第5話 たこさりんな

「タコのあかちゃん、タコのあかちゃん!」


 まさか二日連続まともな朝食を食べる事になるなんて。


「テキサス、タコの赤ちゃん!」

「えっ? タコの赤ちゃん?」


 自らを姫と名乗る、年齢不詳の四頭身。

 新じゃがみたいな小さな右手。

 不器用に握り締められたフォークには、タコの赤ちゃんではなく、タコの形に人工的に加工された豚肉が刺さっていた。


「なんだ、ヒメはタコさんウィンナー食べたことないの?」


 まだ眠そうに、ブラックコーヒーを飲みながら、テキサスは言った。


「たこさりんなぁ? これ、タコの赤ちゃんじゃないの? たこさりんなって言うの?」


 たこさりんなって、なんだよ。

 ていうか、普通にテキサスって呼んでるし。


「たこさりんなって言うてなぁ、ヒメ、豚のお肉なんや」

「ほぇー」


 間違った知識を関西弁で教えるな。

 あと、普通にこの女の事、ヒメって呼ぶな。


「言っても俺も久しぶりに食べたわ。たこさりんな。マジで10年ぶりくらいかも」

「あんまり食べられないの? きちょう? ねえ、テキサス、たこさりんなって貴重?」


 テキサスはコーヒーの入ったマグカップを口から離すと、皿の上で山盛りになっていたタコさんウィンナーの一つを手掴みで食べた。


「貴重やで。偉い偉い豚さんなんや!」

「ほぇー」


 女は刺さったタコさんウィンナーを短い腕で目一杯高く掲げると、少しの間食い入るように見つめて…。すぐに口の中に放り込んだ。

 …。

 ごっくん。


「おいしいのう」


 おい、お前今一回も噛まなかっただろ。

 

「おい、雪よかったなぁ。手料理おいしいってよ」

「いや、別に手料理ってわけじゃ」


 そんなことよりテキサス、こいつ、今噛まないで食ってたぞ。

 子守してるつもりなら、ちゃんと見とけよ。


「雪ったら照れちゃってまあ」


 テキサスは揶揄うように声をうわずらせて、もう一個手掴みでタコさんウィンナーを食べた。

 

「そんなんじゃねえっつうの」


 僕もものすごい早さでなくなっていくタコさんウィンナーに箸を伸ばす。

 このままだと全部食べられちまう。

 ぱくぱくぱくぱく。 

 …。

 僕の箸の隣で、小さな手が皿の上を高速で出たり入ったりをして、タコさんウィンナーを掴み取って行く。

 なんてはしたない生き物なんだ。

 お前はもぐもぐしない星からやって来た、もぐもぐしない星人か?

 

「みて!」


 女が突然、こもった声で注意を引いた。

 口にはタコさんウィンナーが中途半端に咥えられていて、足の部分だけ外に出てた。


「いそぎんちゃく!」


 あそぶな。


「あははは。ゆき、この子天才か?」


 違う。

 ただの子供だ。

 女はテキサスを笑わせて満足だったのか、タコさんウィンナーをまた噛まずに飲み込もうとした。

 おい、だから…。

 

「ちゃんと噛めって」

「?」


 びっくりした顔をして、動きが止まる。

 ?じゃない。

 ちゃんと噛めって。

 

「なに? なんて言った、ゆき?」


 テキサスはまだ笑っていた。

 お前に言ってない。


「何でもない」


 僕は箸で掴んだタコさんウィンナーを口まで持っていき、入れ、大袈裟に顎を動かして、タコさんウィンナーを何度も噛み潰した。

 じーっ。

 女は口にタコの足を飛び出させたまま、たいそう間抜けな表情で、その様子をじいっと見ていた。


「ごっくん」


 音が鳴るくらい大袈裟に飲み込むと、女と目が合った。

 じー。

 なんだよ、怒られるの初めてだったのか?

 ショックでも受けたのか、目を大きく見開いて、僕のことを瞬きもせずに見つめていた。

 しかし、ほんとに、おっきいなお前の目。

 それは、まるで、宇宙を閉じ込めたみたいな、暗くて広大な、深海のような…瞳で。

 なんだか吸い込まれそうだった。

 そして、そう思った次の瞬間、タコの足が口に吸い込まれた。

 いや、そっちかよ。


「もぐもぐもぐもぐ」

 

 女は僕のことを見ながら、わざとらしくゆっくり大きく咀嚼した。

 それは、怒られた当てつけかと最初思ったけど、どうやら違ったみたいだった。


 「ごっくん」


 雛鳥がお母さん鳥の真似をするみたいに、

 女はおそるおそる、と言った感じで目をぎゅっと結ぶように閉じて、タコウィンナーを飲み込んだ。

 …。

 へんな、やつだな。

 目を開けて、唇をぺろり。


 「おいし」


 年頃の女みたいな口調で短く言葉を切る。

 そんなんは、やってない。


「ヒメは、焼いたのと茹でたのどっちが好き?」 


 テキサスが普通の子供と相手しているような塩梅で会話を発生させた。

 やめとけ。なんかこいつ、ちょっと変だぞ。


「ヒメは、生が好き!」

「危険な発言だな」

 

 テキサスがニヤッと笑って僕の顔を見た。

 やめろ、品のない。

 子供ってこういうの大人になった時覚えてるもだぞ。


 「テキサスは生好きじゃないの?」

 「生はお腹壊しちゃうよ。俺はやっぱり茹でたやつかな。」


 テキサスはまたタコさんウィンナーを一つ取って食べる。

 それ、茹でてないけどな。

 袋を開けて器に全部ぶち込んで、少量の水と一緒にレンジでチンしただけだから。


 「米も炊き立てだよ、やっぱ日本人だよな」


 テキサスはコーヒーを飲み干して、ようやく米に手をつけ始めた。

 まぁ、それも、レンジでチンしたやつだけどな。

 自分で女を誘ったくせに、テキサスは全く料理が出来ないので、朝食は全部僕が用意した。

 食卓の真ん中には山盛りのタコさんウィンナー。

 そして各々の席にご飯と味噌汁が置いてあった。


「ご飯と味噌汁なんて、百年ぶりくらいの組み合わせだなぁ」


 テキサスはしみじみと言った。

 まあ、味噌汁もインスタントだし、ちなみにお前が今使ってるお茶碗は、駅で死んでたホームレスの遺品だ。入れ歯置きに使ってたらしい。


「テキサスは長生きなのだなぁ」


 女は今度はテキサスの口調を真似して、しみじみと言った。


「ところでさ、ひめ。お前どっから来たの? お母さんは?」


 二人の会話を無視して朝食を楽しんでいた僕だったけど、箸が止まった。

 ようやくこの質問か。


「ひめぇ?」


 質問するためには、朝ごはん食べさせてあげなくちゃいけないなんて、お姫様を育てるのはコスパが悪すぎる。


「ひめは海から来たのだ」


 女は味噌汁の入った器を両手で持ち上げて、中を見るような仕草をして言った。


「海?」


 また、変なこと言ってるわ。

 テキサスも僕も最初そう思ったのに、女が発した次の言葉で、空気が変わった。


「うん。お母さんがね、お父さんの所で育ててもらいなさいって、ひめ、そう言われたの」

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