、いつもみたいな晴れた青空で、ただ、風だけが気持ちよかった。


 ◇


 孤児なんて珍しいことじゃない。

 この世界で、未成年の親による育児放棄なんて、社会問題を通り越して、常態化している。

 理科の実験みたいな簡易さで、次から次へとピペットから精子を卵子にぶっかけて、未成年は子供を作る。

 ほとんど相互の同意もなく、理性も責任もなく。

 崩壊しかけている文化の基準で最低限の教育や暮らしを公共から与えられて、後は勝手に生きてくれ、くれぐれも自殺する前には一人子供を作るように、とか言われて。

 そもそも、この世界で生きていて一人じゃないことの方が珍しい。

 大概生まれる時は一人で生まれるし、どれだけ愛情をかけられても、他人は他人、一緒にいても抱きしめられても、身体がひとつになったり、心が溶け合うことも、現実では起きない。

 だから孤児だって、年齢が少し低いだけで特別扱いされることもない。

 そこまで同情をかけられることもないし、逆に差別されることもない。

 愛の反対は無関心だと教えられた時、僕は一生人を愛することはないんだろうと思った。もちろん、自分が愛されることも。

 この世界では誰もが無関心を貫いている。

 自分が生きることに関心をもてないのに、どうして他人に、世界に、関心を持つことができるのだろうか。

 なぜそれを、求められなくちゃいけないんだろう。

 

「ごちほうはま」


 パチンと両手を合わせる音が聞こえて、振り返ると、女が口をもぐもぐしたまま、ごちそうさまをしたみたいだった。

 

「美味しかったなぁ」


 飲み込んだ後、寂しそうに一言呟いた。

 そんな顔することないじゃないか。

 お昼にまた会えるんだからさ。

 

「ひめ、食器もってきて」


 キッチンからテキサスの声が聞こえた。

 流しに水を流して、洗い物をしているらしかった。

 器用な指先のくせに、洗われる食器がぶつかる雑な音が響く。

 おいおい、大丈夫か?

 お前が洗い物なんてしてるとこなんて、この前の彗星以来見てないんだが。


「ほい」

 

 ケチャップとソースがついたお皿を重ねて、女がテーブルから立ち上がる。

 いつ付いたんだ?

 そのケチャップとソース。


「雪も手伝えよぉ」


 言われなくても手伝っていた。

 重ねたお皿を持ってふらふらキッチンの方に歩き出した危なっかしい動物が、ガッシャーんとやってフローリングを汚さないように、僕は女のぴったり後ろについて歩いた。

 

「んん?」


 なんでついてくるの?ってか。

 そんな顔で僕を見てないで、ちゃんとして前を向いて歩け。

 

「じーっ」


 足を止めて目を細め、口をきゅっと結んだ。

 …。

 だから睨めっこじゃないって。


「きゃあ」


 空いていた女の脇に腕を通して、引っ越しの段ボールだと思って無心で持ち上げた。

 このままお皿ごと運んでやる。


「たかいたかーい!」


 ちがう!  

 話が通じないから、実力行使に出たまでだ。


「なんだ雪、ひめに遊んで欲しかったのか?」

「ほしかったのかぁ?」

「そんなんじゃねえよ!」


 なんでお前らそんな結託してんだ?

 類は友を呼ぶってやつか?

 お前ら二人とも宇宙人だろ。


「きゃあ」

 

 それなら宇宙に帰してやろうと、僕はワンピースを着た、やけに軽く感じた珍獣を、更に高く高く持ち上げた。

 陽射しに届いたワンピースがキラッと光って、風が吹いたみたいに、長い黒髪がふわっと宙に舞った。

 

「おぉ」


 決して、遊んであげたわけじゃない。

 僕達がお前と一緒で親に捨てられた仲間だから、同情してやったわけでもなかったし、

 僕が子供が好きだからでもない。

 辛い状況なのに、その事に気がつかないで、のほほんとしてる間抜け面が見てられないから、本当にそのままどっかいっちまえと思ったから、僕は女を高く高く持ち上げたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

画面の中の神様 倉科光る @kurahika

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ