第3話 おまけ ※このエピソードは筆致企画の評価に入れないで頂きたいです。
あじさいが硬い芽を綻ばせ、柔らかい葉を覗かせる。それも、刹那の間に。気づけば葉は大きく濃く茂る。つぼみが脹らむのも、時間の問題だ。
朝の日差しと濃い青葉に目を細め、藤子はオレンジカフェの準備をする。
「藤子さん、珍しい音楽ですね。ジャズですか?」
「ええ、そうよ」
新人スタッフに訊かれ、藤子はCDプレーヤーの音量を調整しながらざっくり答える。
祖父の影響で音楽が好きなむすこに手伝ってもらって探したCD。ブルーノートのアルバムだ。
あの人の大切な思い出の、ブルーノート。
あの人は今日も来るだろう。どんな反応をするのか、藤子は楽しみにだった。
10時半。あの人はやってきた。杖をついて、いそいそと。
「ごきげんよう。今日は暖かいわね」
いそいそと、いつもの席に座る。
「いつもの、頂戴ね」
「かしこまりました!」
新人スタッフが率先して、インスタントコーヒーを用意して、あの人に提供した。素人だとばかり思われていたが、だいぶ慣れた動きである。
「ああ、美味しいわ」
あの人はCDの音楽に合わせて鼻歌を歌い、うっとりとインスタントコーヒーを味わう。
「懐かしいわ。この音楽、ブルーノートでしょう」
それを聞いた藤子は思わず、にやりと笑ってしまった。
あの人は、マイペースに語る。
「今日みたいな初夏の陽気だったわ。智昭さんが私のためにギターを演奏してくれたの。駅前の喫茶店で、急な演出で。それがプロポーズだった。そのとき……」
あの人の表情が、急に強張った。体が細かく震え始める。
「そのときだったわ! 酔っぱらった男の人が、すっぽんぽんで店に怒鳴り込んできたの!」
「え」
初めて聞く話に、藤子は耳を疑った。
あの人は、がたがたと震えて涙をこぼす。
「すっぽんぽんでライターの火をちらつかせて! 若いウェイトレスに『服をよこせ』と怒鳴りつけて! ウェイトレスが脱いだエプロンを、すっぽんぽんの上に着て走って出ていったのよ!」
「ちょっと、お母さん!?」
「ああ、なんで思い出しちゃったのかしら! 一生思い出したくなかったのに! 智昭さんのプロポーズを受け入れる大事な瞬間に、すっぽんぽんにエプロン着た男の人なんて!」
あの人は、さめざめと泣きながらインスタントコーヒーを飲み干し、オレンジカフェを後にした。
何なんだ、さっきの話。初耳なんですけど。作話? でも、あのリアクションは尋常ではなかったし、でもでも、男が裸にエプロンをするなんてあり得ないし、かといって、あの人が裸エプロンなんて知っているはずがないし。
混乱する藤子は、くいくいと袖を引っ張られた。いつもオレンジカフェに来てくれる、車椅子の利用者様だ。
「金平糖、あげるよ」
藤子はつい、手を出して金平糖の袋を受け取ってしまった。車椅子の利用者様に同行した娘さんらしき人は、笑いをこらえている。
次の開催日から、オレンジカフェでブルーノートを流すのは禁止となった。
【ほんとの完結。お粗末様でした】
初夏色ブルーノート 紺藤 香純 @21109123
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