Epilogue

Epilogue

 時は過ぎ……。


 2048年12月。私たちは痺れを切らしていた。

 2046~2048年に届くとされていた、過去から未来に届くメール。これが受信できていないということは、ここはC世界なのか。

 否、私が相見あいまみえた詞音は、C世界とは違って謙虚で慎ましやかな女性だ。だから、少なくともC世界ではない。しかし、C世界ではない世界であっても、彗星が爆破できず、地球が破壊される世界があるのかもしれない。


 とうとう、12月31日になってしまった。NASA研究員たちは、焦燥感から年末返上で、ラボに待機していた。

 このまま滅亡への一途を辿ってしまうのか。


 しかしながら、まだ運命は私たちを見放していなかったようだ。

「じゅ、受信しました! ツィオルコフスキーの公式が記されています!!」

「本当か!? 本当なのか!? 確認するぞ!」

 すぐに検算に取り掛かる。何度も何度も丁寧に、複数人で確認を重ねた……。


 大丈夫だ。間違いない。研究室は歓喜に沸いた。ようやく私は胸を撫で下ろした。

 詞音と舞理と再会した後、きっと大丈夫だろうと思いつつも、心のどこかで心配だった。特に、この12月に入ってからは、生きた心地がしなかった。


 この数式どおりにプログラムすれば、無事に迎撃、爆破できるはずだ。


 C世界からのメールにあったとおり、長周期彗星が地球に向かっていることが明らかになった。ミサイルの発射は2051年。世界はクリーンエネルギーへの転換が進んでいる最中さなかだったが、迎撃用に何回か分の爆破用燃料を、フロリダ州のケープカナベラル宇宙軍施設に集積させてある。


 そして……。


 きたる2051年に、正しい計算式がプログラムされた爆破用ミサイルが、この宇宙軍施設から射出された。メールによると2052年に軌道が逸れてしまったと記されていたが、いまのところ軌道を外れることなく進んでいる。順調だ……。



 さらに長い年月が過ぎ……。


 2060年12月10日。61歳になった私は、まだ生きながらえている。


 この世界は、B世界に向かっていった……わけではない。なぜなら、いま私の隣には愛娘の詞音と、そして、伴侶はんりょ、舞理がいるのだから。


 そう、この世界は、見事に長周期彗星『RUINルーイン』を爆破、そして彗星の残骸の軌道修正をすることに成功し、舞理と悲願の再婚を果たし、3人で一家団欒を迎えた世界……。


 今日はスウェーデンのストックホルムに来ている。

 12月10日のストックホルムでは、毎年誰もが知る世界的な栄誉あるイベントが行われている。そう、ノーベル賞受賞祝賀晩餐会ばんさんかいだ。

「よう、おめでとうだな! ポアンカレくん。久しぶりに会えて嬉しいよ。互いに年をとったな」

 この聞き慣れた、でも懐かしい声。還暦を迎えてもなお、変わらない声音で話しかけてきたのは、篁未来こと邨瀬弥隆。

 偶然にも同じ年、この男はノーベル文学賞を受賞したのだ。


 一方の私は物理学賞。

「平和賞だったら、オスロだったから再会できなかったな」

 ノーベル委員会は、私を地球の危機から救った功績で平和賞を授賞することも考えたらしいが、本業は科学者だから、科学者にとって栄誉ある物理学賞となったらしい。

 平和賞だけは、授賞会場がノルウェーになるそうなので、邨瀬とは会えなかったというわけだ。


「舞理さんも詞音さんも、お元気そうで」

「いつも主人がお世話になってます」

「いまでもあたしは、篁先生の大ファンなんですよ」

 詞音は34歳。結婚はしていないが、いまもなお、女優として第一線で活躍している。


 詞音は、『ハーシェルの愁思』でセンセーショナルなデビューを飾ったが、高校時代に収録したものはこの1本だけだった。しかし、高校卒業後に女優として本腰を入れ、数多あまたの映画、ドラマ、舞台にも出演するようになる。

 謙虚を貫いた詞音は、一方でバラエティ番組や情報番組には殆ど出演しなかった。自分は、トークの才能はないと言って。企業からは、清楚で透明感あふれるルックスと、平身低頭で温厚なキャラクター、高い好感度、また、スキャンダルにも無縁そうな人間性から企業からCM出演のオファーは多かった。特に、詞音を起用して宣伝した化粧品は、社会現象になるほど売れたらしい。

 もっとも、彼女の美しさは、業界では有名なメイクアップ・アーティスト、CHIHIROこと園田千尋氏の『神メイク』により引き出されている、と詞音は言う。


 また、詞音を映画界に引き入れるきっかけを作った宮本俊哉氏は、父、武蔵紫苑の指導の下、映画監督の道を歩んでいる。そして、詞音とデビュー作で共演し、学生時代、苦楽を共にしたイレーナ・ミランコビッチこと今村英玲奈は、堪能な語学と外国人然とした美麗なルックスで、ハリウッドに進出している。


 詞音の周りは、どういうわけだか、華やかな世界に身を置く者ばかりだ。


 私の人生の師である時任先生は、2年前まで横浜理科大学の学長に就任していた。本人は、あくまでも現場で研究をすることにこだわっていた。年をとると雑用も増えてくるなと、よくぼやいていた。現在は高齢ということもあって、同大学の名誉教授職として一線を退いてはいるものの、後進の育成に余念がない。第2、第3のポアンカレくんを、と息巻いている。


 星簇慧那は育児休暇で、しばらく研究を離れる時期はあったが、研究への情熱は絶えていなかった。横浜理科大学初の女性教授として、時任先生の後を継いで、教鞭を振るっている。50を過ぎても美意識の高い慧那は、30歳代後半と言われても違和感ないほどで、そのギャップからテレビの取材も来たと聞く。見た目と中身のギャップは健在だ。


 そして、私は、NASAで研究チームの責任者を務める立場になった。相変わらず、宇宙に向かって、電波を飛ばしたり、はるか彼方の天体を観測したり、一般には難解な計算式を並べ立てたり、大学院の頃とやっていることは大して変わらない。しかし、長周期彗星を無事爆破し、ようやく私の功績と苦労が評価され、現在いまこんなに栄誉ある賞をいただくことになった。


「ようやく、苦労が報われたな」

「それに関してはさ、邨瀬にも礼を言わなくちゃいけない。文字化けメールの解読技術がなかったら、C世界に向かってたかもしれないんだ。みんなで救ったんだ」

「相変わらず生真面目きまじめだな。ポアンカレくんは」ニコニコしながら、しわの増えた笑顔で、私の肩をポンと叩いてきた。「でさ、約束覚えてるか?」

「約束?」

「ポアンカレくんがノーベル賞獲ったら、半生を執筆させてくれ、って昔言ったの、覚えてるか?」

 言われてみて、確かにそんなこと言ってたな、と思い出す。あれは何年前の話だ。

「約束だったのか?」

「腐れ縁に免じて書かせて欲しい。お前さんの功績と数奇な半生を、後世に残すんだよ」

「書いてみてつまらん作品になって、篁未来の名を汚すことになっても責任は取らんぞ」

「それはない。ちゃんと面白く書く!」

「お笑い芸人のエッセイじゃないんだぞ!?」

「冗談だよ。でも、史上初じゃないか? ノーベル文学賞受賞者が綴るノーベル賞受賞者の伝記は?」

「それがきっかけで、文学賞を剥奪されても知らんぞ」

「なるかいな!」

 久しぶりの再会だが、軽口を叩き合う仲は、大学生時代から変わらない。まさしく、腐れ縁だ。


 そんな野郎同士のやり取りに、舞理と詞音が口を挟む。

「あの、暴露本にはしないでくださいね。できれば、閘舞理は、門河詞音に輪をかけて美人だったと、書いてくださいね」

「お母さん、誇張しすぎ!」

「あの、僕は、お母さんも詞音ちゃんも、等しくお綺麗だと思うので、調整してくださいませんか。言われたとおりに書くんで」

 邨瀬がそう言うと、舞理も詞音もどっと笑った。

 


 邨瀬は有言実行で、私に取材を頼み、おそらく史上初の、ノーベル文学賞受賞者が綴るノーベル賞受賞者の伝記が、刊行されることになった。

 ちゃんと世に出る前にはチェックしたのに、いざ出版となると、何だか丸裸にされるようでこれほど恥ずかしいことはないが、許可してしまった以上仕方がない。


 発売日に合わせて、本を謹呈してきたが、本の表紙を見て一瞬目を疑った。私が検閲したのは中身だけだったことを思い出す。タイトルは、てっきり『安居院守泰の半生』といったのを想像していたが、伝記にしてはてらったものだったのだ。


 『時空を超えて 慈愛を込めて 想いよ届け ~ノーベル物理学賞受賞 安居院守泰 立志伝~』


「相変わらず、タイトルセンスがないなぁ……」

 装幀だけは立派な、自分の半生が綴られた立志伝とやらを手にとって、クスッと笑った。


(了)

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時空を超えて 慈愛を込めて 想いよ届け 銀鏡 怜尚 @Deep-scarlet

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