画面の中の神様
倉科光る
第1話 溺れる
ビルから飛び降り自殺した、少女の履いていた黒いスカート。
僕が今溺れている海は、それくらい、誰かに助けを求めて絶叫してるみたいに、激しく波打っていた。
人の死に流行りというものがあるなら、溺死は少し旬を過ぎてるかもしれない。
同世代の最近の流行りは、トラックに轢かれるとか、電車に轢かれるかのどっちかで、海で溺れて死ぬのは、あんまり、ラノベでもネットでも見ない。
たまに、不幸な子供が、神様の間違いで、溺れてしまったりはするけど。
そして、いつもはボカロでしか聞かない、死にたいとか死にたくないとか、そういった言葉が自分の喉から無理矢理世界に押し出されて、初めて気づく。
ああ、今までの人生全部、嘘だったんだって。
そして、こうも思う。
嘘だったんなら、もっと上手に、もっと自分に優しい嘘をついて生きていけばよかったって。
なんで私たち、あんなにわざわざ、苦しんで生きていたのって。
◇
僕は、死にたかったのだろうか。
溺れていて、呼吸が出来ず、今にも意識が飛びそうなのに、何故か恍惚としていて、身体は痛みという概念を忘れてしまったみたいに、全ての知覚は満たされていて、今僕は、欲しいものを絶えず供給されているエネルギーの塊に成り果てていた。
この幸福感はなんなんだろう。
精神に何の負担もない、身体に物体としての重みを感じる事もない。
仰向けになって星空でも眺めてるみたいに、遠ざかっていく死と生命の境界線を見つめていた。
僕の身体が動いた分だけ、形を変えて抱き寄せてくれる海の波。
体は沈んでいくのに、肌をなめる海の泡が、空に浮かんでるみたいな浮遊感を錯覚させた。
呼吸の仕方も忘れたくらいなのに、開いた口からは、生きる為に必要な全ての栄養が注ぎ込まれてるようで、あらゆる生命に対する優越感がそこらじゅうにほとばしった。
それと同時に、このエネルギーの塊みたいな僕の身体から、生命の源である海が、懇願するように、切実に何かを欲しているのを感じた。
「ほしい…ほしい…」
僕は我慢することができなかった。
人間に与えられたほんのわずかな理性は、耳元で囁かれた、自然の蠱惑的な言葉にすぐに支配された。
もっと、聞きたい。
もっと、その言葉を聞きたい。
「だして、だして。ぜんぶ、だして」
だして、だして。ぜんぶ、だして。
頭の中で、同じように繰り返すと、僕の身体はマグマみたいに融解しだした。
一瞬で眠りに落ちてしまうくらいの強烈な脱力感に襲われた僕は、最後に、海の神秘的なまでの美しさを一目見たくて、自然と人間との間に存在していた、ある禁忌を犯してしまった。
「だめ、みないで」
脳がとけていくような、海の中とは思えない温もりを身体に感じて、僕は形がなかったはずの海の泡から何かを掴んで、一生僕のものにしたくて、抱きしめた。
「だして」
その声は、何の媒介もなしに、直接耳へと伝えられ、遺伝子レベルで僕の脳を振動させた。
そして、僕は見てしまった。
深海のような月夜のような常闇に浮かぶ、生命の神秘を。
自殺率99%のこの世界で、僕がどうしても生きたいと願ってしまった神である君の、あられもない人としての姿を。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます