告白は、別の日に。

コカ

告白は、別の日に。





 ――自転車のタイヤがパンクした。


 もう、時刻は昼過ぎになろうかという頃。近道すべく入った田んぼ沿いの小道で、これ以上は進めないと、このおんぼろめ。駄々をこねるかのようだった。

 俺は、ハンドルを強く殴りつける。自転車相手に根性無しめと罵った。

 だからどうしたと、急いでいるんだと、ペダルを踏みつけるように進み、――ついにはチェーンまでもが牙をむいた。

 荒れた息の中、千切れて垂れ下がるチェーンに、目の前が真っ赤に染まる。

 くそ。クソ。クソッタレ。どうしてだよとやり場のない怒りに頭が沸騰する。

 こんなもんいるかと、感情にまかせて自転車から降り、そこで、ようやく気がついた。

 感じている以上に自分の体力は限界で、ある程度運動は出来る方だと自負していたのだけど、まるで作り物のように身体が動かなかった。

 自分の膝は骨が抜けたようにスカスカで、たまらず脇の茂みに転げ落ちた。乗っていた自転車は、鈍い音を立て倒れた。

 もう数時間は自転車をこいでいたわけだし、肺は破れそうで、制服は大量の汗で濡れていた。

 震える足はしばらく動きそうにない。気ばかり急いて、もどかしくてどうにかなりそうだ。

 次の目的地は先日言った商業施設。そこまでは、まだしばらくあるというのに。俺はこんなところでもたもたと、いったい何をやっているんだ。

 雑草の生える路肩に大の字で仰向けのまま、見上げた空は厚い雲に覆われている。その今にも泣き出しそうな灰色の空は、まるで、自分の胸の内を映した鏡のようだった。

 俺は力の入らない掌で、やみくもに雑草を握り締める。どうしてこうなったのかと。

 今日は始業式で、特別な日になるはずだった。少なくとも俺の中では、あらためて言うべきだよな、と覚悟を決めた日だったのに。

 あの春休みの日に、やっと言えたあの言葉。ずっと言えなかったけど、ようやく声に出せたあの言葉。

 あぁでもない、こうでもない。ああ言おう、こう言おう。

 俺にとって初めてで、たぶん最初で最後の大勝負だから、ここ数日、幾度となく頭の中で練習して、……それなのに。

 始業式の日は、一緒に行こう。そう約束したのに。


 ……なぁ、どうしてお前はいなくなったんだよ。


 今日は朝から最悪だ。俺にとって最低の一日だ。

 だって、アイツがいないんだ。高鳴る胸を抑えながら、覚悟を決めて玄関の呼び鈴を鳴らしたのに、――誰も出てこないんだ。

 おかしいと気がついた時にはもう遅くて。

 立ち尽くす俺に、隣に住んでるおばさんが言うんだ。アイツが、数日前に家族で引っ越したなんて、悪趣味な冗談を言うんだ。

 はじめて頭の中が真っ白になって、そんなの嘘だと、これっぽっちも信用できなくて。

 数日前って何日前だよ。変な嘘つかないでくれよ。俺だって、ほんの数日前に、アイツと約束したんだ。それなのに。

 すぐさま手が伸びたのはスマホだった。焦る指先では電話ひとつかけるのも上手くいかなくて、それに、コール音は鳴るんだ。何回も何回も鳴るんだ。でも、アイツは出てくれなくて。

 まるで、あの日が全て夢だったかのような、アイツが言ったあの言葉が幻だったかのような、そんな残酷な妄想が脳裏をよぎり目眩を覚える。

 ちがう。そんなわけないんだ。俺が必死になってぶつけたあの想い。それを確かにアイツは、最高の一言で返してくれたんだ。


 ……どこからか、雨の匂いがした。青臭い草の匂いに、濡れたアスファルトの匂いが混じる。


 シトシトと、雨粒が地面を叩く音がする中、ふと、思い出すのはあのときのアイツの言葉。


 『今度、引っ越すんだよ』


 イタズラに笑うその顔に、――奥歯をかみしめる。

 だからなんなんだよ。たとえそうだとしても、あんまりだろう。

 エイプリルフールだからと高をくくって、端っから相手にしなかったけど、ウソつくなよと聞き流したけれど。

 頬を濡らすのは、この雨粒の仕業だろうか。目元を覆うように片腕を置き、握った拳だけが震える。

 でも、それならそうと言ってくれ。いきなりはダメだ、突然いなくなるのは卑怯だ。こういうのはダメなんだ。俺は、イヤだ。急にお前のいない日々なんて、認めない。どう頑張ったって無理なんだ。

 もちろん足掻いたさ。


 ……引っ越した。その話を聞いてからは無我夢中。なにをどうしてそこまで行ったのか。


 真っ先に飛び込んだのは、職員室だった。今年の担任が誰かなんか知らない。だけど、用があるのは去年までの先生だ。

 普段、あまり騒がない俺だけど、今日だけは落ち着いてなんかいられない。先生は、どうしたんだと目を白黒させていたが、俺が聞きたいのは一つだけなんだ。

 始業式までもう時間はない。先生も忙しいとは思うけど、だけど、なぁ、本当の事を誰か教えてくれよ。

 生意気だと叱られてもいい、罵られてもいい。反省文なら言われた枚数書いてやる。だから、何でもするから教えてくれよ。


 ……もうアイツは、本当にいないのか?


 数分後、俺は学校を飛び出していた。すれ違う生徒達の中に、見知った顔はいたけれど、どいつもコイツも違う。どいつもこいつも違うんだ。

 俺の大好きな、アイツじゃないんだ。


 ……すぐさま空港にも行ったけど、だから何が出来るわけでもなかった。


 とうの昔に飛行機は飛び立っているんだ、どう頑張ったところで追いつくはずもないけれど、もしかするとまだいるかもなんて、ペダルをこいだんだ。

 藁にもすがる思いで、ほんの1%もないような奇跡を神に祈って、一緒に行った店。思い出の公園。もしもを信じて、自転車を走らせた。アイツの影を追いかけたんだ。


 ――はじめは、変なヤツだなと思っていた。


 小学生の真ん中ごろか。遠くから転校してきたアイツは、柔らかな癖っ毛で今より髪も短くて、それでいてあまりしゃべらないヤツだった。男の子のような服装を好んでいたようで、スカートをはいている所なんて、見たのはもっとずっと後。

 後から聞いた話だと、方言がわからなくて、はじめの数ヶ月は言葉を理解するので必死だったらしい。

 でも、なんだか妙に気が合って、見た目も男子みたいだったし、家もそこそこ近かったから、サッカーに野球にと連れ出した。頭数あわせ程度の誘いだったけど、わりかし何をやらせても上手いんだ。アイツは転校が多かったから、なんでも無難にこなせるんだよなんて笑っていたから、そうなんだなと。周りも、単純に遊び相手が増えたもんだからさ、またアイツ連れてこいヨなんて、俺も、おう。また一緒に混ぜてくれよな、なんて、そんなどこにでもあるような友達関係だと思っていた。

 でも、そのうちなんか違うなと感じはじめて。

 きっかけはほんの些細なことで、友人関係で悩んでいるような話を聞いたからさ、どうも、理由は俺みたいだったけど、よく内容はつかめなくて、でも、アイツが苦しんでいるならどうにかしなければと、その程度の認識だった。

 だから、その時の俺は、大丈夫か、と。なんでも俺に言えよ。守ってやるからと、ガキ大将みたいな立ち位置で話をしたんだ。

 でも、つい先日まで気の合う同級生だと思っていたけれど、アイツが妙な愚痴をこぼしたとき、上手く言葉で説明できないけど、俺は必死になって引き留めていた。

 アイツが、


 『キミの迷惑になるくらいなら』


 そう、泣きそうな顔で言うんだ。私は近づかないようにするよ。なんて、無理矢理の笑顔を貼り付けて苦しそうにするんだ。

 その時に、俺はなんて言ったかな。もう忘れちまったけど、同時に、あぁコイツって女の子なんだよなって、今更ながらに、そんな当たり前のことを、なんか意識し始めてしまって。

 多分、その後の中学生活で、丸々三年かけて、俺はアイツに惚れていったんだと思う。

 小さい頃から感じていた、気が合うって事は意外と重要で、歩幅が合ったり、息が合ったり、喜怒哀楽といった感情の振れ幅や、お互いの好ましい距離感。そういうのが、妙にアイツとはしっくりきたんだ。

 恋に落ちるのは一瞬で、冷めるのも一瞬だ、なんて皮肉も聞くけれど、俺の場合はゆっくりと時間をかけて骨抜きにされてたからさ、それに気がついた時にはもう手遅れで、もちろん見た目もそうだけど、性格も、なにもかも全部好きになっていて。

 アイツはすぐ周りと比べて自分を貶めるけど、俺にとっては、それはマイナスの要素ではない。だって、それを全部合わせて、彼女の事が好きになってしまっていたのだから。


 ……でも、そうなると同時に気がついてしまう事も多々あるわけで。


 どうやら、困ったことに、アイツにはそう言う気持ちがこれっぽっちもないみたいでさ、……そりゃそうだよな。俺の一方的な片想いなんだから。

 恥ずかしながらこの年で、初恋だ。アピールの仕方なんて知らないからさ、幸運にも俺のことを親友として見てくれてはいるみたいだったけど、何かを気にしたように、明確に一線引いてくるんだ。

 もしかすると、そういう色恋沙汰があまり得意でないのかもしれないと考えた。それに輪をかけて、となりで俺が不器用なアピールを重ねているんだ。余計に嫌気が差して、辟易している可能性すらある。

 でも、どうにか関係を一歩でも先に進めたかったから、俺は無謀にも、その理由を聞いたんだ。

 たしか、『気になるヤツはいないのか? 』だったかな。我ながら、様子見など一切なし。ストライクゾーンど真ん中の剛速球な質問だったと思うけど、それだけ必死だったんだ。ご容赦願いたい。

 すると、アイツは苦々しい顔をして、キミがそれを聞くのはイヤミだね。なんて、拗ねたように鼻を鳴らすんだ。


 『またいつ引っ越しするかもわからないからね。だから出来るだけ親しい人間は作らないようにしているんだ』


 別れるときに辛いからね。

 少し考える素振りを見せて、そう彼女は言っていたが、何度もそういう経験をしてきたのだろう。この町に来るまでは、引っ越しの連続だったと聞いているし、離れたくない友達だって何人もいたはずだ。そんな小さな頃の悲しい体験が、彼女の次の一歩を妨げているのだろう。

 本当は、それ以上なにかを言う場面ではないのかもしれない。

 引っ越しなんて俺は経験無いからさ、彼女の辛さや悲しみや苦しさ。それらを真にわかってはやれやしないのだから、どんな慰めの言葉でも、余計な一言になりかねない。

 でも。

 でも、それでも。


 『はい、そうですか』と、納得できるほど、この気持ちも安くはない。だから、――俺は笑ったんだ。


 なーんだ、そんなことか、てな具合に、ひと笑い。

 もちろん、隣のバカが空気も読まずに笑ったんだ。アイツはムスッとしてたけどさ、だって、理由がそこにあるとしても、彼女が引っ越してきてから、もう5年以上は経っているんだ。

 聞けば、転勤族といえど、ある日を境に引っ越しをしなくなる場合もあるみたいで、何度も言うけど、アイツと出会ってもう5年。親父さんの仕事の都合だろうけど、それでもとっくの昔に終の棲家として、この町が確定しているのではないだろうか。


 『そう上手くいくかな? 』


 『いくさ。心配すんなって』


 『まったく、どこからその自信がわいてくるんだか』


 『とりあえず、俺は親しい人間になりたいからさ 』


 『……ま、まぁ、善処しとく』


 この会話も、アイツとしては友人を作る作らないといった、その程度の話だろうけど、俺としては精一杯アピールしたつもりではあった。

 なんて、偉そうに長い年月かけて頑張ってきたなんて、そんな物言いをしてはいるモノの、これが恋心かもしれないな。そう疑い始めたのが、ほんの1年前なんだから、我ながら恐れいる。

 きっと、とっくの昔にベタ惚れだったんだろうけど、鈍感というかなんというか。すでに自分の中では彼女の存在は大きくて大切なものだったのに、この気持ちがなんなのか気づいてはいなかったんだよな。

 高校一年の春に、ようやく、これはもしかして。いや、そういう事ではないだろうか、といった具合だもんな。

 人間、気づくときは、あっけないもんさ。

 その春先にアイツが、ヒドく塞ぎ込んでいた時期があって。

 個人的にも気になってはいたけれど、それもほんの三日程度のこと。あれは何だったのかと、聞くべきかどうか迷っていたところを、ゴールデンウィーク頃だったかな。突然、遊びに誘われたんだ。


 『今度、ふたりで遊びに行かないか? 』


 その時のアイツは、学校帰りにさ、妙にモジモジしてるなと思っていたら、いきなりだ。意を決したと言わんばかりに、俺の胸元に遊園地のチケットを突きつけてきて、何をそんなに恥ずかしがることがあるのかと、その時は思ったんだけど、まぁ、その時の様子が、ふいに可愛くて。

 真っ赤な顔で、チケットを持った手がブルブルと震えているんだ。もちろん、俺に断るなんて選択肢はないさ。


 『オッケーだ』


 そう答えた俺に、多分見えてないつもりだろうね。くるりと背を向けたと思うと、小さくガッツポース。もうその日は家に帰り着くまでニコニコで。

 こんなの、どんな男でも変な気を起こすだろう。勘違いの入り口に立っちゃうだろう。

 無意識だったけど、とっくにこっちは特別視していたんだ。この気持ちが何なのか、どうしたいのかは別として、こんな態度とられては、意識をしない方が無理という話だ。

 そのくせ、学校では話しかけてこないんだ。でも、頻繁に視線はぶつかるもんだから、どうかしたのかと、気にかけるのは普通だろう。


 『……別に、どうもしていないよ』


 『そうか』


 『ふふ、そうだよ』


 出会った頃よりも伸びた髪の毛を柔らかく揺らし、ふわりと優しく微笑むもんだからさ、多分、俺もその顔が見たくて毎回話しかけてしまうのだろう。

 そんな高校一年生は、本当にあっという間だった。

 思い返せば、色々なことがあった。

 アイツがまた誘ってくれたから、夏は花火を見に行って。はぐれるからと俺の腕を抱かせたまでは良かったけれど、あんなにも近いのは計算外だった。変態みたいな話だけど、アイツ、メチャクチャ良い匂いがするんだ。そのまま夜空を見上げるわけだけど、頭はクラクラするし、心臓が飛び出しそうだしで、花火なんてこれっぽっちも覚えちゃいない。

 お返しにって俺から海にも誘ったけど、普通、海と言ったら海水浴だろ。だよな? でも、どういうつもりかアイツ水着持ってこないんだぜ。


 『なんだ、私の水着姿が見たかったのかい? 』


 『んなわけあるか』


 『やーい、スケベ』


 『だから、違うって! 』


 結局、なんだかんだではしゃいじゃって、ほら見たことかと濡れ鼠。しかも、当然着替えも持ってきてないって言うからさ。俺の予備のTシャツとズボンを渡して、もちろんサイズなんて合わないんだよ。でも、


 『これがホントのペアルックだな』


 『う、うるさいっ! 』


 帰りの電車で二人並んで寝過ごしたのは笑ったな。

 秋は秋で、一緒にスイーツを食べ歩いた。

 アイツは否定するけれど、その辺の女の子とかわらないんだ。昔から甘いものに目が無くて、とくにこの季節ならサツマイモと栗が大好きで、もちろん俺としては喜んでくれればそれで満足だからさ、


 『ほら、食え食え』


 これも食べてみろと、美味しいぞと、俺は自分のケーキを一口大にして差し出したつもりだったのだけど、


 『お、おい。キミのフォークに刺さったそれを、私が食べるとでも思ったか? 』


 『気にすんなよ』


 『するよっ! 』


 最後には、年配のマスターに『お嬢さんは恥ずかしがり屋だね』と笑われ、


 『私はケーキを食べに来たのか、それとも恥をかきに来たのか』


 そんなやりとりを各店舗で続けたもんだから、そのうちに店の前を通るだけで、店内から手を振られるくらいには好かれたようだ。

 アイツといると、不思議と落ち着くんだ。きっと周りの人たちも、そんな彼女の雰囲気に癒されているのかもしれない。

 たぶん、俺もそうなのだろう。それが彼女の魅力だと感じるし、そこに心臓を打ち抜かれたのだとさえ思う。

 そういうことにようやくはっきりと気がついて、そして、この気持ちをいよいよ抑えきれなくなったのは、その年の冬だった。


 ……笑うなよ。絶対に笑うなよ。


 俺は、アイツからチョコレートをもらえなかったんだ。

 自慢じゃないが、人付き合いは得意なほうだから、チョコレートは色々な子から毎年もらうんだ。

 もちろん、アイツからも毎年『友チョコ』という名目ではあったけど、市販品は味気ないだろうからって、毎回手作りを貰っていたんだ。

 それが、今年になって突然くれなくなるんだもんな。

 どんな心境の変化だろうか、なにか気に障るようなことをしただろうか。いろいろ考えはしたけれど、全く検討つかなくて。でも、だからといってどうしてくれないんだ、なんて、そんなカッコ悪いこと聞けっこないだろう。

 そりゃ落ち込んださ。ぐうの音も出ないほど叩きのめされた。

 今年もきっともらえるだろうと高をくくっていたもんだから、余計にショックは大きかった。


 ――そう、ショックだったんだ。


 毎年、机や靴箱にいっぱいのチョコが入っていて、クラスのヤツらは口をそろえて羨ましいと言うけれど、今俺は、たった1個のチョコがもらえなくて、こんなにも落ち込んでいるのかと気がついて。

 どう考えても、恋愛感情なんだよな。アイツに向けての一方通行のさ。それを、今更ながらに気がついたんだ。チョコがもらえなくて、苦しくて。ようやく、あぁそうなんだな。なんて、落ち込みながら。

 今考えても、その時は勢いだったんだと思う。メチャクチャだった。


 『なぁ……』


 すっかり日の短くなった帰り道。ふたり並んで俺のもらったチョコを食べながら歩くんだ。

 もはや毎年恒例で、彼女は見るからに義理だとわかる市販のチョコレートしか食べないんだけど、ふいに声をかけた俺に、アイツはチョコを咥えたままで、なに? と言わんばかりに首をかしげた。

 欲しいの? なんて、彼女が差し出したチョコレートを受け取りながら、――ホントに恥ずかしいヤツだ。なんでこんなことを聞いてしまったのか理解に苦しむ。――俺は石ころを蹴飛ばすと、ぼんやりと、なんともなしに呟いた。


 『来年さ、お前からチョコもらうにはどうしたらいい? 』


 勢いよく、彼女がチョコレートを吹き出した。


 『な、な、な……キミは突然、なんだキミは!! 』


 咳き込みながら狼狽するアイツの顔を見て、ようやくそこで、なんという質問をしたんだと我ながら恥ずかしくなってしまって。

 お互いに妙な雰囲気にあてられて、その日はふたり、無言で帰路についた。

 これは余談だが、どこにでも、おっちょこちょいな女子はいるもんで、とても気合いの入ったチョコレートが名無しの権兵衛でひとつ、俺のカバンに入っていた。

 見るからに手作りで、それでいて、どこで調べたのか俺の好みを的確についた代物だったから、もしこれをアイツがくれたなら、なんて、ありもしないことを妄想してしまうくらいには、嬉しかった。

 だから、そう。そうなんだよ。

 来年こそはアイツからチョコを貰いたくて、いや、違う。チョコも欲しいけど、そうじゃない。これから先もずっと、大好きな人から『好きだ』って言ってもらいたくて、俺はもう我慢なんて出来なくて。


 ――俺は、ついに覚悟を決めたんだ。


 もう、言い訳なんてできっこない。この、胸を焦がす気持ちを、ごまかせない。

 はじめは、変なヤツだなと思った。そして、いつしか友達になって、一番の親友になって、そして。


 ――俺はゆっくりと起き上がった。上半身だけ、座るような態勢で。


 まだ、足は震え、身体の節々は痛い。髪の先から雫が落ち、身体に張り付いた学生服が気持ち悪い。

 ほんの数分間のにわか雨に、どうやら救われたらしい。

 火照った身体を冷まし、渇いた喉は潤った。おまけだと言わんばかりに、混乱する脳みそまで落ち着かせてくれて。

 雨で濡れた髪を、両手で掻き毟る。

 低く唸り声を上げながら、本当に、自分はバカだと再認識した。

 そうだ。居なくなったんなら、会いに行けば良い。こんなところでひっくり返っていじけているヒマなんて無いはずだ。

 朝からお前は、なんでこんなに頑張って、ボロボロになってるんだ。

 彼女に会いたいからだろう。

 アイツは嫌な顔をするかもしれないけれど、知ったことか。もし拒絶されたとしても、それならそれで笑って帰ればいい。

 そうさ、会いに行く理由なんてこっちが持っていれば良いんだ。どこに居たって見つけ出してやる。

 そして、言ってやるんだ。あらためて俺の気持ちをぶつけてやる。

 あのとき、決めたんだ。たったひとつのチョコを、唯一の存在からもらえなかったあのときに、――特別な人になりたいって。

 友人じゃダメなんだ。親友でも足りないんだ。俺は、その先になりたかった。なろうと心に決めた。なってみせると奮い立った。

 こんなにも、ひとりの人間を想ったのは初めてだった。

 でも、バカだから、ヘタクソにしか出来なくて、あっという間に春休みになって、毎日会えなくなって、会う理由を探してるうちに、時間だけが過ぎていって、焦って、苦しくて、それでも踏ん張って。

 エイプリルフールにかこつけて、必死になって――告白して。

 きっとアイツは、ウソだと受け取ったんだろうな。前の晩は眠れなくて、誘えたのも、当日の朝だったしさ。しかも告白といっても、別れ際に、たったの一言だけだもんな。

 また冗談言ってるな、くらいなもんだろう。そうだよな。よりによってエイプリルフールだもんな。

 もう一度、取り出したスマホを操作する。ずいぶん濡れてしまってはいるが、動作に支障は無いようだ。

 画面にアイツの名前を表示して、


 「……よし」


 ふと、声が出た。同時に、なにか胸の奥に熱を感じた。こんなにも最低な状態で、しかも、さっきまで泣き言ばかりだったくせに、まったく単純なもんだ。人間、心構え一つでこうも違うのか。

 そうさ、ならなおのこと、しっかりと伝えなきゃいけない。

 こんな中途半端なままで、良いわけがないんだ。もしアイツが勘違いしているなら、何度でも言ってやるんだ。

 嘘なんかじゃない。本当なんだと真正面からぶつけてやる。

 それでダメなら仕方ない。やってダメだったのほうが、次に進めるだろうから。

 不思議と、笑みがこぼれる。


 ……会いに行こう。


 なにも違う星にいるわけじゃないんだ。この世界から消えたわけでもないんだ。

 どうにかなる。そう、どうにでもなるんだ。

 先立つものはたくさん必要だけど、あれこれ考えるのは後だ。まずは、そうだな。親に借りよう。

 突然、『好きな子に会いに行く。だから金を貸してくれ』なんて言うんだ。十代の鼻タレが何を言っているんだと、きっと、バカなヤツだと笑われるだろう。だけど、土下座してでも貸してもらおう。

 まだアイツがどこに居るかわからないけれど、これから先、また別の所に引っ越すかもしれないけれど、はじめは、親の力を借りてが精々だけど、……頑張って勉強してさ、いいとこ就職して、張り切って稼いでさ。いよいよそうしたら休みのたびに胸張ってアイツに会いに行ってやるんだ。

 理由なんて、アイツに会いたいからだけど、それがダメならその都度でっち上げれば良い。もちろん、イヤだと言われなければだけどさ。


 ――そう腹を決めたのは、スマホが音を鳴らす数分前だった。


 握りしめた手のひらで、突然鳴るんだ。

 うろたえた。なんというタイミングでかけてくるのかと、もしや近くで見ているのではないだろうかとさえ疑った。

 画面に映るのは見慣れた彼女の名。俺は、もう一度頭の中が真っ白になってしまって、……電話ひとつとるのに気合いを入れ直した。

 しかもアイツめ、まるで何事もなかったかのように飄々としているんだ。


 『ゴメン。転校初日で慌ただしくて、さっきスマホを見てさ』


 何か用かい? なんて、いつも通りの声色で聞いてくるんだぜ。

 朝から必死になって自転車で走り回って、ボロボロになって地面に転がって、トドメだと言わんばかりに豪雨に打たれたというのに。俺は、『この野郎』とか『バカヤロウ』とか、それこそいっぱい言いたいことがあったはずなのに。

 その声を聞いただけで、――胸が詰まった。


 『どうしたのさ、いつもの元気がないようだけど? 』


 そんな、聞き慣れた憎まれ口に、俺が言えたのは、ほんの少しだけ。


 「……なにやってんだよ、」


 壊れた自転車の脇。雨に濡れた路肩の茂みでひとり、


 「……ホントなにやってんだよ、おまえはさぁ」


 スマホの向こうから、なにか狼狽するような声が聞こえてきたけれど、ゴメンな。ちょっと時間を貰いたい。

 ほんの数日前に聞いた声だけど、聞き慣れた声だけど、耳に届いたその時から、喉が引きつり、肺が痛くって。俺は溺れたようになってしまって、息継ぎの時間が必要で。


 『ど、どうしたの。どこか痛むのかい? あぁ、困ったな。誰か近くにいないのかな。私じゃすぐにはそこに行けないし』


 別に、そんなんじゃないけどさ。

 ただ、遠くに離れても、やっぱり変わらない彼女の態度に、俺は、またもや胸が熱くなってしまって。……言葉なんて出てくるもんか。

 心配し続けるアイツの声に、ただただ俺は、変な声で笑うことしか出来なかった。


 ……さっきの大雨で、せっかくの桜は散ってしまったかもしれない。


 だけど、空には、まるで俺の心を映すかのような、とてもキレイな虹が架かっていた。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

告白は、別の日に。 コカ @N4021GC

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ