令和3年5月3日(月)「愛」秋田ほのか
「ちょっと話があるんやけどな」
思い詰めたような表情をした琥珀からそう言われたのはゴールデンウィークが始まったばかりの頃だ。
そこにいたのは私とあかりのふたりで、顔を見合わせてから彼女の話を聞いた。
「みっちゃんから聞いたんやけど……」と琥珀は切り出す。
みっちゃんというのはダンス部マネージャーのリーダーだ。
しっかり者として知られ、次の副部長に推す声が多い。
琥珀は声を潜めて、「1年生が部室のパソコンでいかがわしい動画を見てたんやて」と告げた。
さも大ごとのような態度に私は違和感を覚え、「別にそれくらい良いじゃない。次からは自分のスマホで見ろって言っておけば?」と笑い飛ばす。
「それが……、みっちゃんは岡部先生と一緒に部室に入ったんよ。それで、1年生の子らは慌ててパソコンを隠そうとしてな、落としてもうたんよ」
ダンス部の部室は今年度から空き教室に移った。
部員が増えたことに対処するためだ。
急増した昨年度のうちに移動させてもらえたらもっと良かったが、新型コロナウイルスの対策もあって学校側にも余裕がなかったのだろう。
部室にはロッカーがいくつか設置してある。
部にとっての貴重品を入れておける鍵付きのものだ。
ノートパソコンも部の備品としてそこに入れてある。
私とあかりはそれが入っているはずのロッカーに視線を向けた。
「無事なの?」とあかりが尋ねると、「大丈夫みたい」と琥珀は答えた。
卒業した先輩が部に寄付してくれたかなり古いものだ。
ダンス動画などを見るのに使っている。
スマホを持っていない子にとって、なくてはならないものと言える。
「そやけど、当面は利用禁止にするって先生から言われたんやて」
「えー!」とあかりが大きな声を上げた。
困るのは一部の部員だけとは限らない。
2年の
複数の動画を見比べる時には有用だ。
マシンパワーが足りないという声は聞くが、ないよりマシなのは確かだろう。
「しっかりした対策が必要なんやて」
「フィルタリングソフトを入れればいいじゃない」と私は琥珀に提案する。
彼女は首を傾げながら「管理者権限がどうとかこうとかで難しいみたいやねん」と要領を得ない返事をした。
私もパソコンについてはそれほど詳しくない。
そんな私よりもさらに疎いあかりは考えることを放棄した顔をしていた。
「じゃあ、どうするのよ」と私の口調がキツくなると、「それを相談してんねん」と琥珀の声も尖ってきた。
「ちゃんとしたルールを作って、部員みんなに伝えて守ってもらうしかないんじゃない?」とその場を収めるようにあかりが言う。
「しゃあないなあ」と琥珀が頷き、「そんな風にして校則は膨れ上がるんだろうね」と私は皮肉交じりに答える。
3人揃って溜息を吐きそうな雰囲気になったが、あかりが「2年生の方が詳しいんだから聞いてみようよ」と新たな案を出した。
私たちはそれを受け入れその場はお開きとなった。
* * *
その時の3人に2年生の3人を加えて話し合いとなったのは5月3日のことだ。
練習後に次の部長に内定している奏颯と、副部長候補のみっちゃん、可馨の3人に部室に来てもらった。
まずはその時の状況をみっちゃんに説明してもらう。
「部室に入ったら1年生たちが数人パソコンの前に集まって食い入るように画面を見ていたんです。そのうちのひとりがこちらに気づいて『ヤバい!』って騒ぎ始めて、それが全員に伝染したかのように広まって大変でした」
優秀なマネージャーは事細かに身振り手振りを交えながら語ってくれた。
弾みでノートパソコンが机から落下し、罪の意識からか泣き出す部員まで出たそうだ。
彼女は最初何が起きたか理解できていなかったが、動作確認のためにパソコンを再起動させたらブラウザが開いていかがわしいサイトに繋がった。
それを見て岡部先生が問いただし、彼女たちはアダルトサイトを閲覧したと白状した。
「顧問の岡部先生は怒るのではなく、注意を与えただけでした。しかし、ウイルスチェックをしたあと、しばらくこのパソコンは使用しないようにって」
「そのあと、うちが岡部先生から対策を講じるようにって言われたんよ」と琥珀があとに続く。
あかりがルールを作って対応しようと考えたことを伝えると、黙って聞いていた可馨が「Laptopヲ確認シテモ良イデスカ?」と尋ねた。
みっちゃんが「先生に確認してきます」と駆け出そうとしたが、あかりは「部長のあたしが責任を取るから」と呼び止め、可馨に「見てみて」と促した。
2年生たちがパソコンを用意する間に、私はあかりのすぐ隣りに立ち「いいの?」と耳打ちする。
彼女は部長としての力不足を強く感じていて、下級生たちに引け目があるようだ。
可馨がノートパソコンを机の上に置き、その前に腰掛けた。
ほかの面々はモニターがよく見えるように彼女の背後に並んで立つ。
あかりは無言で私の腰に手を回し、グッと身体を自分に引きつけた。
私たち以外は画面を覗き込んでいる。
OSが立ち上がり、見慣れたトップ画面が表れた。
可馨は振り向かずに「AdministratorノPasswordヲ知ッテイマスカ?」と質問した。
「元の所有者は覚えていないんだって」とあかりが答える。
前部長に問い合わせたところ、寄贈してくれた先輩は兄からのお下がりだったそうで、設定などは触っていないそうだ。
そのお兄さんにも聞いてもらったが覚えていないらしい。
古いOSなので認証なしに使えるのはありがたいが、パスワードがなくても滅多に困らないのなら忘れるのも当然というものだ。
「検索シマショウ」とブラウザをクリックするとスピーカーから女性の喘ぎ声が鳴り響いた。
なぜだか分からないが、ブラウザには動画が流れ、そこには男女の営みが映し出されていた。
ドキッとしたのは映像よりも声の方だ。
すぐに可馨がブラウザを閉じ、部室は静寂に包まれる。
だが、誰も口をきかない。
沈黙を破ったのは「外まで聞こえてないよな」という奏颯の焦った声だった。
全員の視線が部室の扉に向かう。
廊下では2年生部員が奏颯たちを待っていた。
特に騒ぎになっている様子もないのでホッと安堵の息を漏らす。
可馨は音量をミュートにしてから再度ブラウザをクリックして問題を確認する。
どうやらそのサイトがホームページに設定されていたようだ。
ウイルスの仕業なのだろう。
可馨が修正作業をするのをなんとなく見守っていると、「あのさ」とあかりが声を上げた。
全員の視線が彼女に集まる。
どっしり構えていればいいのに、あかりはどこか目が泳いでいる感じだった。
ひとつ深呼吸をしてから彼女は口を開く。
「ダンス部で性教育をするのってどうかな?」
目が点になるというのはこういう時に使うのだろう。
私は辛うじて「は?」と声を絞り出した。
「愛って尊いものじゃない」
更なるぶっ飛んだ発言で、今度は完全に言葉を失った。
ほかの者もどう反応して良いか戸惑っているようだ。
「ああいうのが愛だと誤解されたらいけないと思う」
「じゃあ、正しい愛って何なのよ」と私が口を開くと、あかりは私の肩を両手でギュッとつかんだ。
その力は意外に強く、私は身動きが取れない。
あかりは真剣な瞳でこちらを見つめた。
私は彼女を見上げて、ただ立ち尽くす。
ゆっくりと顔が近づいてきた。
もう周りは目に入らない。
私の瞼は自然に閉じていく。
口元に感触。
残念ながらともにマスクをしたままだったので拍子抜けというか、彼女の柔らかな唇の感触は得られなかった。
それでもほかの4人は息を呑んで見つめていたようだ。
全員の顔が紅潮している。
「どうかな?」とあかりは彼女たちに呼び掛けた。
「どうかじゃないでしょ!」と私は怒鳴りつける。
「まさか全部員の前でいまのをやる気じゃないでしょうね!」
「ダメかな?」とあかりは頭をかく。
私はいろんな感情が入り交じり、言葉が出て来なかった。
顔だけがやけに熱い。
「ああいうのって男の人を喜ばせるために演技しとるって言うしな」とようやく立ち直った琥珀が自分の意見を口にすると、可馨も「正シイ知識ハ必要デス」とあかりの提案に賛成するような発言をした。
奏颯は顔を真っ赤にしたままだ。
みっちゃんは興味深そうに「具体的にどういったことをするつもりなんですか?」と尋ねた。
「岡部先生に保健体育の授業をしてもらえばいいじゃない」という私の意見は、「ダンス部のことは部員の手でやらないと」とあかりに却下され、「先生に監修してもらいながら、こういうんを伝えるのはええかもしれへんね」と琥珀が部長の提案に賛同した。
多勢に無勢といった感じで決定してしまった。
あかりは部長らしく「先生と相談しながら進めていこう。騒ぎになるといけないからしばらくは秘密で」と指示を出している。
2年生や琥珀に先に出てもらい、部室には私とあかりだけが残った。
私は彼女の耳元で囁く。
「あとで本当のキスをしてよね」と。
††††† 登場人物紹介 †††††
秋田ほのか・・・中学3年生。ダンス部副部長。可愛くてダンスも上手いがキツいことを言うので後輩からは恐れられている。あかりはそんな彼女を受け入れてくれた。
辻あかり・・・中学3年生。ダンス部部長。先代部長や2年生部員の中核メンバーと比べて頼りないと自覚している。それでも前向きに頑張っている。ほのかとはラブラブ。
島田琥珀・・・中学3年生。ダンス部副部長。両親が関西出身でキャラ作りとして関西弁を使っている。コミュ力が高く友だちも多いが、あかりたちのような親友の存在に憧れていた。
恵藤
劉
小倉美稀・・・中学2年生。ダンス部マネージャー。みっちゃんと呼ばれて上級生からも可愛がられている。
令和な日々 サイドストーリーズ ひろ津 @hirotsu_hibi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。令和な日々 サイドストーリーズの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます