世間 3

 酒の席をともに囲むのは得意先だった。何でも浦和の大学時代の後輩らしい。赤羽は浦和の若い頃の知人に会うのが楽しみだった。飲み屋に入ると、すでに得意先は待ち構えていて、目ざとく浦和を見つけると、

「やあやあ、元気だったか?」

 と、大仰おおぎょうな身振りで言った。

「お久しぶりです、大宮さん。元気そうで」

 と、浦和は満面まんめんの笑みを浮かべて、90度のお辞儀をした(その目は笑っていなかった)。

「ま、君も出世したみたいだな。前回飲んだ時には、まだヒラだったっけか」

「そうなんですよ、ワタシも少しは出世したんですよ。もう数年はっていますからね、前回一緒に飲んだ時からは…」

「ま、部長のオレにはまだ追いつけないようだけどな。一生、追いつけないかもな。オレ、次期社長だし。君はどうあがいても社長は無理そうだしな」

 そう言って、大宮は含み笑いをした。そして、ようやく赤羽に気づくと、続けた。

「おや、こちらサンは…。ふうん、君が部下を持つなんてねえ…」

「そうなんですよ、ワタシも部下を持つ身分となりまして…」

 大宮は赤羽をジロジロと見た。そしてニヤリと笑うと浦和のほうを振り返って、

「ふうん、君が部下を持つなんてねえ…」

 と、繰り返した。浦和さんは苦笑いした。

 赤羽は、どうして浦和が後輩のはずの大宮に敬語なのか、聞こうとして聞きにくかった。後輩だったはずの大宮がなんで雑な態度なのかは、もっと聞けなかった。

 それから二人は互いをたたえ始めた。いや、よく耳を傾けると、浦和が一方的に大宮を称賛しょうさんしている。赤羽は口をはさむひまもなく、黙って二人のやり取りを聞いている。

「それにしても、大宮さんは本当に仕事をきっちりとされる人ですね」

「いや、ははは、照れるじゃねーか、ホントのこと、ゆーなよ」

「本当に頭が下がりますよ、昔から」

「いやあ、なんといっていいのか、オレって出す気がなくても実力を出しちゃうタイプなんだよね。余裕ってゆーの?」

 大宮はホスト風のチャラい恰好だった。髪は金髪で、顔は浅黒く焼けており、シャツは真っ赤で、キャラキャラしたイヤリングも指輪もしているし、時計もきらびやかに光っている。道端ですれ違ったら、思わず目を合わせないようにしてやり過ごし、数メートル過ぎてから振り返って盗み見して、バカにしてすぐに忘れるタイプの人だった。今日は平日なのに仕事がなかったのだろうか。そんな赤羽の疑念を察してか、浦和は話し始めた。

「アッチャン、この方はね、こんな格好だけどね、でも、学生の頃も社会人になってからも、勉強も仕事もすごいマジメで有能でね、ワタシもよく見習ったものなんですよ」

 と、酔いが回ったのか、赤羽にまで敬語だった。へえ、そんなこともあるんだなあ、と世間知らずの赤羽は感心した。人は外見で判断してはいけないんだ、見た目と違っていい人もいれば、仕事のデキる人もいるんだ、赤羽はもうひらかれた思いがした。もっと浦和さんについていって、もっともっと世間を知ろう、そう誓った。そして大宮を眩しそうに見つめた。浦和の大宮礼讃らいはその後も続いた。一言めるたびに、そうなんすね、と赤羽は相槌あいづちを打って大宮を見上げた。大宮は態度が大きくなっていった。

 そろそろ会計になる頃、大宮は

「ちょっとトイレに行ってきます」

 と、珍しく敬語を使い、こそこそと席を立った。

「どうぞ、どうぞ」

 と、浦和はロレツの回らぬ口で答えた。そして大宮が急いで姿を消すや否や、その後姿をおがむがごとき赤羽を、焦点の合わない目でじいっと見つめながら、つぶやいた。その口調にはもはや感情はこもっていなかった。


 アッチャン、あんな奴、信じちゃいけないよ。

 アイツはね、昔っから、会計の時になるとどっかへ姿を消して、一度もカネを払ったことなんかない奴だから。

 大学一年の時には女子中学生をはらませて問題も起こしてるし。退学にでもなればよかったんだが、親が金持ちで、大金を被害者に払ったそうだ。

 二年の時には、同級生の同棲相手にDVで、おびえた彼女は退学して実家に帰ったよ。

 三年の時には、これまた同級生に手を出そうとして、フラれたら中傷ビラを彼女の写真付きで構内で配りまくった奴だよ。教授に注意されると階段から突き落としてケガをさせて、一年間停学さ。

 でも、親の力で卒業し、親の会社に就職し、親の七光りで出世し、今じゃオレの得意先さ。

 アッチャン、あんな奴、信じちゃいけないよ。


 そう言うと、浦和は黙ってぬるくなったビールをぐいと飲んだ。もうその目は酔ってはいなかった。

 赤羽は自らの不明を恥じた。世間という奴は自分の一枚も二枚も上手らしい。浦和にピッタリとついて行って、もっともっと深く知りたい、そう赤羽は感じた。

 会計を済ませ、店を出て、月夜を見ながら微風そよかぜに当たっていると、ようやく大宮が姿を現した。

「なんか、すいません」

「いいんですよ、いいんですよ」

 と、浦和は言った。

「いいんですよ、いいんですよ」

 と、赤羽まで一緒になって言うと、

「お前は一銭いっせんも払ってないじゃないか」

 と、浦和にからかわれてしゅんとなった。

「浦和さん、オレも出しますよ」

 赤羽がそう言うと、さすがに大宮は気まずい顔をして、

「では、お先に。浦和、またな」

 と、夜の闇に消えていった。闇はどこまでも黒々くろぐろとしていて、赤羽のウブな魂をみ込みそうにも見えた。おしまい。

 

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掌編小説集 サトウヒロシ @hiroshi_satow

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