第6話:桜と水竜 前半
第6話:桜と水竜 前半
ニアさんがイロハ先輩に担がれ、消えてしまいました。
あれから既に数時間が経過しています。
私は崩壊した食堂に集まり、先生達から話を聞きました。
「それでニアさんはどこに……?」
「わかるわけないだろう、水竜の暴走に食堂の崩壊、怪我人の確認までやってるんだ。死に損ないの確認なんて後回しだ」
倫理学の先生の返答はそのようなものでした。非常に仏頂面で告げるものですから、流石にこちらの不満だって漏れてしまいそうです。
それが顔に出ていたのか、基礎魔術の先生が間に割って入り状況の共有など進展のある話に繋げてくれています。
子供だから気遣われたのでしょう。しかし、そうは言われてもニアさんや、マリアさんだって心配で仕方ありません。
「やあ、サクラくん」
気付けば、イロハ先輩が隣に居ました。
現在、私達は暴走した生徒達から何とか逃れ、こうして食堂に集まっているのですが、その食堂はと言うと、最早食堂は食堂としての機能を保っているとは言えません。
壁一面に大きく抉られたような痕跡があったり、元より存在した清潔感も、有象無象の血や肉片によって見る影も無いのです。地獄のようです。
馬鹿らしい話ですが、この状況には私も絶望してしまい、食堂の隅にしゃがみ込むしかなかったのです。
「何ですか先輩、あなたがニアさんを連れて行ったのに、そのあなたがニアさんを見失うって……とんだ無責任ですね」
「君からそんな批判が来るとは思わなかったよ」
私の言った通り、食堂で先輩を見つけた瞬間ニアさんについて問い詰めました。しかし先輩はあろうことか、信じられない返答をしたのです。
「でも仕方ないだろ? 寝てたんだもん」
マリアさんに殴られ、気絶した。と語りました。
私はこれに呆れもしません。何せ先日から妙な行動や言葉ばかり並べてきたような先輩です。きっと食堂でも変な言動でニアさんやマリアさんを困らせたのでしょう。
ですから私は冷静になろうとしているのです。
「まぁまぁ、過去のことなんて忘れてさ、切り替えてこうよ!」
気付けば先輩の胸ぐらに手がかかる直線でした。でも、そうして飛び付こうとした矢先、私の視界に入ったのは何十、何百もの怪我人や、その手当てに回る人々です。
そのせいか、不思議と脱力してしまいました。というか戦意喪失です。この状況において、人を治す術を知らない私は役立たずなのだと……そこまでは言わなくても、そうなっている状況に、私の声は押し殺されるのです。
「そうですね……実際、あの講義室の中でニアさんを守りながら逃げ出すのは困難でした」
「そうだねぇ。しかし『力の魔法使い』が付いていたとは言え、よくも無事ここまで来れたものだよ、サクラくん」
先輩の言った通り、基礎魔術の先生は『力の魔法使い』と呼ばれ、皆に評価されるほど秀でた方だったのです。
私も、その卓越した技術には驚きました。てっきり物を浮かす程度に留まるだろうと思っていました。
ただ、あの先生が大勢の暴走した生徒に向かって手をかざしただけで、彼らは一瞬にして白目を剥き、その場で倒れ伏していった景色を見ただけで、その考えは変わってしまった。
基礎魔術を極めた彼女だからこそ、他人の魔力に干渉し、魔力の向きを変えただけで鎮静化することができたのです。しかし、それを行った先生の顔色は優れたものではありませんでした。
なんでも、運が悪いと命を奪ってしまうような魔法だと、彼女は言うのです。
そう、魔法なのです。
魔術とは旧来のルールと、決められたルーツから放たれる力。
対して魔法とは、全くの未知から生まれたもの。もしくは誰も見果てなかった最新の魔術です。
彼女が魔法使いと呼ばれる曰くはそこにありました。だからこそ、そんな自分の技術に対して、講義室から出る途中、彼女は告げてきました。
「私の魔法は、研究を進める以外だと、全て人殺しの為になってしまう。だから嫌なんだ」
この世界において魔法とは至高の技。それを否定する彼女は、故にこそ天才なのでしょう。しかし、それが仇ともなっていた。
ふと気になった私は、真っ先に質問しました。
「ニアさん動かなくなりましたよね? あれも同じ魔法ですか?」
一瞬渋った彼女でしたが、返事はすぐに来ました。
「あれは違う。人を殺す魔法……つまり魔力を操作したり、足したり、引いたりするチンケな技じゃない」
「じゃあ一体?」
「あれは、魔力を消滅させる魔法だ」
重く、そして冷たく言った彼女ですが、正直なところ私にはその重みの全てを感じ取ることができなかったようです。魔力というものが、どれほど世界と密接なのか、私にはそれを知る経験や感性すら無かった。
ただ、問い直す時間もありませんでした。
彼女の説明に理解が追い付かないまま、私達は食堂に着いてしまったのです。
それからは大体が語った通り、私はこうして座り込むに至りました。
「サクラくん、幾ら何でも意気消沈しすぎじゃない?」
私の顔色など微塵も伺わない先輩は、陽気に喋り続けています。ニアさんが先輩のことを目の敵にしている理由が、今ならばどことなく理解できる気がします。
「分かってますよ、でも何が出来るのか分からないんです」
「また矛盾した言葉だねぇ?」
「じゃあどうしろって言うんですか」
「またそうやって君は、ベタなセリフを軽々しく吐くんだね」
現状を確認しましょう。
この食堂がこんな惨状になってしまったのは、暴走した生徒達によるものもあります。しかしそれでは半分正解、半分不正解と言えるのです。
現在暴走しているのは生徒達だけではない。
そんな報告が、幻獣学の先生から届いたらしいのです。
何でも、この学園で飼育している幻獣達の一部もまた暴れているのだとか。
それらの多くは個人個人でも対処できるものではあります。
しかし例外が一匹、脱出していることが判明したのです。食堂は生存者や今後の話以上に、その逃げ出した一匹の話題で持ちきりです。
実際、私が来る前の食堂はソイツにやられたせいで、一時的に生徒達や教師達は散り散りになったらしいです。その被害は周囲の状況から一目瞭然でしょう。
ソイツは、無力な人間達ならば何人だろうと簡単に屠ることができる存在なのです。
食堂は現在、その『水竜』という無窮の怪物への恐怖に支配されています。
その水竜とやらは、今でこそ幻獣学の先生が引き付け、この場から離してくれているようですが、それが安心とは程遠いのは暗黙の了解でしょう。
私の顔も、気付かぬうちに暗くなってしまいました。すると唐突に、イロハ先輩は三本の指を私に向かって立ててきます。どういう意味でしょう。
「ひとつ! ニアくんは湖に落ちました!!」
「え?」
「ふたつ! 水竜は学園で暴れまわってます!!」
「は?」
「みっぃつ! この食堂の中に裏切り者がひとり居ます!!」
そう語るや否や、先輩は陽気に笑い見つめてきます。その瞳は、黄金色に輝いていました。
「先輩、その瞳はなんですか……?」
「これかい? これもね、魔法だよ。借り物だけどね」
答えになっていないような気がするのは、気のせいではないと考えたいです。
「でも、この目のお陰である程度のことが見えるんだ。千里眼的な何かだよ」
「その答えが聞きたかったのです。いえ、つまり……えっと」
イロハ先輩は私の肩を軽く叩きます。
「人が死にそうな時ほど、物語は盛り上がる。けどね、本当に死んじまったら観客は静まり返るんだ。全くふざけてるし何より傲慢な奴らだろう。ただ、だからこそね、僕にとってのニアくんは特別なんだよ」
だから君がニアくんを助けてくれないか? そう言葉を続けた先輩の目は、更なる黄金の輝きを燃やしていた。
一体何が、その炎をくべるに相応しい薪となっているのだろうか。
「わかり、ました」
何か喉に突っかかるような声で返す私は、先輩のオーラに負けそうでした。それはそれで癪に障るので、ふと頰を叩いて気持ちを切り替えます。
結局先輩に言われた通り、気持ちを切り替えるという結論に至ったので恥ずかしい限りです。
「ただひとつ聞かせてください。三つ目の裏切り者ってなんですか?」
「それは見てからのお楽しみさ、じゃあ行こうか」
「え、っちょ?」
先輩は私の手を掴むと、人だかりのある方まで歩いて行きました。流石に覚束ない足取りで追随することしか許されませんでしたが、しかし向かった先も何か許されないような雰囲気です。
そこに集っていたのは、まだ余力のある生徒達でした。ある者は現状への嘆きを口にし、ある者は虚しくも地面を見つめているのです。
先程までの私と何も変わりません。
そんな輪の中に、イロハ先輩は平気で突っ込んで行きます。普段ならば悪名高い先輩が魔を差すことに恐れ、逃げ出す人だっているかもしれません。しかし現状はそれすら気にできないほど、酷く萎縮した空気に満たされているのです。
つまるところ、そんな空気の中へ私達は踏み込んだわけです。
先輩は小さく咳払いします。
「あー君達、いつまでそんな、無様で滑稽な姿を晒し続けるつもりかい?」
と、いきなりの爆弾発言に私の冷や汗も止まりませんでした。しかし反応は怒りなどでもなく、やはり嘆き混じりです。
何人か反応こそしましたが、先輩に噛みつくわけでもなく流すような反応。
「先輩、どうするつもりですか?」
「見ててくれ、チャプターワンに相応しい盛り上がりを演出させてもらうよ」
そう言うと、先輩は堂々と手を頭上に構えて指を鳴らします。
静寂に包まれていた食堂に、その軽い音はよく響きます。
ぱちん。
皆がイロハ先輩に視線を向けたと思った次の瞬間、突如として私達は大きな揺れに襲われます。
皆それに気付いたのか、ある者はトラウマでも掘り起こされたかのように頭を抱え始めたり、叫び出す者すら出始めます。
「まただ! また水竜が来る!!」
そう誰かが言った瞬間、この食堂の壁が大きく割れます。
その先に見えたのは、人の何倍もあるような体躯と、それを覆う半透明で青みがかった分厚い皮膚。そして凶悪に歪むトカゲ的な顔面です。
水竜と呼ばれる巨獣が、この食堂に突撃してきたのです。そして食堂真ん中に吸い込まれるように倒れると、砂埃をあげながら沈黙してしまいました。
「頼むから、これ以上食堂を破壊しないでくれー!!」
職員の誰かが嘆く声も、崩落する壁や柱の騒音で掻き消えてしまいます。
巻き込まれそうな生徒を助ける生徒、すかさず戦闘の構えを見せる先生。
現場は阿鼻叫喚としていますが、それでも冷静な者達は残っています。
いえ、少しおかしいです。
水竜は、横倒れになるようにこちらへ飛び込んできました。今だけは活動を止めているのです。
なのに
「おい、なんで揺れが収まらねえんだよ!」
先程から続いていた揺れが止まっていないのです。たしかに水竜は目の前で停止しているのに、どこからでもない、謎の揺れはまだ私達に残り続けています。
私は嫌な予感がして、咄嗟に周囲を確認しました。
「違う、これは建物の揺れなんかじゃない」
男子生徒がぽつりと呟いたのが聞こえます。これに呼応するかの如く、隣の生徒が口を開きます。
「これは、私達自身の揺れよ!」
「……は?」
思わず荒い声が漏れました。
「そうだ! これは俺達の情熱が作ってる揺れなんだ!!」
待ってください、何故生徒達諸君は一同にして顔色を嬉々とした表情に染めていくのですか。
それも伝播するかのように。
「先輩、一体全体何しでかしたんですか?」
「何もしてないとは言えない。ただ少し弄っただけさ」
情熱の叫びは、瞬く間に全生徒にまで広がりました。
ここで私は、彼らに応える訳ではないのでしょうが水竜も体を起こし始めていることに気付いてしまいました。
「水竜が! また動き始めます!!」
渾身の叫びのつもりでした。
「何が水竜だぁ!? 俺達は魔術師だ!!」
なんの自信にも繋がらない言葉です。ただこれに肯定する声で食堂は満たされました。
「では生徒諸君!」
イロハ先輩が格好付けながら、痛々しく手を広げ全生徒に語りかけます。
「反撃だ、魔術師による狩りを始めよう!!」
うおおおおおお!
と、雄叫びで耳が潰れそうになった時、水竜が割って入ってきた壁面から幻獣学の先生が顔を覗かせてきました。
かなり焦った様子であることと、身体中傷だらけであることから、水竜との戦いを想起させます。
あの先生は竜族とのことでした。見た目は尻尾や鱗があるだけで、顔なんか人に近いだけの良く出来た種族だと思いました。ただ、苦しくもですが、あの巨獣とタイマンを張れていた事実は変わりないのだと考えると竜族というのは馬鹿にできないのでしょう。
何より少し年齢は高く見えるのと、女性であると言う点から、この世界の馬鹿馬鹿しさを感じざるをえません。
「おい、お前ら! まだソイツは完全にやられてはいな……え、なんだこの空気!?」
そんな先生は食堂の様子を察知するや否や、この反応です。
徐々に動き始める水竜に脇目も振らず、生徒達が叫び出している。
「いくぞ! 俺達の意地を見せ付けるんだ!!」
教師陣の慌てようも無視できませんが、唯一冷静にため息を吐いているのが基礎魔術の先生でした。
力の魔法使いと呼ばれる彼女には、何か分かってしまったのでしょうか。
先生の視線はイロハ先輩に向いてます。
「じゃあサクラくんには、これを渡すよ」
いきなり手を握ってきた先輩が、私の手の中に何かを残します。
なんでしょう。
「それはコンパスさ。ニアくんの居る方角を示している。結構値の張るものだから、下手に扱わないでくれよ?」
これを貸すと言って、先輩は走り去ってしまいました。その後を焦った様子で追いかける基礎魔術の先生を見るに、先輩は先生から逃げたかったのでしょう。
私にニアさんを見つけ出すという役を任せ。
「危ない!!」
ここにきて何か奮い起こされたように、復活した水竜の凶悪な尻尾が私達を捉えました。
しかし直撃する寸前、その尻尾は生徒を巻き込まずに停止します。
私も目を閉じてしまったのですが、恐る恐る瞼を開かせれば見えたのは真っ赤な炎でした。
「早く逃げて!」
尻尾と私含む生徒達の間に割って入ったのは、アンバー先生でした。
両手から放つ烈火で尻尾を抑え、そのまま生徒の居ない方へ勢いを逃したのです。
アンバー先生の叫びは、その場にいた生徒全員に届きます。しかし届きこそしても響かなかった様子です。謎の情熱を燃やす生徒達はむしろ好き勝手な魔術を放ち始めてしまう始末でしょう。
大人の話を聞かず繰り広げられた魔術による強行は、その図だけ見たら狂気の沙汰ですが、今はこちらの狂気が勝ってしまったようです。
「よっしゃぁ! トカゲが逃げてくぞ!!」
まさか、文字通り尻尾を巻いて逃げて行くでがありませんか。
「追え!! 最初にぶっ倒したやつが優勝だ!!」
え? 優勝とかあるんですか?
「ヘッヘッ、燃えてきたなあ!」
「勝利は誰にも譲りませんよ」
「今晩はトカゲ料理で優勝していくわよ……」
思い思いのセリフを放ちながら、次々走り去って行く生徒達に教師陣も声を掛けますが全くもって良い反応は返っていません。
「仕方ない! 教師陣も行くぞ!! 生徒の安全を守るんだ!」
そう言ったのは倫理学の先生でした。これに賛同しないわけにもいかなかったのか、教師は各々納得のいかない声で返事をし、彼らもまた走り出します。
こうして、人の押し寄せていた食堂から人影などはとうになくなり、ひとりぽつんと私だけが取り残される形となってしまいました。
「なんか納得いきません!!」
この声も、虚しく反響するだけでした。
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