第2話 小鳥とまじない
「なにも、術比べのためにわざわざ鑑札を受けたわけでもあるまい」
魔女が言うと、古書屋は笑った。
「さすがのご慧眼。よく見抜かれました」
「あの紙はなんだね」
「近頃入手がかないました、祈祷書の断片です。
異端、との判断が下されたのちにバラバラに裁断され、浄火にくべられるその前に一部を何者かがすくいあげたという、いわくつきの品です」
「さらに、そのすくいあげた者が、紙片となり読み解くことがかなわなくなったそれに、まじないをかけたと見える」
「なあに、もとより断片、大した力はありません」
「ならば、なぜ方々へ風に乗せて飛ばそうとする」
そうする間にも子供たちは紙飛行機を折り、飛ばし続けた。
どれも手を離れるとどこまでも高く飛び、決して戻らずに、やがて遠くへ見えなくなるのが面白く、途切れることなく子供たちは集まった。
しかし、魔女の目には見えていたのだ。
「風船を割ったのは、そこに描かれていた呪符だね。
小さいが、散らばれば、たとえ針の先ほどのものでも災いだ。触れればかならず傷となる。地に落ちれば毒となる。見過ごすことはできぬよ」
古書屋は笑って応えない。
「こちらを」
簡易書棚を指して、下段にある引き出しをすっと引くと、どうしてその鞄にそのような奥行きがあったものか、革表紙の本などがぎっしりと詰められた一段が、飛び出てきた。
「この目にもうるわしい絹張りの一冊、こちらもまた、いわくつきの品なのです。
かようなことがあろうか、先ほど申し上げた異端の祈祷書、裁断されずにひそかに残された虫食いひとつない完全な一冊。
この通り出てまいったのです。さきほどの紙の束には確かな検閲の印も、注意書きや指導伝達の痕跡もありますので、こちらを含めあらゆる記録、伝承などと照合し、真贋の鑑定も済ませてある、正真正銘の品でございます」
魔女は黙って祈祷書を見ていた。かつて目を通したことがあったのかもしれない。
「買い手はあるのか」
「いかがでしょうか」
「今は、ほかに修めるべきことがあるのでね」
「さようですか。では、またの機会に」
引き出しをしまうと、簡易書棚はまた、こぢんまりとして見えた。
「興味深く思われましてね」
古書屋は申した。
「裁断された祈祷書には、異端とされた怨みを何者かがまじないで封じてございます。
ひそかに残された祈祷書には、異端とされながらも、心からのまことの祈りがございます。
ぜんたい、どちらが強いものなのか。小手調べに裁断された方を検分しておったのです」
「また、つまらぬことを」
魔女は言うなり、先ほど求めたばかりの薄紙を広げた。
赤や青、色とりどりの小鳥が飛び回っている絵柄だった。
そこに魔女、静かに息を吹きかける。
「わあ、鳥だよ!」
紙飛行機を折っていた子供たちの手が止まり、広場の空を埋めた小鳥たちにその目は奪われる。
小鳥たちはそれぞれ勇敢に紙飛行機を追いかけ、追い付くとついばんだ。
小鳥たちがついばむと、紙飛行機に染み付いていたまじないが引き剥がされ、そのそばから塵のように消えた。
赤い小鳥がなにか難儀していた。長い祈祷の文句に、その分長いまじないが潜んでいた。引っ張ると蛇のように小鳥を襲おうとする。
そこに最も勇猛な青い小鳥が助太刀にあらわれ、ともにかかって、ようやくまじないが千切れ、仕事は遂げられた。
最も遠くまで紙飛行機を追ったのは、紫の小鳥だった。
町を離れ、森を越えて行こうとするところを果敢に後をつけ、やがて呪符にしこまれていたまじないを突いて粉々にした。
「あれ、帰って来たねえ」
子供が目ざとく見つけ、指をさす。
小鳥たちに率いられ、紙飛行機が戻って来た。
広場上空を小鳥たちに混ざって旋回し、それからぱらぱらと元の折り目のない紙片に戻って、古書屋の鞄にあつまり、引き出しに収まった。
小鳥たちもまた、行儀よくもとの紙におさまった。
黄色の一羽が、紙の外の様子がめずらしく、子供たちと戯れていたが、魔女にうながされ戻った。
「どちらが強いものなのか、など、」
魔女が申した。
「このとおり、見知らぬだれかを喜ばせるため、娘が精進した図案にも劣ったではないかね」
「さすがでございます」
古書屋は顔色ひとつ変えずに、手を叩く。
「書物も紙も、扱う者次第。
拙の店は、そのような品揃えでございますゆえ、なにかの折りはご用命くださいませ」
「今日のところは、これで結構」
向き直って、
「さて、子供たち、名残惜しいが紙飛行機のあそびはこれで、おしまいだよ」
「すごかった、魔女様」
子供たちも手を叩く。広場でなにかが起こるのを、このちびたちはいつも歓迎する。
「なあに、薬を包む紙を今日は求めにきたのだよ。
この小鳥の紙は好きかね」
広場にいた子供たちは、この日の不思議をしのぶようになり、以来小鳥柄を喜んだ。
魔女は、自分の店の留守番を頼んでいた近所の婦人のため、彼女の好物と聞いていた名物の焼き菓子を屋台で買い、広場を離れた。
離れ際に、あの鞄の古書屋のほうを見ると、黒い衣の客がなにごとかを尋ね、古書屋は手揉みをしている。
「しまった」
からくりに遅れて気づくとは魔女、彼女もまた、市の雰囲気に浮き足立っていたか。
紙飛行機から、小鳥たちによる始末まで、古書市に紛れた術使いたちへの見せつけとなっていたのだった。
あの黒い衣の客は、大方その筋の学者か術使い。書物の蒐集家も兼ねているかもしれない。
買い上げの品が、あの異端の祈祷書であるかはさだかではないが、古書屋の、魔術に関する造詣の深さと技、あなどりがたしと気を許して大枚をはたいているのに違いなかった。
まこと、古書市は楽しみも多いが、気が抜けないのである。
「おくれよ」
広場係の娘が風船をせがまれ、我にかえった。
「ごめんね。どうぞ」
赤い風船を渡す手の袖口に、緑色の小鳥がすましていた。
うっかりのんびりして、紙に戻りそこねた小鳥の一羽が、なつかしい娘を頼ったのである。
古書屋の鞄 倉沢トモエ @kisaragi_01
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