令和3年5月3日(月)「大人っぽさ 子どもっぽさ」紺野若葉
上はTシャツだけで良いと思うくらいの気温だ。
暦の上でも少しずつ夏が近づいている。
わたしたちは廊下で
日陰だと過ごしやすい。
窓から吹き込む風が心地よかった。
「
2年生になってからもよく会うし、会えば挨拶や雑談を交わす仲だ。
久しぶりというほどではないが、ダンス部の部室前でとなると話が違ってくる。
ここで顔を合わせるのは3学期に彼女が退部して以来初めてのことだった。
それでも数ヶ月前の話だが、なんだか随分時間が経ったように感じてしまう。
「いま部長たちに呼ばれて会議中」とわたしは部室として利用している教室のドアに視線を送る。
「じゃあ、うちも待つよ」とさつきはニッコリと微笑んだ。
若葉が「今日はどうしたの?」と尋ねると、さつきは「生徒会に呼ばれてファッションショーのことを聞かれててん」と説明した。
秋の文化祭で過去2年行われたファッションショーを今年は美術部中心に開催する予定だった。
そこに割って入ったのがさつきだ。
ダンス部を辞め、ファッションショーの準備に専念すると言ったのだ。
「順調なの?」とわたしが聞くと、さつきは肩をすくめ「思った以上に大変」と内心を吐露した。
普段は自信ありげに行動しているが、これが本心なのだろう。
美衣が心配そうに「頑張ってね」と囁き、さつきは安心させるように「大丈夫。任せて」と微笑んだ。
わたしは「可馨は今日来ていると知っているの?」と話題を変える。
さつきが口を滑らせたことを気にしている様子だったからだ。
「もちろん。先に帰ったら承知しないって言われたくらいだもの」とさつきがニコリとする。
「可馨はさつきが大好きだものね」と若葉がからかうと、「そうやねん。可馨の愛は重いねん」とさつきは芝居がかったセリフを吐いた。
しかし、その表情は満更でもなさそうだ。
それを見た若葉は「その愛って、ライクじゃなくてラヴなの?」と食いつく。
わたしも美衣も、さつきが何と答えるのか固唾を飲んで見守っていた。
「まあ、そんなとこやね」と意外とあっさりさつきは白状した。
彼女が部員だった頃はもっと曖昧にしていたような気がする。
可馨がインターナショナルスクールを辞めて公立中学校に来たのはさつきを追い掛けてのことだ。
それは有名な話として広まっているが、これまではあくまでも親友という態度を貫いていた。
こんなあけすけに答えるとは思っていなかった。
「えー、もしかしてキスとかしたの?」と若葉は身を乗り出す。
「ちょっと声が大きい」とわたしが注意し、若葉は慌てて自分の口をマスクの上から押さえた。
さつきは「可馨が日本に来たばかりの頃はすぐに抱きついてくるような子やったんよ」と微笑み、「ハグとかキスとか挨拶代わりによくしていたよ」と答えた。
可馨は中国人の両親を持つが、生まれも育ちもアメリカだ。
言葉のイントネーション以外はすっかり日本に馴染んだように見える。
来日当初はいまとは随分イメージが違ったようだ。
若葉はその回答で納得したようだが、わたしは興味のままに「挨拶代わりじゃないキスは?」と聞いた。
日頃は恋愛話なんて興味がないような顔をしていても、身近な恋バナには好奇心を隠せなかった。
「ご想像にお任せします」とさつきは逃げたが、その赤く染まった頬は答えを言ったも同然だ。
自分の不利を悟ったさつきは「若葉はどうなん? 進展した?」と鉾先を若葉に向ける。
若葉は何を問われたか分からない顔をするが、さつきはハッキリと「奏颯とのことやん」と指摘する。
「そんなんじゃないから」と首を振る若葉に「ほんまかなあ」とさつきは顔を近づけた。
若葉は小柄な美衣の背後に小さくなって隠れてしまった。
さつきは満足そうな顔で笑っている。
わたしが助け船を出そうかと思ったところでガラガラッとドアが開いた。
奏颯が先頭に立って「ちょっと騒がしいね」と出て来る。
そして、さつきの顔に気づき、「あ、来てたんだ。久しぶり」と手を上げた。
奏颯の後ろから出て来たのは可馨で、わたしは気になって彼女の顔をジッと見ていた。
だが、さつきを一瞥しただけで特に嬉しそうな表情にはならなかった。
最後にみっちゃんが出て来てドアを閉める。
部長たち3年生はまだ帰らないようだ。
若葉は先ほどまでの話を忘れたかのように、奏颯にじゃれついて「何の話だったの?」と質問した。
奏颯は「近いうちに部長から発表があるよ」と明言を避ける。
可馨たちからも話し合いの中身に言及がなかったので、口止めをされたのかもしれない。
7人が揃うと懐かしく感じる。
1年生の時はこの7人でよく話し合った。
教室の中で語られるようなつまらない話題ではなく、ダンス部の未来や部活動の意義といった中学生になったことを実感するような話題を。
可馨を中心に自分の意見を出し合い、白熱する議論に充実感を覚えていた。
そんな思い出に浸っていると、自分がポツンと浮いているような気がした。
若葉は奏颯にベッタリとくっついている。
さつきと可馨は自然と側に寄り添っている。
マネージャー同士のみっちゃんと美衣もふたりで何か話している。
直前にさつきと可馨の話を聞いたせいだろう。
それまで意識していなかったのに、急に気になりだした。
なんでもないいつもの光景がまったく異なるものに見えてしまう。
戸惑うわたしに構わず、ペア同士が仲良く言葉を交わしている。
仲の良い友だちに囲まれているのに、なんだか独りぼっちのような気分になった。
再びドアが開いて、先輩たちが顔を出した。
琥珀先輩が「はよ帰らなあかんやん」とわたしたちに注意したが、さつきに目を留めると「良かったらファッションショーの進み具合を教えてくれへん?」と言い出した。
帰りながらでいいと言う先輩に、「分かりました」と答えるさつきの横から可馨が「No!」と大声を出した。
可馨はさつきの前に立ち塞がる。
その言動に部室前の空気が凍りつく。
ほのか先輩が何か言おうと前に出るのを手で止め、琥珀先輩は「急に言い出したことやし、気にせんでええよ。また今度話を聞かせてくれたら」と穏やかな口調で言ってその場を収めた。
わたしは奏颯とアイコンタクトを交わし、「それでは失礼します」と言って歩き出す。
わたしがさつきの手を取り、奏颯はかなり強引に可馨を引っ張っていく。
ほかの3人は慌てふためいて小走りについて来た。
昇降口まで来てようやく足を止める。
さつきは「断り方ってあるやんか。あんなん失礼やん」と可馨に苦言を呈した。
だが、可馨は頑なに、もう部活は終わっただの、ハッキリ答えるべきだのと言って自分の正当性を主張する。
終いには「ワタシト先輩、ドッチヲ取ル」とさつきに迫っていた。
「どうしたんだろ、可馨」とわたしは疑問を呟く。
聞きつけた奏颯が「やっぱりさつきが退部して寂しいんじゃない」と答えた。
確かに部活動中は会えなくなったから寂しく感じるのかもしれない。
しかし、ダンス部の活動時間なんてそんなに長くはないし、部活以外では以前よりも一緒にいる姿を見掛けることが増えている。
「もっとお互い自立しているイメージだったのに……」
「あれじゃないかな。自分の目の届くところなら安心できるけど、目が届かないと不安になるって感じ」と今回わたしの呟きを拾ったのは若葉だった。
若葉に言わせると、以前はダンス部の活動中なら姿が見えなくても何をしているか想像がついていたのに、いまはさつきが何をしているか分からないから心配なのだろうとのことだった。
その推察が正しいかどうかは判断できない。
ただ、若葉がそういう推察をすることがわたしには驚きだった。
たぶん、わたしは若葉のことを自分より下に見ていたのだろう。
勉強でもダンスでもわたしは彼女より高い評価を得ている。
彼女は子どもっぽいところが多く、わたしの方が大人だと信じていた。
それだけにいまの発言に衝撃を受けた。
「よく分かったね」と奏颯が感心している。
自分の言ったことを褒められた若葉は顔を赤らめた。
奏颯を仰ぎ見る眼差しには恋する乙女のような煌めきがある。
わたしは心の整理がつかないまま仲睦まじいふたりの姿を眺めていた。
††††† 登場人物紹介 †††††
紺野若葉・・・中学2年生。ダンス部。奏颯グループの中では参謀役。議論の場では意図的に反対意見を出す。成績優秀。晴海若葉と名前がかぶるのでコンちゃんと呼ばれている。
沖本さつき・・・中学2年生。元ダンス部。小学生の頃に関西から引っ越してきた。運動はあまり得意ではないが、コミュ力が高い。可馨の親友。
劉
恵藤
晴海若葉・・・中学2年生。ダンス部。自己肯定感は低めだが素直な性格。
山瀬美衣・・・中学2年生。ダンス部マネージャー。家の中では虐げられているがダンス部の存在が救いになっている。
小倉美稀・・・中学2年生。ダンス部。マネージャーのまとめ役であり、次期副部長候補。みっちゃんと呼ばれている。
島田琥珀・・・中学3年生。ダンス部副部長。関西弁を操る優しい先輩。
秋田ほのか・・・中学3年生。ダンス部副部長。キツい物言いをする怖い先輩。
* * *
「どうしたの? 元気ないね」とみっちゃんが声を掛けてくれた。
我を取り戻したわたしは首を横に振り「大丈夫」と答える。
しかし、その声には力がなく、みっちゃんを心配させるだけになってしまった。
わたしは大きく息を吐き、顔を上げる。
「悩み事があったら聞くよ。マネージャーだからね」とみっちゃんは微笑む。
そんな彼女の気遣いに感謝しながら、わたしは「無理そうになったら必ず相談するから」と返事をする。
自分の力で乗り越えられると信じてはいるが、絶対大丈夫と言い切れるほど過信はしていない。
「みっちゃんは誰かの力を借りなきゃいけないほど追い詰められたことってある?」
彼女は7人の中でいちばん心が安定しているように見える。
どっしりとしていて、揺るぎがない感じだ。
「結構あるよ」
「え、本当に?」
「小さい芽のうちに周りに頼るタイプかも。そこまで追い詰められてはないけど、力を借りちゃう感じ」
言われてみれば腑に落ちた。
報連相というか、何かあればすぐに誰かに相談し自分で抱え込まない。
マネージャーという役割としてだけでなく、そういう性格なのだろう。
「コンちゃんみたいに頭が良くないからね」と彼女は笑うが、わたしの方が子どもなんじゃないかとぼんやりと思った。
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