第4話
遠い昔の事を思い出しちまったよ。
まったく、智昭さんには困らせられたもんだよ。あの人、女心が全然わかってなかったからねえ。
だけどそんな所もふくめて、あたしはあの人のことが好きだったよ。
懐かしい気持ちが込み上げてきて。まだコーヒーを飲み終えていないってのに、店員さんをつかまえて追加注文をする。
「メロンソーダをもらえるかな。急に飲みたくなっちゃってね」
「メロンソーダですね。かしこまりました」
オーダーを取って、カウンターの奥へと消えていく店員さん。
あの後智昭さんからメロンソーダをご馳走してもらって、あたしたちは交際を続けたんだったねえ。
智昭さんが言っていた通り、あれから彼の身体は徐々に病魔に蝕まれていったけど、そんな中あたしたちはたくさんの時間を一緒に過ごした。
手が思うように動かなくなった智昭さんに代わって、あたしがギターを弾きながら、曲作りをしたっけ。
一緒にコンサートにも行ったし、おいしいものも食べた。二人で夜を過ごした事もあったねえ。
だけど結局曲が出来上がらないまま、あの人は逝ってしまったよ。
あの時の悔しさは言葉にできない。完成まで、後少しだったって言うのにね。
けど、だからこそ不思議。未完成に終わったあの曲とそっくりな音楽が、店内に流れているんだもの。
智昭さんが曲を考えて、あたしが下手な演奏をしていたあの音楽が。
流れる曲に聴き入っていると、店員さんがメロンソーダを運んできてくれた。
「どうもありがとう。ところで今流れているのは、いったい誰の曲だい? 現世では聞かないけど」
「ああ、これはあの世で有名なミュージシャンの曲ですよ。何でも生前完成させることのできなかった曲を、死んだ後に作り上げたとか。向こうでは有名な曲で、作曲者は高嶋智昭さんという方です」
死んだ後に作り上げた!?
聞いたのが、メロンソーダを口にする前でよかった。もしも飲んでいる途中だったら、きっと盛大に吹き出していたに違いないもの。
「くっ……くくく。はははははっ! なんと、そういう事かい!」
急に笑い出したあたしを見て、店員さんが不思議そうな顔をしているけど、これが笑わずにいられるかい。
まったく、生きた証を残したいなんて言っといて結局未完成に終わった曲を、まさかあの世で完成させるとはね。
あの人らしいと言うか、なんと言うか。智昭さん、アナタはよくやったよ!
ようやく笑いがおさまると、メロンソーダに口をつけながら、流れてくるメロディに耳を傾ける。
もの悲しさを感じさせるブルーノート。だけどあたしにとっては懐かしい、元気をくれる曲さ。
こうしていると、なんだか昔に戻ったみたいだねえ。
病魔が進行した後、智昭さんは病院のベッドの上で、「僕が死んだら、僕の事は忘れてくれていいから」って言っていたっけ。
いつまでも死んだ人のことを、引きずっちゃいけない。二人で作った曲の事も、思い出さなくていいからって。
その代わり生きてる間は、ちゃんと僕を見てほしいって言ってくれたあたり、あの喫茶店の一件からちょっとは成長していたけどね。
けど冷たいことに、あたしは本当に時が経つにつれて、曲の記憶がだんだんと曖昧になっていったんだよね。
子育てに追われてギターを弾く暇もなくなったからねえ。どんなに思い入れのあった曲でも、聴かなくなったら思い出せなくなるものなんだ。
けどまさか、こんな形で思い出させてくれるだなんて。
メロンソーダを飲み終えると、杖をつきながら席を立つ。
もういいかげん、列車が来てもおかしくない時間だ。
店を出るとさっき聴いていた……いや、智昭さんと一緒に作っていた曲のメロディが、自然と口からこぼれてくる。
向こうに行ったら、智昭さんに会いに行ってみよう。あたしはもうしわしわのおばあちゃんになってしまったけど、智昭さんはどうしているかねえ。
今でも変わらずに、作曲を続けているのかもしれない。
ありがとね。アナタのおかげで、旅立つ楽しみがひとつ増えたよ。
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