ヘリオドールの機工師
夜が長くなり始めたばかりの、秋の頃。
窓から差し込む西日が、宿に黄金色の光を落としています。太陽は眩い輝きを残しながら、少しずつ、西の向こうに消えていきました。
空に微かに残った青、夕焼けの茜色、雲の白や灰色、押し寄せてくる宵闇の紫色。いくつもの色がかわるがわるにやってきて、そして去っていきました。
残照が遠い雲に残る、宵の口。
空の移り変わりをカウンターに座りながら眺めていると、ドアベルが鳴って、扉が開けられました。
入ってこられたのは、男性のお客様。
肌が浅黒く、体格の逞しい方でした。くすんだ色の外套を着ていても、腕も足もがっしりと太く、胸板が厚いことがわかります。
耳を隠すような部分がついた革の帽子にゴーグルがつけられています。それに、石工の人とも違う少し変わった作業着。あまり見たことのない着こなしです。
ご記帳によると、お名前はレジスさん。
お夕食の特製スープがお気に召した様子でした。行きつけの魚屋さんが新鮮なサーモンを安くしてくださったので、今日はディルやじゃがいも、玉ねぎ、にんじん、にんにく、えんどう豆をたっぷり入れた、サーモンのクリームスープです。ミルクと塩胡椒、バターの風味がきいていて、密かに自信作でした。
スープと丸いパン、緑のお野菜とパプリカのサラダが、今晩のメニューです。
レジスさんは、テーブルに並べられているお夕食を「これは美味い!」と言いながら次々に完食されていきます。
食後に麦酒をお出しすると、ほろ酔い状態になったレジスさんは気分がよさそうに、カウンターにいるわたしに話しかけてくださいました。
*
久々に休暇を貰ってな。
生まれて初めての王都ってやつを満喫しに来たんだ。
なあ、ご主人はヘリオドールっていう町を知っているかい? 名前だけ? そう、この国じゃ一番新しくできた町だ。オレはそこの住人なんだよ。
あそこは普通の町じゃないんだ。元々町を作るのも難しい場所だったらしい。それが、国のお偉いさんや学者が言い出したらしいんだ。そこに町を作ろうってな。
どの町からも遠い荒野だし、ほとんど人が立ち寄らないところだった。それをよ、資材やら人やらを入れて、小さいながらも本当に町を作っちまったんだよ。
何でかって? 普通はそう思うよな。あんな不便なところに新しい町なんか作ったって、金かかるだけだ。
けど、国にはどうしてもあの土地でやりたいことがあったのさ。
あの土地はな、長い間誰も住んでいなかった。
いや、人だけじゃない。どんな動物だって、あそこには近寄れなかった。
あの辺は、何故か大地の底から毒の煙が噴き出していて、植物も動物も、もちろん人も住めない場所だったんだ。今でも草一本生えてねえ。毒のせいで、どんな生き物も住めない不毛な土地なんだよ、あそこは。
それがな、防毒マスクをした学者たちが、そこに調査に入った。その一帯には、ずっと昔に使われていた古代文明の遺産とやらが埋まっている可能性が高いと、まあそういう説が出たわけだ。
古代っていうと、もう千年以上前なんだろ?
そんなずっと昔のものが、まさか今も埋まっているかもしれないなんて、こりゃおとぎ話だ。海の女王とかと同じ、実際にはありえねえ話だろ。
けどな、国のお偉いさんの中にはそれを信じた奴がいたんだ。何でも国王の妹姫が、そういう歴史とか古代の遺産とかが好きらしくて、調査を進言したらしい。それで、毒の煙が噴き出しているような場所に入っていって調査したそうだ。
後から聞いたんだが、乾いた土やら岩やらをよ、慎重に掘り続けたって話だぜ。毒の煙は地中から噴き出してくるらしくて、掘り進めるたびに調査員が倒れたり、体調不良になったりしたんだと。
奴らは何日も掘り続けた。そして、遂に出た。
その、古代の遺産とやらが、本当に出たんだよ。
鋼やら鉄やらでできた、何だかごつくて大層な代物が見つかったんだ。ほとんど錆ついていて動かねえし、何に使うものなのかだって、わからないやつばっかりだったらしい。
けど、昔と同じものを復元できたら動くんじゃないかと、そんなこと言い出した奴らがいたんだよ。できるかどうかわかんねえ、途方もねえ作業だ。
考えてみなよ、ご主人。何に使うかもわかんねえ、ずっと昔の古代の遺産を、今も使えるように復元なんてよ、考えただけでも頭痛くなる話だろ?
それでも、そいつは面白いと、その遺産の発掘と復元をするために色んな馬鹿が志願した。
まあ、オレもそんな馬鹿のひとりさ。
オレみてえな平民には、その、価値か? 歴史がどうとか大発見がどうとか、小難しいことはわからねえ。
けど思ったんだ。すげえって。
学者はな、発掘されたものをあれこれ調べて、これは昔使われていた武器だ何だとごちゃごちゃ言っているがな。
要するに、その遺産が昔は本当に動いていて、今じゃ考えられねえような便利で豊かな暮らしをしていたんだと。
馬よりも速い乗り物があって、食べ物をずっと長く保管する道具や、畑仕事を手伝う道具があったらしい。蝋燭やランプよりもずっと明るい照明だってあったそうだ。
中でも「空を飛ぶ魚」っていうのがあって、人はそれに乗って空を飛んでいたっていうんだよ。
夢みてえな話だろ? けどその夢は、少しずつオレたちの手で本当になるんだ。それがすげえって思った。
それで、オレみてえな馬鹿があちこちから集まって、発掘と復元をするためだけの、小さい町ができた。
それが新興の機工都市ヘリオドールだ。
暮らし始めるのは、そりゃ大変だったぜ。
今じゃ大変だったって普通に言えるがな、そのときはそんな言葉で表せないほどひでえ暮らしだったんだ。
最初は寝泊まりする場所だってなかった。そうだよ。毒の煙が噴き出している場所なんかで寝たら、そのままぽっくり逝っちまうだろ? 毎晩町から離れて野宿だ。眠るときも防毒マスクは外せねえ。
毎日作業を続けるための家やら小屋やら作って、発掘や復元の仕事だって、くたびれるまでやったんだ。
出来上がったのは変てこな家でな。石材のほかは、復元の試作に使った材料の余りとかで作ったんだ。鉄や鋼とかだぜ。
ふと改めて町の様子を見るとな、変てこな景観だよ。パイプの煙突、鉄板の屋根、ネジの飛び出た壁、発掘したものや失敗した試作品は、再利用するために隅で山になっているしな。
炭鉱よりも簡素な発掘場に、ずっと防毒マスクをつけた住人。荒野の砂塵が舞い、毒の煙が噴き出す機械の町。言葉も通じねえ外国や、食うや食わずの貧しい農村の方が、まだ健全かもしれねえな。
発掘場の分厚い土の下からは絶えずに毒が溢れて、マスクをしていても倒れる住人がいる。作物も育たねえ、鳥も虫もいねえ、まるで死の町だよ。ずっと誰も手をつけねえ土地だったことが、住んでみてよくわかった。
何でそこまでして、機械の発掘なんかするんだろうって思うだろ? 自分でも思うさ。オレたちは馬鹿だってな。
いつ毒に侵されて死ぬか。もしくは落盤事故とか、機械の暴走とか、不衛生とか不摂生とか、一歩でも足を外れちまえば、すぐに死ぬ場所にオレはいる。
そりゃ怖えよ。怖えだろ。だって死んじまうんだぞ。
誰だって死ぬのは怖えだろ。死が怖くないなんて言っている奴は、ただのイカレだ。でも、オレは今でもヘリオドールにいる。
理由は簡単さ。オレは見たいんだよ。オレたちが復元した機械の力で、人の暮らしが便利になるところが。
学者の奴らの言うことが本当なら、オレたちは空を飛べるようになるんだぞ。長い時間をかけて旅しなくたってよくなる。いつでもどこでも食べ物を作ったり保管したりできれば、飢える奴だっていなくなる。
いなくなるんだよ。貧しい奴は。そのためなら、少しくらい怖い目に遭ったって、オレは……。
オレは、元々北の貧しい村の出身でな。大きな農場に出稼ぎして回る生活をしていた。どんなに大変でも希望は捨てなかった。家族がいたからな。
けど、そんな吹いて飛ぶようなものは、なくなるときはなくなっちまうんだよ。
希望だけじゃ腹は満たせねえ。腹が満たせなかったら、死ぬだけなんだ。
そうだ。死んじまった。数年前の、飢饉でな。
女房も娘たちも、村のみんなも、ほとんど全滅だった。
オレが生きていたのは偶然だ。ひと月あまり北の牧場で出稼ぎしてたんだ。だから無事だった。
賃金や物資を持ち帰ったとき、村には誰にもいなかったよ。あちこちで死体になっていて、骨と皮だけになって、もう誰が誰だかわからないくらいに痩せていた。オレは何も知らずに働いていたんだ。誰も助けられなかった。
たったひとりになったオレは、半ば自棄になってヘリオドールの機工師に志願した。命をかけられる仕事をしないといけないと思ったんだ。そうじゃなきゃ、オレが助けられなかった奴らに顔向けができない。
ああ、本当はわかっているさ。死にそうな危険侵して発掘をしているのは、全部オレのためで、身勝手な償いなんだってな。それでも、あの町で暮らして、自分を追い詰めるようにしていないと、自分が許せねえんだ。誰にどんなふうに思われようとな。
他の奴がどういう理由であの町にいるのかは知らねえ。けど、みんなオレと同じなんだと思う。自分たちの暮らしが豊かになるように。貧しい思いをしないように。
幸せになりたいんだよ、みんなで。
そう思うのは普通だろ? もっと豊かになって、もっと幸せになりたいって思うのは、当たり前だよな?
町に住み始めて一年くらいした頃だったかな。
オレは仲間たちと一緒に発掘して、そして遺構を調べては復元する暮らしを続けていた。まだまだ復元なんて遠い夢で、がらくたばっかりこしらえて失敗する日々が続いていたんだけどな。
そんなとき、町に旅人がやってきたんだ。
試読「旅の宿トマリギ亭奇譚 海の瞳の星」 葛野鹿乃子 @tonakaiforest
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