おまけ
天慶の乱より十余年後、下総国相馬郡のとある山中。
初夏の深山というのは噎せ返る程の芳香に満ちている。大輪を綻ばせる山百合が花盛りを迎えるのもこの頃であるし、木々や野草の瑞々しい若芽がようやく葉を広げ切り、夏の盛りを目前に控え大きく深呼吸を始め出す。
そういった生命の息吹の草陰では、命を次に譲った者の屍の腐敗が一気に進むのもこの季節であり、生命を感じるとともに、死もまたその活性を感じさせるのがこの季節の深山であった。
殊に、この小山の付近は十余年前の大乱の折、敗走した将門方残党が合戦の末に全員討死果てたという曰くが残っており、夜になると鬼火が山中を行き交っているなどと言われて昼間でも滅多に人の立ち入ることはない。ごく稀に麓に暮らす馬方の夫婦が国境の関を迂回して常陸の街へ向かうのを見かけるくらいであった。何故わざわざ関所を避けるのか、きっと理由があるのだろうが、丁度今大木の古い切り株に腰を下ろし瞑想に耽っている少女には大して興味のないことであった。
歳は十と四つを数えたくらいか。麓の集落の女童が一人で深山に立ち入るはずがないだろうから、樵か炭小屋か、木地屋の娘か。しかし何れもこの山には住まぬ人種である。
或いはサンカと呼ばれる流浪の民から
はてさて、それにしても面妖なのは、かの娘の座る前に髑髏が三つ並べられていることであった。しかし、この山に髑髏など大して不思議なものでもない。その辺を掘れば芋畑のように幾らでも出てくるものである。それを己の前にわざわざ三つ並べて瞑想していることが実に面妖な事態なのであった。
果たして娘は鬼の類か、または昼間から子狐が変化の習いでもしているところか。
などと取り留めなく娘の正体を勘繰っている間に、不意に娘がすっ、と両手を上げると、何やらゆっくりと九字のような法印を描きながら、真言のような判らぬ呪文を唱え始める。すると、次第に目の前に並べられた三つの髑髏が小刻みに揺れ始めたのである。
からから、からから。
やがて三つの髑髏は蛙のようにヒョイと飛び上がったかと思うと三つが一つの巨大な髑髏となってボウ、と青白い光を放ちながら宙に浮かび始めた。
娘が呪文を唱えながら薄っすらと目を開け、目の前に浮かんだ大きな髑髏と目が合うが、途端にからからと音を立てて再び髑髏は三つとなり地面に転がった。
ふ、と座禅を解いた娘が大の字になって切り株に寝転んだ。
「――ああ、やっぱり難しいなあ!」
と一人で音を上げながら傍らに置いていた折本を手に取ってパラパラと捲る。この本は娘が住まいとしている廃寺の書院に納められていたうちの一巻で、手習いに使えそうな仏典を漁っているうちに見つけたものであった。
何の気なしに読み進めているうちにどうやら仏典ではなく唐渡のまじないの書であると気づき、現実離れした内容ながらもいたく興味を惹かれた娘は早速数日前から「
その辺に幾らでも転がっている髑髏を使って使役できれば、女所帯の娘の家事に大いに役立ってくれるものと期待したが、これならば習得するよりも自分でとっとと家事を片付けた方が余程早い。
(……でも、せっかく見つけたのだし、このまま黴臭い行李に戻すのも勿体ないわ)
寝転がって空を見上げる娘のすぐ近くで雉鳩が地面をつつき回っている。
そう言えば、術に夢中で今日は未だ何も食事を摂っていなかった。
途端に空腹を覚えた娘が身を起こし、住まいに続く獣道を進む途中でふと人の気配を感じ立ち止まった。滅多に人の立ち入らぬ山奥である。娘は腰からマキリを抜いて身構えた。
気配のする方へ向かってみると、偶にこの山を通過する麓の馬方夫婦であった。夫の方は年若く見えるが髪が真っ白なので印象に残っていた。妻の方は物腰から察するに何処かの箱入り娘であろうか。いずれにせよ麓では仲睦まじいことで評判らしい。
「どうかなさったのですか?」
道端に屈みこむ妻の背中を摩っていた夫が顔を上げる。
「おや、こんな山奥に何でお嬢ちゃんが? いや、嫁さんが何か食い物に当たったみたいで急に具合を悪くしちまったんだ。ここからだと麓まで大分降りていかなきゃならねえし、……参ったな」
「あなた、ごめんなさい……」
青白い顔をした妻が申し訳なさそうに顔を上げる。
「頼むから謝らねえでくれよ。お前が具合悪いのに気づかねえで仕事に連れ出した俺らが悪ィんだからよ。……しかし、これじゃ立往生だぜ!」
頭を抱える馬方夫婦に、心配そうに娘が申し出る。
「すぐ近くに私の住まいがございます。荒れ果てた寺でございますし、私と母しかおりませぬが、宜しければ暫しお休みになっていかれませんか?」
「本当かい? それは有難ェ! 俺らはシロってんだ。こっちは秋保。お嬢ちゃんの名前は何て言うんだい?」
地獄に仏と目を輝かせる馬方の旦那に、娘も微笑んで名を告げた。
「
娘の暮らす廃寺は、言葉の通り本当にすぐ辿り着いた。
「こんなところに大きなお寺があったなんて知らなかったぜ」
目を丸くするシロに、五月が困ったように笑う。
「最近はあまり見かけませぬが、この辺りにも僦馬の党という悪い盗賊が出るとのことらしいので、普段から用心するようにしているのです」
「あ……はは。それは気を付けねえとな」
何やら引き攣ったような笑みを返すシロに肩を抱かれた秋保が、未だに青ざめた顔をしながらも不思議そうに首を傾げる。
「……あなた、これはお寺じゃないわ」
「え、何だって?」
「この建物は御仏じゃなくて、
「ほら、無理すんなって!」
慌てて背中を摩るシロ達二人を中に通し、「只今、母を呼んできます」と五月は奥に消えていった。
程なくして、五月が尼僧姿の母親を伴って再び姿を見せる。
挨拶とお礼を交わした後に、横になって休んでいた秋保の具合を五月の母が仔細に調べている間に、五月はシロに語りかけた。
「母は私を生む前の事を覚えていないのです。父もおりませぬ。なので母には名前がないのです」
「それじゃあ、ずっと二人で暮らしてたのかい?」
「物心ついた頃から、このお寺に二人で暮らしておりました」
「へえ、たまに仕事でこのすぐ傍を二人で通るんだが、全然気づかなかったぜ」
やがて五月の母が顔を上げてシロを見つめる。何故か笑顔を綻ばせていた。
「おめでとうございます。ご懐妊でございます」
一瞬呆気に取られていたシロが、たちまち喜び勇んで横たわった秋保の元に這い寄った。
「本当かよ⁉ やったな秋保!」
秋保も涙を流して夫の掌を握り返す。念願の子宝であった。
「きっとつわりだったのでしょう。大切なお身体です。しばらくこの庵で休んでいかれると良い」
慈しみ深い笑顔で二人を見つめていた五月の母がホ、と息を吐きながら袖頭巾を脱ぎ、はらりと肩で切り揃えられた尼剃髪が零れ落ちた。
その素顔を見たシロと秋保が「ああっ⁉」と揃えて声を上げた。
「お頭っ⁉」
「御前様っ⁉」
「どう、……なされたのです?」
驚きの余り素っ頓狂な声を上げる二人の客の様子に、五月の母親も目を丸くする。
「いや、お頭に娘なんかいねえし、齢が合わねえ。じゃあ、この人が本物の美那緒様? ……てえことは、この
「……もしかして、お二人は私の母を御存じなのですか?」
五月もまた、突然のことに目を白黒させながら両者を見比べていた。
この少女こそ平将門息女、五月――またの名を
やがて彼女の活躍はもう一つの将門物語として後世の人々に広く読み継がれることとなる。
完
君が行く道のながてに -「将門記」より- 香竹薬孝 @me13064441q
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