12月
件の隕石は12月7日13時過ぎに地上に墜落する。
落下予測地点は日本海の北側からロシアのあたりで、隕石の規模から考えると天体衝突時の衝撃やその後発生を予想される二次災害によって日本に在住する大多数の人々は生存できる見込みは薄いとのことだ。
生き残れる少数派になれるとも限らないけれど、如何せん規模感が大きすぎる話なので結果的に生きていても死んでもどちらでも変わらないような気もする。
そんなわけで、僕と先輩は開き直って小旅行を計画した。
どこに居ようが落下する隕石は観測できるので、「ん-、じゃあ島根県かな~。 出雲に行こうか」という先輩の意見で行先が決まった。
理由を訊いてみたが、どうやら特に意味はないらしい。多分日程を組む上で2泊3日くらいで、原付バイクでの移動距離を考えた時に、僕たちが住む大分県から近すぎず遠すぎない場所が島根県だったんだと思う。
隕石到達の三日前に出立するにしてもまだ少し余裕があったので、僕たちはゆっくりと旅行に備えて準備をした。その間、僕は主に部室で寝泊まりし、先輩は家に帰ったり部室に遊びに来たりした。
出発前に僕は先輩の両親に挨拶しに行くことにした。現在、先輩の家族は治安の心配から父方の祖父母宅に住んでいるらしい。
両親へのご挨拶という一大イベントに緊張していたが、先輩のご家族だけあってとても優しく迎えてくれた。
先輩の母は会うなり目を滲ませて僕を労わってくれた。どうやら先輩から火事のことを聞いていたらしい。
先輩の父は料理が得意らしく、昼ごはんを振る舞ってくれた。箸が進んでご飯をお代わりした僕を嬉しそうな顔で見た時の目元が先輩に似ていて家族の血を感じた。
先輩が旅行に行くことは了承しているとのことだった。僕が改めて先輩の両親に挨拶をしたところ、先輩母は頷いて、先輩父は「娘を頼む」と一言だけ言った。当の先輩は「なんだかお嫁に行くみたいだよ~」と照れくさそうにしていた。
そういう特別なイベントがない限りは、先輩と何をするわけでもない日々を過ごした。
なるべく外の情報は見ないようにした。みんなも世界が終わる時くらいのんびり過ごせばいいのに、と思う。けれどそれはのんびり過ごすことができているからこその高みの見物で、具体的に誰かの心情や状況などを考慮したものではない。漠然と分類した『みんな』を指して何かを思ったり、言ったりすることにあまり意味はない。
人は自身の主観を通すことでしか物事を考えることはできない。ましてや立場も状況も考え方も違う『誰か』に向けた意見など世界が終わろうが終わらなかろうが役に立たない。
そんな考えさえも先輩とくだらないことで笑い合ってるうちにどうでもよくなった。
出発前日は僕の両親の墓参りをした。先日火葬を行って、お墓を立てた。あまりにも一度に色々なことが起きたので、正直まだ受け止め切れていない。先輩と共にまだ真新しい墓石を掃除して、お供え物を置き、線香をあげる。線香の煙が風に揺られて消えていく様子をじっと見る。合掌の後、何を言っていいか分からずに「いってきます」とだけ言った。
+++
12月5日。出発日当日。
冬の早朝らしい肌寒さを感じながら原付に荷物を括り付けていると、「おはよ~」と先輩がスクーターを手押ししながらやってきた。ゆるい先輩とバイクの組み合わせは何度見ても慣れないなあと思う。
「おはようございます。昨日はよく眠れましたか?」
「うん、ばっちり。快眠の極みだったよ」
そう答える先輩の目じりに赤みが差していることに気づき、尋ねたことを内心後悔した。それが睡眠不足が理由でないことは明白だった。
「パパとママが望月くんによろしく伝えといて、だってさ」
「よろしくされました、で合ってますかね」
「あはは、定型句だけどなんか変なやりとりだよね。改まってよろしくされなくても、私と望月くんはよろしくやってるのにね」
「よろしくやるって言うとちょっと語弊があるような」
「よろしくよろしく~」
先輩がおどけながら僕の肩を叩いてくる。その頬には涙をぬぐった跡があり、先輩とご両親の間にどのようなやりとりがあったのかを否が応でも連想してしまう。
「いい旅にしましょうね」
僕は言葉を探して、結局そんな当たり障りのないことを言った。
先輩は少し嬉しそうに、「うん、よろしくね」とはにかんだ。
こうして僕と先輩の小旅行は始まった。
原付バイクで移動する特性上、どうしても下道を通っていくことになる。
出発してすぐに、想定していたより車の数がずっと多いことに気づいた。
先輩は「まあ、のんびり行こうか~」と渋滞さえも楽しんでいる様子だった。
お昼時。
福岡に着いた僕と先輩は街を一望できる丘がある公園でバイクを停めて、昼ごはんを食べることにした。
先輩のご両親が僕の分までお弁当を作ってくれたのだ。
蓋を開けたところで、二人してテンションが上がる。
「見て見て、たこさんウィンナーだよ! からあげも、卵焼きもある!」
「すごく凝ってますね、彩りも綺麗ですし。なにより美味しそうです!」
使い捨て用の容器には色とりどりのおかずとご飯が所狭しと並んでおり、品数の多さから娘への愛情を感じる。
「「いただきます」」
二人で手を合わせてから、箸を進める。
お弁当は言うまでもなく最高に美味しかった。
その感謝をもう直接伝えることができないのが、とても残念だった。
「お腹いっぱいだね~」
「そうですね、少し休んでから行きましょうか」
食べ終えた弁当を片付け終えてから、のんびりと過ごした。
二人掛けのベンチから知らない街を見下ろす。
「なんかさ、旅行する度にさ」
先輩が目を細めながら言う。
「見たことのない街に、会ったこともない人が住んでいることを考えると、ちょっと不思議な感覚になるの」
「不思議な感覚?」
「言葉にしづらいんだけどさ、『あー、知らないところで色んな人が生活しているんだー』って。自分と関係がないところでも世界が動いているのを実感して、なんかちょっと感動するというか」
「それは、本当に不思議ですね」
「望月後輩にはこの情緒が分からんかね」
「正直あまり分からないですね……」
僕なんかは人の多さを実感する度にもう少し減ってもいいのではと考えたりするから、あまり賛同はできない。
けれど本当に減ってしまうことになった今では、寂しさを覚えないと言ったら嘘になる。
僕たちは少しの間、街をぼんやりと眺めていた。
その後、再びバイクを走らせて北上する。
こまめに休憩を取りつつ、ほぼ一本道の大通りや国道沿いを進んでいく。
昼過ぎ頃、海が近くにある道を走っていると大きな橋を見つけた。
「あれ、関門橋じゃないです?」
「ほんとだ、でっかいね~」
「まあ原付はあの橋を渡れないんですけどね」
「圧倒的がっかり感だね!」
関門橋の一部区間は高速道路扱いのため、原付の僕たちは関門トンネルから本州を目指す。
山口市内に入った時、既に日は暮れていた。この状況でも営業を続けているというビジネスホテルに向かっている。予約の際、電話口で思わず何度も確認したが、休業の予定はないという強気な言葉を信じるしかない。
マップを確認しながらバイクを手押しする。
ふと先輩を見ると歩きながら舟を漕いでいた。
「先輩、危ないですから寝たらだめですよ」
「だいじょうぶ、だいじょうぶなので……」
まったく信用ならない生返事だった。
これは早いところ着かないとまずいと思ったところで、目的地のホテルを発見する。
まず営業していたことに安心し、フロントに従業員がいたことにまた安堵した。
チェックインしながら世間話程度になぜ営業しているかを尋ねたら、しっかりとしたスーツを着込んだ壮年の男性は「仕事が趣味みたいなものですから」と柔和な笑みを覗かせた。
先輩と僕とでそれぞれ一部屋ずつ予約している。先輩の部屋のカードキーを渡したところ、寝ながら立っている先輩が「んおー」という謎のうめき声と共に胸ポケットにしまう。
先輩がこんな状態なので、全部の荷物を僕がもっている。一旦自室に荷物を置いてから先輩を隣室に運ぼうと考えて、自分の部屋の前でカードキーをかざしてドアを開ける。
するとなぜか先輩が部屋に入っていき、おぼつかない足取りでベットに寝転んだ。
そして、そのまま動かなくなってしまった。
「……はい?」
呼びかけてみても返答はない。ゆすっても微動だにしない。先輩の部屋のカードキーは先輩の胸ポケットにあるからまさぐるわけにもいかない。
詰みという言葉が脳裏をよぎる。
「先輩、このままだと困っちゃいますから起きてください」
「今夜は寝かさないぜえ……」
「本当に寝れないんですが」
それ以降話しかけても答えてくれなかった。
そのうち僕も疲れが限界に達して視界が暗転した。
+++
12月6日。旅行二日目。
揺り起こされて目覚めると目の前に先輩がいた。
「おはよう、望月君」
「おはようございます、先輩」
今まで何度となく交わした挨拶であったが、状況が違うせいでなんだか特別感があるような気がした。
先輩は先に起きていたらしく既に身支度を整えており、僕は風呂に入ったり着替えたりして準備をした。
チェックアウトのためにフロントに下りたところ、昨日話した壮年の男性が立っていた。もしかするとこのホテルのスタッフの中で、ただ一人で働いているのかもしれない。
世界が終わる前だというのに。
僕は鍵を返す時、精一杯の感謝を込めてお礼を言った。
ホテルマンの彼は、「良い旅を」と昨日と同じ柔和な笑みで僕らを見送った。
原付バイクを走らせて広島へ向かう。
通りがかりに、夫婦で営んでいる小さな定食屋を見つけたので寄ることにした。
生鮮食品がないとのことで、「あり合わせで適当に作るかな」と人の良さそうな亭主が言った。その物言いに「お客さんに失礼なこと言うんじゃないよ。あり合わせなのは本当だけどね」と大らかそうな奥さんが豪快に笑った。
結局ご飯とみそ汁と、すり身をパン粉で揚げた名称不明のおかずとその他もろもろが出てきた。初めて食べる料理ばかりだったが、とても美味しかった。
お金を払う時、「いいよ、そんなもの。明日には意味がなくなるんだから」と奥さんは笑った。でも支払いをすること自体に意味があるような気がして、受け取ってもらった。
当たり前のことだけど、今までも僕たちの生活は誰かの仕事によって支えられていた。きっとそれは、当たり前のことではなかったのだと思った。
けれど、それはそれとして明日世界は終わる。
そのことを思うと、ひどく感傷的な気分になる。
先輩と並んで座って、海を眺める。
移動中の休憩がてらによった海岸は、ゴミが沢山落ちていて、ひどく磯の匂いがして、なにより水平線に反射する太陽の光が眩しかった。
見上げると冬の空に箒星が尾を引いている。
現実にさりげなく溶け込んでいるあの彗星が地球に墜落するなんて嘘みたいだった。
「もう随分とはっきり見えるようになったよね、あの隕石」
「いよいよ明日ですからね」
「そうか、明日か~」
そのまま無言で波を行き来する様子を眺めていると、先輩が「あ、あれ」と砂浜を指さした。
先輩がそちらに向かって歩いていくので僕も付いていく。
そこにはかなり大きな平べったい魚が横たわっていた。
「これは……多分リュウグウノツカイかな。実物は初めて見た」
「ああ、あの深海魚の。そういえば隕石が近づくようになってから、よく海岸に打ち上がるようになったって聞いたことがあります。地震が起こる時にもよくあることだとか」
「地震の方は迷信らしいけど、こうやって目の前で見ると隕石のほうは分からないなって気がするよね~。でも過去にそういう例はないし、今回の隕石が特別なのかも?」
「先輩は詳しいですね」
「まあほとんどNewtonからの知識だけどね」
先輩が照れくさそうにしながら謙遜する。
まるで白金のように光るリュウグウノツカイをじっと見ながら、先輩は問いかけてくる。
「望月くんはさ、陸に上がってくる深海魚の気持ちとか考えたことある?」
「それは……ないですね」
「私はニュースとかで見る度に想像しちゃうんだ。深くて暗い海の底でさ、ある日唐突に地上がどうなっているかに興味が湧くの。最初は無視しておくんだけど、そのうちやっぱり気になって上を見てみたくなる。意を決して徐々に徐々に上に進んでいって、でも普段と違う環境に耐えられなくて、そのうち力尽きて死んじゃうの」
「それが流されて人の目に触れる、と」
「うん。それでさ、ずっと考えてるのは地上の近くに来た時、何を思うんだろうなってこと。人類に置き換えると、地上から月に行くようなものじゃない? そんな一人きりの宇宙旅行はどんな気持ちなんだろうね」
「アームストロング少佐みたいな気持ちだったのかもしれないですよ」
「あはは、そうかも。親指を立てて、この場合胸ビレかな? 自身と海底の距離を実感して、自らをちっぽけな存在だと思ったりするかもしれないね」
「先輩はどう思うんです?」
「うーん、正直よく分からないんだ。何度考えてみても上手く想像がつかない」
「なんだか前も同じような話をした気がします」
「そうだっけ、覚えてないや」
先輩は苦笑しながら手を振った。
てっぺんより少し傾いた太陽の光が僕と先輩と隕石を照らす。
「でもさ、一人であっても、ここではないどこかを目指して進んだことはとても偉いことだと思うんだ」
「…………」
不意に、先輩がなぜ旅行をしたかったのかが分かった気がした。
どこにも行けないから、どこかに行きたかったのだ。
終わるからこそ、ここではないどこかに行くことに意味があると思ったのかもしれない。
僕も最近考えていたことをふと思い出して口に出してみる。
「先輩は前に自身のことを話してくれましたよね。先輩は優しいのではなく、他人に同情の余地を見出しているだけなんだって」
「あー、それは覚えてるよ。花火大会の時だね」
「僕は僕で、この前からずっと考えていたんです。先輩に限らず、人は互いに互いをどう見たいかで解釈の余地を探しているんじゃないかって。優しく在ってほしければ世界が優しい根拠を探すし、逆もまた然り、みたいな」
「全部自分次第だよ、みたいな話?」
「そうです。でもそれなら他人への理解って何だろうって考えたんです。他人を自分が見たいように解釈するしかないのなら、その人が実際どうであろうが関係がなくなってしまう。結局人が自分の主観でしか世界を解釈できないなら、人の中に他者は存在しないんじゃないかって」
「なんだか哲学みたいな話だね。結論は出たかい?」
「全然まったく出ませんでした。というかずっと考えてたと言いつつ、先輩と過ごしてるうちにどうでも良くなってたところがあります」
「あはは、なにそれ」
「まあはっきり言うと、他人を理解するなんて無理かもなと思っています。よく知らない人を理解するなんて無理だし、短くない時間を共に過ごしてきた先輩のことだってまだまだ知らないことが多い」
「ひねくれ者の後輩だね~」
僕の性格をある程度知っているからか、身も蓋もない話に先輩はいつも通りのゆるい笑みで頷いている。
僕は先輩がそう反応をしてくれることを知ってこんな話をしている。
そして、こうして過ごしている現在がとても楽しいと感じている。充実していると思う。
つまるところ、そういうことだと思った。
「でも僕は先輩と過ごすことができてよかったと思っています」
勝手に解釈しているかもしれないし、理解もできないかもしれないけど、先輩がいまここにいて、こうして話をしている。先輩と過ごすこの時間をとても好ましく感じる。
それだけで十分だと思った。
「それで~?」
「え?」
「からの~?」
「ええ……」
結構色んな感情を詰めて伝えたつもりだったが、伝わってなかった!
やはり人間は難しい。
「じゃあ明日までの宿題ってことで~。タイムリミットは隕石衝突まで」
先輩はいたずらっぽく笑った。
+++
その後、広島の街を散策して、ある程度満足したところで今日の宿泊地であるキャンプ場に向かった。
この時のために折り畳み式テントやハンゴ、着火剤などキャンプ道具一式を持参していた。
「キャンプにはカレー!」という先輩の一言で、最後の晩餐はカレーとなった。
先輩手作りカレーは今まで食べた中で一番美味しく思えたが、冷静になると世界の終わり補正がかかっていたかもしれない。
たき火を囲んでいつものように他愛のない会話をした。
夜も更けていざ寝ようとなった時に先輩がテントを忘れてきたことを告げた。
この時間までテントを立てようとしないからおかしいと思っていたし、そもそも忘れるか?と思ったけど、持ってきていないものは仕方がない。
同じテント内で寝ることにしたが、手狭でどうしても身体が接触してしまうし、寒かったので手をつないだ。全くもって仕方がないことだと思う。
+++
12月7日。旅行三日目。
目を覚まして外に出ると、突き抜けるような晴天が目に入る。
冬の朝日が清々しい気分にさせてくれる。
「いよいよ今日ですね 」
「そうだね、なんだか実感無いな~。恐怖心とか湧かないもんだね」
テントの前で伸びをする先輩がいつもと変わらない調子で答える。
「確かに。僕も今日死ぬとは思えないくらいです 」
「そりゃあ死んじゃうことは悲しいけどさ。だからってあの隕石が憎い!みたいにはならないよね」
「相手は天体ですからね。雨とか雷とか台風みたいなものでしょう」
「あー、地震とか津波が起きた時、憎いというよりは悲しいに近いもんね。隕石の捉え方も雪とか雨とかの天災に近いかもね」
「今日は晴れてますし、さしずめ晴れのち隕石?」
「空気も澄んでいて、空も晴れやか。今日は心地の良い小惑星日和になるでしょうって?」
先輩がお天気お姉さんのような口調でおどけて言った。
なんだかそれが無性に似合っていて、先輩も照れくさかったのか顔を見合わせて笑いあう。
「あはは、なんだか全部馬鹿みたいだね」
「そうですよ、隕石が落ちてくるなんてこんな世界は狂ってます。狂った世界に生きる全員、阿呆みたいなものです」
「私と君も?」
「もちろんですよ。落ちてくる隕石をわざわざ見に行くんですよ? 阿呆の最たるものですよ」
「どうせ阿呆なら踊らなきゃ損だね!」
「それじゃあ先輩、僕と踊ってくれますか?」
「なにそれ、へん〜」
「僕もやってて思いました!」
僕らのテンションは異常なほど上がってて、それこそ阿呆みたいだったけど、すごく楽しかった。
その勢いで、僕はもう一度先輩に聞いた。
「先輩、僕と最期まで踊ってくれますか?」
「喜んで」
先輩は僕の手をとって笑った。
しかしそんな有頂天な気分を打ち消すように出発してすぐ大雨に降られた。森の天気は変わりやすいというのは本当だ。
そして悪いことは続くもので、僕の原付が故障した。うんともすんとも動かなくなった。
先ほどあんなにかっこつけていたのが恥ずかしくなる。
「ださ~(笑)」
「かっこわらって口で言わないでくれます!?」
先輩が完全に煽りモードに入っていて、ニヤニヤしながらからかってくる。
今は道路脇から避難して、木の陰で避難している。
このままずっと森を突っ切れば島根に着くが、視界不良となるほどの大雨の中で動くのは得策ではない。
「雨が弱まるのを待つしかないね」
「それはそうだとしても、僕の移動手段はどうしましょう。修理なんてできないですし」
「ふふん、望月後輩は私に感謝することだね~」
「見たことないほどのドヤ顔」
「先輩に任せなさい!」
+++
小型限定普通二輪免許は取得して1年以上経つと二人乗りができるようになる。
僕は先輩の原付の後ろに乗せてもらうことにした。
取り締まりをする警察がいるとは思えないが、最期まで出来る限るルールは守っておきたい。
隕石が衝突するまであと2時間を切っている。
雨は降り止んでいなかったが、時間に余裕がないので出発することにした。
そんなわけで、僕を背に乗せた先輩が原付スクーターで駆ける。それはもう風のごとく。エンジンが火を噴かんばかりに。
「いやというか速度出し過ぎでは?」
「なんか言った~?」
「速度、出し過ぎではーーー!!」
「あはは、聞こえな~い!」
大声で話さなければ聞こえないほど先輩が運転するスクーターは爆速で森を駆け抜けていた。幸いにも対向車も順向車も見当たらない。
体感上明らかに法定速度を超えている気がしたが、メーターは見ないようにした。グッバイ遵法精神。
正面を向いていると見たことない速度で木々が視界を過ぎ去っていく。
「怖い怖い怖い怖い!」
「大丈夫、百の位を四捨五入すれば0Km/hだよ~!」
「いやそれ100Km/h以上出てるってことじゃないですか!」
「私の主観では法定速度内!」
「法律というのは自身の解釈で伸び縮みしたりしないんですよ!」
「案外人間もそうなのかもしれないよ~!」
「言ってる意味が分かりません!」
雨はまだ降り止んでおらず、雨風に吹き飛ばされないように先輩の肩をぎゅっと掴む。
先輩は相変わらず楽しそうにケラケラ笑う。
「だからさー、全部主観を通してしか何かを認識できないってのはそうなんだけどさー、私の主観を通して見ている望月くんは望月くんなわけだよー!」
「え、なんですか、トートロジー!?」
「私は私の主観で望月くんを見て、望月くんは望月くんの主観で私を見ている! 主観において自身の都合のいい解釈をしているのかもしれないけど、だからといってそれだけが誰かを好ましく思う理由にはならないの~!」
ときおり風でかき消される先輩の話は、そうでなくても理解が難しかった。
詳しく話を聞こうとしたところで、地面が揺れていることに気づく。
「ちょっと待った、なんか揺れてません!?」
暴力的なスピードに身体が震えているのかと思ったが、そうではなかった。
ジェット機のエンジン音のような爆音が耳をつんざく。
「あ、あれ! 森の奥!」
先輩の声で上を見上げると視界を遮る木々の上部が煌々と光っている。
「隕石が落ちてきてる!? 墜落はまだ先じゃ……」
「予測が外れたのか、それとも規模が大きいから元々こうなのかは分からないけど、急いだほうがいいかもね~!」
「あ、まだスピード上がるんですねええええ!」
地面が揺れていることも手伝って叫び声に天然のビブラートが付与される。
「それでさー!」
「え、まだ話せるんですか、舌噛みませんか!?」
「あれ、なんだっけ? 法定速度が倍くらいになればいいって話だっけー!」
「先輩がそこまでスピード狂だって知りませんでしたよ!!」
「いやあ、あの隕石にはまだ負けちゃうから大丈夫だよ~!」
「秒速20Kmとかいう音速を余裕で超えてる物体と張り合わないでください~!」
「あはは!」
そんなことを話しているうちに、曲がりくねった道路を通過した。
依然として隕石の本体は見えないが、光は徐々に強くなっている。
視界全体が眩しくて、雨風が嵐のように吹き荒んで、地面は車体が跳ねるほど揺れて、なんだか今にも世界が終わりそうだ。
この際贅沢は言っていられない。状況が分からない以上、隕石が落ちる前に景色を見なければと思った。
先輩と一緒に、この世界が滅ぶ最高に美しい瞬間を見なければいけない。
そのためにここに来たのだから。
「望月君、見てー!」
道路が続く一直線の先に覆い茂る木々が途切れている。
あそこを抜ければ市街を超えた海の先に隕石も見えるはずだ。
ラストスパートだ。
「糺谷先輩、頼みましたよ!」
「任されたよ、望月くん!」
風を切る隕石に抵抗するように限界まで稼働したエンジンが唸りを上げる。
強いGが身体にかかり、一瞬全身が浮いたように感じる。
刹那のヒヤッとした感触が記憶の蓋をこじ開けて、先輩との思い出が溢れるほど蘇った。
笑っている先輩、むくれている先輩、泣いている先輩、照れている先輩……。
思い出されるのは様々な先輩の表情だった。
僕は『一番綺麗なところで最期を迎えたい』という先輩の願いを叶えてあげたい。
先輩と一緒に綺麗な景色を見たい。
ありったけの祈りを込めて叫ぶ。
「いっけえええええ!!!」
直線を抜けて、視界が一気に開けた。
眩むような景色が網膜を突き刺す。
そこにあったのは――
光が乱反射する街並みと海。
そして、雲を切り裂いて落下する煌めく小惑星。
「――……」
息を吞む音が聞こえたが、僕か先輩どちらのものかは分からない。
バイクは既に停めていて、ただその様子に見入っていた。
青空を背景に光が落ちていく情景は、想像以上に美しく、想像以上に切なかった。
ああ、やっぱり全部終わってしまうんだろうなという気がした。
これで終わりなら最後に何を言おう。
いや、迷うまでもない。
「糺谷先輩、好きです」
先輩は少し驚いた顔をした後、いつものゆるい表情で笑った。
「知ってたよ~」
「まあ、そうでしょうけどね!」
「知ってたからこそ、こんなギリギリだとは思わなかったな~。世界終わっちゃうよ?」
「いいじゃないですか、そっちのほうがロマンチックでしょう」
「本当は言い出せなかっただけなんじゃないの~?」
「さてどうでしょう、全ては僕の主観の中です」
「望月くんの分際で生意気だぞ~」
「告白してくれた後輩に言うことじゃないでしょう!?」
「そうだね、言う言葉は決まっているね――」
いよいよ世界が轟音と衝撃に包まれる。
先輩が何かを言うが、その言葉を聴くことは叶わない。
先輩が僕の手を握った。僕も先輩の手を握り返す。
いまここにいることを確かめる。
不意に、先輩が言ったことが少し分かった気がした。
僕は糺谷先輩が糺谷先輩だったから好きになったのだ。
世界が終わる瀬戸際、糺谷先輩がいてくれて良かったと思った。
小惑星日和 ぷにばら @Punibara
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