龍涙入りの鍋(夕喰に昏い百合を添えて15品目)

広河長綺

第1話

美香が光る球体を見つけたのは、夏休み3日目の夕方のことでした。

家の庭の雑草の奥に、直径1センチほどの半透明なボールがあったのです。

美香はクンクン嗅いでみました。

ムッとした湿気をかんじる酸っぱい匂い。

でもこれは夏の雑草の匂いです。

つまりこの球体は無味無臭です。


「お母さーん。龍の涙があるよーー!」

台所で料理中の母親に聞こえるように、大きな声で報告しました。


「何個あるのー?」

「1個しかないね」

「じゃあ晩ご飯のお鍋には使えないわねぇ。個数が少なすぎるわ」

美香のママ曰く、不十分なようです。

「えー。せっかく見つけたのにー」

「じゃあ、こうしよう」明るい声でママが美香に、やさしい提案を投げかけてきます。「お母さんがお鍋作ってるから、美香は漢方薬店のおばちゃんの所に行ってきてちょうだい」

美香は首を傾げました。「何?おつかいってこと?」

「まあそんな感じね。龍涙りゅうるいの処理は見つけた子供がしなければならないというおきてなの」


「この令和の時代に掟とか言うの?古くない?」

「掟という概念は便利なものよ。美香もそのうちわかるわ」

現代っ子のツッコミにママはやれやれと肩をすくめました。

「ふーん」

「納得いかないんだったら、別に行かなくてもいいわよ。でも、そうしたら龍涙が足りないから今日の晩御飯がお鍋じゃなくなっちゃうけど…」

ママにお鍋を人質に取られては、反論のしようがありません。


「わかった、わかった」

お鍋のためならしかたないという諦念を胸に、美香はため息をつきます。ノロノロと玄関のほうへ向かって歩き出しました。

「参りましたよ。行ってくるよ」

「漢方おばちゃんの言うことを良くきくのよ」

背中からの注意事項を「はーい」と聞き流しながら、美香は家を出たのでした。


家の隣に川が流れていて、そこには無意味にくねくねと曲がったオシャレな橋があります。

それを渡ってすぐ右の商店街の一角に、その漢方屋さんがあります。

美香は「失礼しまーす」と呼びかけながら、そーっと店内につま先を入れました。

漢方屋さんの本名不明店主だから、通称漢方おばさん。安直な呼び名です。


しかし、「いらっしゃいませ、龍涙かい?」と言いながら出てきた90歳ほどの老婆をみると、その安直なネーミングも仕方ないと納得できます。

ジャラジャラと派手な色の宝石や板を体中からぶら下げています。

薄暗い店の棚に並ぶ、怪しげな色の薬草もあいまってオーラが凄まじく、本名を聞ける雰囲気ではないのです。


「なんで龍涙のことってわかったんですか?」

しるしがあったからね。こっちにきなさい」説明もちゃんとせずに、漢方おばあちゃんは美香の手を掴み、いきなり引っ張ります。「数百年続く役目を果たしなよ」

「え?え?え?すいません。具体的に何すれば?」

「その場の空気を読め」

「そんな古臭い指示の出し方なんですね」

美香が困惑しているうちに、気が付くと、20畳ほどの和室にいました。

「えっ???」

さっきまでいたはずの漢方屋さんの店内ではありません。

そもそも漢方おばさんすら、消えています。


「なんじゃ?お主は?何しに来た?」

突然聞こえた可愛い声に振り返ると、小さくてかわいい女の子がいました。

年齢は10歳くらいでしょうか?気が強そうな目ですが、幼児特有のふっくらした顔の輪郭が印象を丸くしてくれています。

「さ、さぁ。何しに来たと思います?」

「ウチに訊くな。もう死んでいるウチは地獄も怖くないからな」そう言ってニッと歯を見せすごんだ少女の顔には、幼い残忍さが感じられました。「お前を殺してもよいのだぞ」

「それは、勘弁してください」

「じゃあ、ウチを喜ばせなさい」

この少女が何者かはわかりませんが、機嫌を取った方が絶対良いと本能が告げています。

「あ、だったらですね」美香は作り笑顔を浮かべました。慎重に言葉を選びながら提案します。「スマホゲームとかやったことありますか」

「何のことか、しらん。遊びは全部お手玉だが?」

「じゃあやりましょう、やりましょう」

美香はスマホを取り出して、見せました。

「なんじゃこれ」

「ここをなぞると宝石が動くでしょう?」

「おお」

「そして色をそろえたら消えるんです。限られた回数しか動かせませんから…」

説明したのはありふれたパズルゲームでした。それでもこの子にとっては珍しいのではと思ったのです。


「おーおぉぉ!絵が動くぞ!なぞったらきれいな絵が動く。手妻なる曲芸に似ておるのう」

予想は大当たりでした。パズル以前にスマホの動きそのものに感動しているようです。


「ああ。まぁゲームの楽しみ方は人それぞれですよね」

美香が苦笑いしていると、

「お主、かわいい髪飾りをしておるな。くれ。拒めば殺すぞ」と言ってきました。

「別にあげますよ、これくらい。いちいち命奪おうとしないでよ、全く」

愚痴を言いながらつけてあげました。

「江戸時代の物とちがって、色に深みがないが、まあ良いだろう」

言葉では文句を言っていますが、口角が上がっています。


言葉遣いが乱暴なだけで悪い子ではないのでは、と美香が思った矢先です。

「なあ、お主。ここにずっといろ」

「え?」

突然の提案で美香は、呆気にとられました。

一気に背筋が冷たくなりました。


「お主はウチと友達になりたくてここにいるのだろう?ウチはお前が気に入った。かわいいし、私の知らないことを知っている。ここで永遠に話していても、きっと楽しい」

少女は言葉を重ねてきます。

その時美香は母親の「掟」という言葉を思いだしました。

だから、「違うよ。掟だからここにいるだけだよ。掟が終わったら帰るよ」と答えたのです。



一瞬の静寂。



そして。

「うぅうああああん。やっぱりお前もクズなんだなぁぁ?」

少女はとてつもない音量で泣き怒鳴り始めました。

「ウチは美香のことが大好きなのに。それなのに、ウチと友達にならぬのなら、死ね」

そういうや否や、美香に向かって空中で発生した水が押し寄せてきました。

滝のような勢い。

死んでしまします。





絶体絶命。恐怖のあまり目をつむった美香の前で、

「ようやった。若者よ」

漢方おばさんの声がしました。

「へ?」

「これで目的は達成された」と満足げな顔で美香を見ています。

気が付くと漢方薬店の中でした。

少女も、水も、始まった時と同じように唐突に終わりました。


「あの…」

「なんじゃ」

「この掟の目的って何だったのですか」

普段はめんどくさがりな美香でも、尋ねずにはいれません。


「龍を大泣きさせることだよ」と漢方おばあさんは答えました。

「何のために?」

「龍がたくさん泣けば今朝あんたの家の庭にあったような龍涙が日本中で降るだろう?」

「はい」

「そうすれば、人々が龍の存在を、科学を超えた何かを、意識してくれる。畏怖してくれる。信仰を失った神は妖怪になってしまうからな。これは龍を妖怪にしないための儀式なのだよ」

「…でも」

漢方おばさんはうっとうしそうに顔をしかめました。「まだ何か?」

「私が話した相手は龍と言うより人に感じたのですが…」

「この家にくるまでに、不思議な曲がり方をした橋があっただろ?」

「はい」

「あれは古代にたてられて今も現存している人柱を避けるために曲がってるんだよ。人柱にされた少女は龍と一体化する。だからお前と話したのは龍だよ」


その言葉を聞いて、美香は慌てて店を出ました。

全速力で走って、橋をわたります。

普段は気にしたこともなかった橋の形が、今は怖くてたまりません。

そのまま家に駆けこみました。

「ただいまー」


「あら、お帰りなさい。さっき庭に大量の龍涙が落ちてきたから鍋がかんせいしたわよ」

ママの優しい声が出迎えてくれました。

リビングのテレビに目をむけると「珍事!謎の球体が降る!」というテロップで、アナウンサーが「日本中で不思議な半透明な球体が降った」と、楽しそうにしゃべっていました。


いつも通りの夕食食卓の風景です。ここにきて、美香はようやく安心して笑ったのでした。

美香のことが大好きになった人柱の少女は、美香にとって「掟の外」の話。

どうでもいいことになったのです。

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龍涙入りの鍋(夕喰に昏い百合を添えて15品目) 広河長綺 @hirokawanagaki

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