初夏色ブルーノート

さこゼロ

零れたメロディは爽やかな初夏の色

 スポットライトの下で過ごす目まぐるしい毎日。そんな中、年に数回のオフの日は、明子は決まって地元行きつけの喫茶店に足を運ぶ。


 初夏の日差しは眩しくて、玄関を出たところで、急いで麦わら帽子を取りに戻った。


 明るい茶髪を隠すように被る、黒髪のウィッグは両おさげ。清楚な白いワンピース姿と相まって、何処から見ても品の良い夏のお嬢さんだ。


 閑静な住宅街を歩いていくと、やがて開けた道路沿いに一軒の喫茶店が姿を現す。


 流行りの珈琲チェーン店ではなく、昔ながらの純喫茶。重い木枠の扉を押し開きながら、明子は薄暗い店内に踏み込んだ。


「いらっしゃ…い」


 ガラランと鳴るドアベルに気付いたマスターが、明子に向けて一瞬驚いたような顔を見せる。


 向かって左側に並ぶテーブル席の一番手前には、三人組の主婦が芸能人の会話に花を咲かせていた。


 慌てて麦わら帽子を目深まぶかに下げると、明子は右側に並ぶカウンター席の一番奥に腰を下ろす。そこは彼女にとっての指定席だ。


「ご注文は?」


「ブレンドで…あ、今日は少し暑いから、やっぱりアイスコーヒーで」


 マスターは無言で頷くと、壁際にある機械を何やら操作する。すると店内に流れるメロディが、聞き覚えのあるオルゴール調の曲に変化した。


(あ、この曲…)


 明子は聴き入るように目を閉じる。


 あれは今から五年前、


 高校三年生で、私の髪がまだ今日と同じ髪型だった頃…


 私がこの業界を、目指すきっかけになった曲。


 大好きな智昭が、あの日教えてくれた曲。


 〜〜〜


「何、聴いてるの?」


 初夏の日差しを浴びながら、明子は隣を歩く智昭に声をかけた。


「…ん」


 智昭はそれには答えずに、片方のイヤホンをそっと差し出す。明子はそれを受け取ると、身体を寄せて耳にはめ込んだ。


 それは、聞いた事のない歌だった。


 女性ボーカルの洋楽で、凄まじいまでの声量が身体の芯にまで響いてくる。そのあまりの衝撃に、明子は歩くのも忘れて聴き入った。


「スゲーだろ?」


「うん、凄い」


 智昭のドヤ顔に、明子は素直に頷く。


「私も、こんな風に歌ってみたい」


「なれるんじゃないか? お前、歌上手いから」


「もお、そんな適当言って」


「本気だって。それなら俺は、プロデューサーでも目指そうかな」


「…え、ホント⁉︎」


「だってアイドルとプロデューサーって、何か卑猥な感じがするだろ?」


「も…もおおおっ、真面目な話をしてるのにっ」


「俺だって真面目に話してるよ」


 そうして笑いながら逃げる智昭は、明子の目には本当に輝いて見えた。


 〜〜〜


 それから二人は同じ大学に通い始め、二年生の頃に、明子はひとつのオーディションを受けた。


「合格したら、俺もその事務所に就活かけるよ」


 あの日の会話を覚えてなのか、智昭のそのひと言は明子を充分に勇気付けた。


 そうして訪れた発表の日…


 何故だか、智昭に連絡が付かなかった。


 奇しくもその日はバレンタイン。


 明子はチョコレートと一緒に、合格通知の写しを智昭の家の郵便受けに入れておいた。


 その後、智昭の父親が病気で倒れ、彼が家業を継ぐ事になったと知らされた。


 〜〜〜


 カランと氷の鳴る音に、明子は現実へと連れ戻された。いつの間に置かれていたのか、アイスコーヒーが汗をかいて雫が流れ始めている。


 明子は一気に半分ほどをストローで飲み込むと、添えられていた一粒のマロングラッセを口の中に放り込んだ。


 この店に、マロングラッセをそのまま出すメニューなんて存在しない。そこに込められた意味に微笑みを浮かべ、明子は残りのアイスコーヒーを一気に飲み干した。


 それからお会計を済ませて店を出る。


 初夏の日差しを見上げながら、明子は麦わら帽子を被り直した。


 私たちは、何の約束もしていない。


 だけど、


 私がこの喫茶店に通う限り、


 彼がこの珈琲を出す限り、


 私たちの未来は、いつか何処かで繋がっている。


 そう信じて、今日も私は歩き出す。


 夏の気配を感じる青い空は、何処までも高く澄み渡っている。


 明子の口から零れたあの日のメロディは、いつまでも青い空に吸い込まれていった。




 了

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