画面の中の神様

倉科光る

第1話 溺れる

 ビルから飛び降り自殺した、少女の履いていた黒いスカート。

 僕が今溺れている海は、それくらい、誰かに助けを求めて絶叫してるみたいに、激しく波打っていた。

 人の死に流行りというものがあるなら、溺死は少し旬を過ぎてるかもしれない。

 同世代の最近の流行りは、トラックに轢かれるとか、電車に轢かれるかのどっちかで、海で溺れて死ぬのは、あんまり、ラノベでもネットでも見ない。

 たまに、不幸な子供が、神様の間違いで、溺れてしまったりはするけど。

 そして、いつもはボカロでしか聞かない、死にたいとか死にたくないとか、そういった言葉が自分の喉から無理矢理世界に押し出されて、初めて気づく。

 ああ、今までの人生全部、嘘だったんだって。


 そして、こうも思う。

 嘘だったんなら、もっと上手に、もっと自分に優しい嘘をついて生きていけばよかったって。

 なんで私たち、あんなにわざわざ、苦しんで生きていたのって。




 僕は、死にたかったのだろうか。

 溺れていて、呼吸が出来ず、今にも意識が飛びそうなのに、何故か恍惚としていて、身体は痛みという概念を忘れてしまったみたいに、全ての知覚は満たされていて、今僕は、欲しいものを絶えず供給されているエネルギーの塊に成り果てていた。

 この幸福感はなんなんだろう。

 精神に何の負担もない、身体に物体としての重みを感じる事もない。

 仰向けになって星空でも眺めてるみたいに、遠ざかっていく死と生命の境界線を見つめていた。

 僕の身体が動いた分だけ、形を変えて抱き寄せてくれる海の波。

 体は沈んでいくのに、肌をなめる海の泡が、空に浮かんでるみたいな浮遊感を錯覚させた。

 呼吸の仕方も忘れたくらいなのに、開いた口からは、生きる為に必要な全ての栄養が注ぎ込まれてるようで、あらゆる生命に対する優越感がそこらじゅうにほとばしった。

 それと同時に、このエネルギーの塊みたいな僕の身体から、生命の源である海が、懇願するように、切実に何かを欲しているのを感じた。


「ほしい…ほしい…」


 僕は我慢することができなかった。

 人間に与えられたほんのわずかな理性は、耳元で囁かれた、自然の蠱惑的な言葉にすぐに支配された。


 もっと、聞きたい。

 もっと、その言葉を聞きたい。


「だして、だして。ぜんぶ、だして」

 

 だして、だして。ぜんぶ、だして。

 頭の中で、同じように繰り返すと、僕の身体はマグマみたいに融解しだした。

 一瞬で眠りに落ちてしまうくらいの強烈な脱力感に襲われた僕は、最後に、海の神秘的なまでの美しさを一目見たくて、自然と人間との間に存在していた、ある禁忌を犯してしまった。


「だめ、みないで」


 脳がとけていくような、海の中とは思えない温もりを身体に感じて、僕は形がなかったはずの海の泡から何かを掴んで、一生僕のものにしたくて、抱きしめた。

 

「だして」


 その声は、何の媒介もなしに、直接耳へと伝えられ、遺伝子レベルで僕の脳を振動させた。

 そして、僕は見てしまった。

 深海のような月夜のような常闇に浮かぶ、生命の神秘を。

 自殺率99%のこの世界で、僕がどうしても生きたいと願ってしまった神である君の、あられもない人としての姿を。


 


 

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