最終話
あの世と言っても、どうやら町の作りは現世とあんまり変わらないみたい。
亡くなってここに来た人の住む家もあるし、スーパーや娯楽施設だって普通にあるよ。
そして今日あたしが訪れているのは、そんなあの世にあるカフェ。いや、カフェと言うより、ここは喫茶店だねえ。
蔦が伸びるレンガ造りの壁に、アーチ型のドア。店の天井には、傘型の照明がぶら下がっている。
まるで昭和の時代にあったようなお店。もといあたしたちがよくデートに利用していた、あの喫茶店によく似ているよ。
本当に、昔に戻ったみたいに懐かしい。店中に流れている音楽も、あの頃のもの。
そして今あたしと向かい合って座っているこの人も、昔のままだ。
「お久しぶりです明子さん」
はにかむような笑顔を浮かべているのは智昭さん。死に分かれてからもう何十年も経っているってのに、あの頃とちっとも変わっていないねえ。
まあ死んだら歳をとらなくなっちまうから、当然か。
死んであの世に来てから二カ月。人づてに智昭さんと連絡を取ったあたしは、今こうして彼と会っている。
昔を思い出す、レトロな喫茶店でね。
だけど久しぶりに会ったっていうのに、話したい事なんてたくさんあるはずなのに、照れくさくてお互い黙っちゃってる。
けどいつまでも、こうしているわけにもいかないねえ。注文していた二つのメロンソーダが届いた後、ようやく口を開いた。
「作曲家になるって夢、叶えたんだね。智昭さんの曲を聞いて、ピンと来たよ」
「おかげさまで。生きてるうちは叶わなかった夢なのに、まさかこっちに来てから叶えられるだなんて。けどそれができたのは、明子さんのおかげですよ」
「あたしの?」
「はい。生前明子さんが応援してくれたから、僕は諦めずに頑張れたんです。一度、別れようって言った事があったでしょ。もしもあの時あなたに作曲を止めていたら、きっとこっちに来てからも曲作りはしなかったでしょう。全部あなたのおかげです。ありがとうございます」
深々と頭を下げちゃって。こういう所も、昔と何も変わらない。
アタシは智昭さんと違って、シワシワのお婆ちゃんになっちゃったってのに、あの頃と同じ態度で接してくれてるよ。
ふふふ、昔は智昭さんの方が年上だったのに、今ではあたしの方が追い越しちゃってるなんて、不思議な気分だ。
「よしてくださいよ。あたしはほんの少し手伝っただけ。夢を叶えたのは、智昭さんの頑張りのおかげなんだから。あたしときたら自分の事で手一杯で、せっかく死んだって言うのに考えるのは残してきた家族の事ばかり。智昭さんに会おうって思ったのは、あの曲を聞いた後だったよ。ごめんね、冷たい女で」
「それでも会いに来てくれたじゃないですか。あれから何十年も経ってるのに、連絡してくれて嬉しかったですよ。明子さんはどうしていました? 幸せな人生を、送っていましたか?」
「そうだねえ。大変な事も多かったけど、まあ幸せだったよ。女手一つで育てた娘も大きくなって結婚して、孫どころかひ孫の顔も拝めたんだから」
「明子さんの娘さんやお孫さんですか。きっと素敵な人達なのでしょうね」
笑いながら、メロンソーダを口にする智昭さん。だけどすぐに、何かに気付いたみたいに、「ん?」と声を漏らした。
「女手一つってことは、旦那さんは?」
「娘が生まれる前に死んじまった――いや、死ぬ前に娘を残してくれた、だね。そのおかげで、幸せな人生を送れたんだ。だからさ、智昭さんには本当に感謝してるよ」
「……へ?」
ニッと笑うあたしを見て、ポカンとする智昭さんだったけど、すぐに気付いたように声を上げた。
「えっ、ええーっ! 待って待って待って。ひょっとして明子さんの娘さんっていうのは、僕の……」
「ふふふ、やっと気づいたかい。そう言うことさ」
目ん玉を見開く智昭さんを見つめながら、メロンソーダを口にする。
まるで悪戯が成功したみたいな気分だよ。
こっちに来るまで抱いていたイメージと違って、あの世からは現世の様子は見れないから、知らなかったみたいだねえ。
学生の身で出産、しかも父親がいないもんだから周りからは色々言われたし、苦労も多かった。
だけどそれでもあの子を産んで、育てて行けて良かったって、心から思っているよ。
「あの頃まだ曲は完成して無かったけどさ。智昭さんの生きた証は、ちゃんと残せていたんだよ」
「そうみたいですね。明子さん……ありがとうございます!」
よしとくれよ。あたしはただ、自分のやりたいようにやっただけなんだから。
智昭さんにも娘や孫たちの顔を見せたいけど、生憎それはまだ後になりそう。しばらくはあたしで我慢してもらおうかね。
ニマニマと笑っているとふと、店内に流れている曲が変わった。おお、これは智昭さんの曲じゃないか。
物悲しさを感じさせるブルーノートだけど、あたしにとっては素敵な思い出の詰まった、懐かしい曲。
一緒に行った喫茶店と似た雰囲気のカフェに、あの頃飲んでいたメロンソーダ。目の前には、幸せそうな顔の智昭さん。
あたしだけがお婆さんになっちまってるけど、心はあの初夏の頃のまま。
あたし達は時が経つのも忘れて、積もる話に花を咲かせていった。
了
初夏色ブルーノート 無月弟(無月蒼) @mutukitukuyomi
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