Side F 45(Fumine Hinokuchi) 柔らかく温かな声音

 手紙を読み進め、あたしは涙が止まらなくなってきた。

 やはり、ボストンの撮影現場にいたあの男の人は、お父さんだった。

 小さい頃、離ればなれになって、ずっと再会することを渇望し続けた、大好きなお父さん。

 そんなお父さんが、ボストンでの出来事について謝り、そして、あたしの活躍を喜び、さらに、気に入ったシーンを具体的に挙げてくれている、

 そして、何より再会を望んでいる。


 3分でもいいと書いているが、3分じゃ全然足りない、3時間でも3日でも3週間でも3ヶ月でも足りない。願わくば未来永劫、一緒にいたい。

 これまで甘えられなかった14年間、たっぷり甘えさせてほしい。高校三年生にもなってこんなことを言うのはお笑い草だけど、それくらいお父さんとの記憶は、あたしにとっていまでも宝物なんだ。


 あたしはすぐにお母さんに電話をした。

「もしもし、お母さん!!」

『何、慌てた様子で……?』

「C世界に行くおそれがなくなったのなら、お父さんに会えるのかな!?」

『どうしたの? 突然!』

 あたしは、気がはやるあまり、すっかり前置きをすっ飛ばしてしまっていた。

「お父さんから来たの! ファンレターが。しかも会っておめでとうを言いたい、って」

『守泰くんが……』

 お母さんが、お父さんの名前を呼ぶのを、初めて聞いたような気がする。それは、お母さんの中で、お父さんと会うことを許容したということだろうか。


『前も言ったように、私の中では、C世界に進むことはないと信じている。あなたの性格は、C世界のあなたとは正反対で、謙虚だから』

「じゃ、会っていい?」

『もちろん、あたしの一存じゃ決められないけど……、ひ……』

 お母さんは、次の言葉を紡ごうとして、言い淀んでいる。

「決められないけど……?」

『1つ条件があるの』

「条件?」

『そ、そう。わ、私も守泰くんと会って話がしたいな』


 電話越しのお母さんの声は、以前、あたしに勉強以外の興味を示さず冷淡だったあのお母さんとは、明らかに違う。想像だが、むしろ母としてよりも、1人の女性として昔の恋人にでも会うような、含羞がんしゅうを感じる。電話なのにコケティッシュな雰囲気さえ感じた。


 お母さんは、いまでもお父さんのことが好きなんだと、あたしは確信した。ひょっとしたら、あたし以上にお父さんのことを……。


 今度はマネージャーさんを通じて事務所に確認する。事務所は手紙を検閲しているはず。基本的に、会いたいと強く望むようなファンレターは破棄されると聞いている。しかし、差出人が安居院守泰だということで、あたしに渡してくれたのだろう。


 事務所の回答は、ぜひ会ってきなさいとのことだった。事務所には、あたしがなぜお父さんと離ればなれになったかを、ちゃんと伝えている。ありがたいことに、非常に理解がある。一部には、所属タレントや俳優・女優を支配し、ハラスメントが横行しているような事務所もあると聞くが、この事務所にはそれがまったくない。学生ということで勉強や進学に理解があるし、家族と過ごす時間も大事にする。いまのところ事務所に対する不満はない。


 後日、この手紙に対して返事をしたためることにした。変な話、他にやるべきことを全て差し置いて、寝食も後回しにして、手紙の文面を考えた。


『前略 お父さん

 

 門河詞音こと、閘詞音です。

 手紙をくれてありがとうございます。

 本当に、心から嬉しかった。私の中では、お父さんは、宇宙の魅力を教えてくれた恩師でもあります。これがあったからこそ、「ハーシェルの愁思」が無事にクランクアップを迎えられたと信じています。


 お父さんが、なぜお母さんと離婚してしまったか、長い間分からなかったけど、クランクアップの日に、お母さんから聞きました。実は、武蔵紫苑監督の粋な計らいで、撮影現場にお母さんが来ました。実は、それまで、映画界の門を叩くことに反対していました。でも、反対する理由が、離婚と同じ理由で、崇高で名誉あるものだったと知りました。


 でも、いまは応援してくれています。

 よく分からないのですが、地球が滅亡する世界では、私はすっかり天狗になっているみたい。けれども、私はこの通り(?)、所詮は勉強と読書だけが友達の、地味な女子でした。いまでもその本性は変わっていないと思いますし、これからも変わることはないと思います。だから、C世界には行きませんよ、間違いなく! (こっそり『B世界』『C世界』というのが符牒ふちょうだと聞きました!) 


 本題の、ご要望については、全身全霊でお応えしたいと思います。でも条件が一つだけあって、お母さん、閘舞理も同席させてほしいんです。

 お母さんも、自分で三行半を突き付けておきながら、心の底では復縁を望んでいるようです。本人は言葉にはしませんが、娘だから分かります。そして、実は、かくいう私もそう願っていたりします。


 だから、こちらこそ前向きなご検討をお願いしたいです』


 あたしは溢れる涙を拭いながら手紙に封をし、ポストに投函した。



 手紙を送ってからは早かった。お互いに多忙なスケジュールで占められる中、奇跡的にあたし、お父さん、お母さんの三者が空いている日があった。返信の手紙を送ってから2ヶ月後に、14年越しの再会が実現する。


 お父さんはやっぱりあのお父さんのままだ。あたしの記憶のお父さんとあまり変わっていない。優しい表情は、幼少期の思い出を蘇らせる。

 もう我慢などすることはできなかった。お父さんの顔を見るなり、すぐに目が潤んできた。気づくと、お母さんも目に涙をにじませている。


 18歳にもなって、完全に幼児返りしたかのように、涙で顔をクシャクシャにして、お父さんに抱きついた。

 さながら、あたしが中学生のときに演じた『ヒパティア』が生みの親の博士に抱擁したかのように……。


「大きくなったな、詞音ふみね。本当におめでとう……!」

 お父さんの声は、幼い時の記憶とまったく変わらず、柔らかく温かな声音こわねだった。

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