五、パルマの孫

 ベルグはエルザから遠く東に離れた小さな山村。

 村人たちは山で木を切り、畑を耕し、牧畜もやっていて、この村だけで自給自足が出来ている。

 凄く裕福な村というわけじゃないけれど、この地方の領主は税の取り立ては緩いようで、その分干渉も少ない。

 この地はあたしのもう一つの故郷となった。

 みんなでこの地に移動してきた頃はパルマもコルトもみんな子どもで、当時は幼馴染みのパルマの結婚式で、フラワーガールをやるなんて、思ってもみなかった。


 確かにパルマはあたしより少しだけお姉さんだったけど。

 コルトはベルグの村の男の子で、当時5歳。

 7歳だったあたしからすると弟みたいな感じで、パルマは10歳だったからお姉さん。

 あたしたちは一緒に大きくなった。

 多分大きく…なった。


「ねぇ、レレ! 何でレムだけまだ子どもなの!? おかしくない?」


 ぴょんと跳ねて不満をぶつけるけれど、相変わらずレレは苦笑している。

 あたしが跳ねた弾みで、テーブルの上のさっきあたしが水を飲んだ空のカップが倒れた。

 あたしは麻布のワンピースの裾が椅子の背もたれに引っかかってしまったので慌てて直した。


「レムがハーフエルフだからだ。諦めろ」

「レシェスさま! オイラは? そのうち大きくなる?」


 レレが椅子に座ってお茶を飲んでいる横で、ピョンピョン跳び跳ねながらリトが言った。

 リトもちっちゃい組の仲間だけど、リトはそもそも地霊だから仕方ない。


「リトも随分大きくなったと思うぞ。レムはパルマたちと命の時の流れが違うからな。タルカじいさんだって、パルマたちは成長が早すぎるって嘆いていただろう?」


 レレはそう言うけれど、納得はいかないのだ。

 来たばかりの頃は、パルマはもちろんあたしより小さかったコルトだけど、今では村の中で指折りの木こりだ。畑を耕せば、あたしが一日かかっても終わらないような広さをあっという間に終わらせちゃう。

 小さいことをパルマにからかわれながら、いつも一緒に野山を駆け回ってた頃が懐かしい。

 パルマは20歳で、コルトは15歳。コルトがパルマを好き過ぎて、初めは相手にしていなかったパルマも根負けして、コルトが成人するまでパルマは待っていた感じ。


 リトはレレの言葉に満足したのか、ニコニコしながら窓からぴょんぴょん出て言った。


 レレが磨いてくれた壁の鏡を見ながらリトからプレゼントされたツゲの櫛で肩くらいに伸びた髪を梳いて、紐を口に咥えながらどんな結び方がいいか考えていた。

 あたしはどう見ても、パルマが10歳だった頃くらいの背格好だ。

 10年前に移動してきた時はもっと小さかったから、それを考えると10年でネルフの2歳分くらいは変わったかな? ってところ。


 結び方が決まらず、先にほどけていた革靴の紐を結び直していると、いつの間にかレレが鏡の横に立っていた。

 足音がなかったから、ちょっとびっくりした。

 基本レレは足音がない。歩き方が滑らかで、動きも綺麗なのだ。


「パルマの後ろで花を撒く役だったな?」

「そうそう。花嫁よりも目立たない感じで結びたいんだよね」


 あたしの口から紐を取ると、ササッと編み込みにして先端を垂らし、その先を紐で結び、更に懐から白い羽を出して付けてくれた。


「すごい…、レレって何でも出来るね」


 心の中で言ったつもりが声が出ていたらしい。


「どうやら旅先で覚えたようだ。と言っても、俺はリトがいうレシェスという名すら覚えていないんだがな」


 そう。レレは今ダンケル=ハイトと名乗ってる。

 最初に会った時レシェスさまってリトが呼んでたのを思い出して、それを言ってみたら、リトの方はそのことを思い出してくれたんだけど、レレ本人は記憶喪失なまま。

 あたしと最初に会った時の自分の記憶がないんだって。

 正しくは、あたしのことは思い出したけど、旅の目的に関する記憶とか、自分が何者かっていうあたりのことは全然出てこないみたい。


 リトは、レレに砂漠で拾われたって言ってた。

 エルザに来てトラインを巡ってるうちに、戦争が起きる兆しを感じた当時のレレが、急いで船で脱出したけど、船から落ちてしまったって話だった。


 あたしとは、トラインを巡ってるときにたまたま会ったみたい。

 レレの記憶が戻ったら、王都の兵士だったパパのこととか色々わかるのかな? って思ってたりするけど、無理に思い出そうとすると凄く頭が痛くなるみたいだから、無理に思い出さないでってお願いした。


「ありがと! じゃ、いこ!」

「俺はこれでいいのか?」

「普段着がカッコいいから大丈夫!」


 元々裕福な村じゃないから、主役以外は皆普段着だ。

 斜めに留められた革ベルトに黒いレギンスとブーツ。縦に並んだ金属ボタンで留められたブラウスのような長そでの服を着たレレは、村の外に出る時はマントコートを羽織る。

 どちらにしても十分礼服のような清潔感がある。

 白銀の髪は櫛を通さなくてもまっすぐで凄く綺麗だ。

 あたしはレレの手を引いて、家の扉を押しあけた。


 扉を開けると日差しで目が一瞬眩んだ。

 いつも家を出る時間と違うから油断してた。

 南東の方角に玄関が向いているから、この角度で日が当たるのは寝坊した時くらい。

 

「うぅ」

「大丈夫か?」

 

 あたしが呻いているとレレが後ろから声をかけてくれた。

 レレは眩しくないのかな?

 

「大丈夫。もう慣れた」

「そうか。ならいい」

 

 後ろをチラッと見ると涼しそうな顔であたしを見ているレレがいた。

 

「レ…ダンさーん。早くー」

 

 レレは返事代わりに片手を挙げてみせた。

 

 リトがぴょんぴょん跳ねながら駆けてくる。

 動きがいつもコミカルで面白い。

 リトはいつも身軽な格好だ。

 茶色の七分丈のパンツにベージュのシャツ、焦げ茶のケープポンチョに緑のスカーフを巻いて、緑の布が後ろに垂れた帽子を被ってる。

 

 帽子を脱いだら栗色のマッシュルームヘアだけど、帽子がお気に入りなのか滅多に脱がないから、それを知ってるのはあたしとレレくらいかも。

 他の服を見たこと無いけれど、このまま結婚式参加するのかな。

 

「パルマたちはもう出てきてる?」

「まだだよ。コルトはもう家の前で待ってて、ちょっと早すぎたって、複雑な顔してた」

「そうだな。出てきた以上引っ込みづらいよな」

 

 家を出ると、あたしとレレは村の広場へと急いだ。広場ではコレット神父とミズーリ司祭が、フラワーガール役のあたしを待っていてくれた。

 ミズーリ司祭はコレット神父のお姉さんらしい。

 二人ともエルフで、実はもう2000歳超えてるとか。パルマのお祖父じいちゃんのタルカじいはハーフエルフで2300歳超えらしくて、ここでは最長老だ。

 前の王様と幼馴染みだとか言ってたから、「血の濃さと寿命は必ずしも比例しないのかもな」って、レレが呟いてたっけ。

 

 あたしは他の地方の結婚式には詳しくないけど、この村の伝統的な結婚式はこんな感じ。

 

 花嫁は自宅から、ヴェールで頭からすっぽり隠れたまま父親に手を引かれてきて、花婿が待つ広場まで来る。そこからは手を引く役を花婿と交代。

 あたしは花嫁が来るまで花婿とそこで待つことになる。

 父親は広場から家までの孤独を乗り越えるのが辛いらしい。


 パルマの場合、お父さんがいないからタルカ爺が代わりをやることになるそうだ。


「じゃあ、最初のザドさんの家まではこれで大丈夫だな」


 レレは花籠いっぱいのテフの花をあたしに見せながらそう言った。


「十分だよ。あたしが撒き過ぎなければ」


 テフの花の花言葉は、『幸せのお裾分け』で、花撒きはその花言葉通りの意味を持つ。


「前回は二人で撒き過ぎて足りなくなったんだろ?」


 花婿姿のコルトがニヤニヤしながら言った。


「8年も前の話です!」


 前回の結婚式は8年前。ザドさんの娘さんとセナさんの息子さんが結婚したときだ。

 あたしとパルマが二人でフラワーガールを務めたんだけど、加減がわからなくて途中で花が無くなって追加してもらったのだ。

 あたしは二回もやるなんて思ってもみなかった。


 そんな話をしている間に、既にパルマとタルカ爺はもう、この広場に向かい始めていたらしい。

 遠くからキャーキャー楽しそうな声が聞こえ始めていた。


 各家からお祝いとして花を受け取りつつ、家から家までの道中その花を撒いて、最後に花婿の家の前で誓いの口付けを交わし、そこで二人で家に入る。


 今回はパルマとコルトの家が隣だから、ぐるっと単純に村を一周することになる。


 コルトとくだらないやりとりをしながらそんなことを考えていたら、もうパルマとタルカ爺がすぐ近くまで来ていた。


「うわぁ! パルマ綺麗!」

「い、言うな。き、緊張するだろ!」


 さっきまでの軽口はどこへやら。急にコルトの表情が固くなってきた。

 レレとリトは、別のところで見守っているみたい。


 パルマは薄い若葉色のふんわりしたドレスを身に纏い、若葉色の刺繍が施された白地のヴェールを顔の前に垂らしていた。

 白地なので前は見えているようで、手を引くのがタルカ爺だから、敢えて前が透けて見える仕様に仕立てたんだね。


 前回のザドさんの娘さんの時は、焦げ茶だったから、ザドさんが緊張してよろけると、花嫁さんも一緒に転びかけてた。


 タルカ爺からコルトへ、ついにパルマが広場のあたしたちのところへやってきた。


「パルマ、おめでとう」

「有難う」


 お互い囁くように言い合い、コルトがパルマの手を取る。


 さぁ、ここからがあたしの本番だ。



 コルトはがっちりとした精悍な若者に成長していた。

 灰色っぽい髪色の短髪で、木こりという力仕事をやっている割に余り日に焼けない体質のようで肌は白っぽく、そばかすが浮いていて幼さが残っている。

 何代も前からだいたい寿命が70年前後だという生粋のネルフだ。


 浅黒い肌をしたあたしとは真逆だ。ママも特に浅黒い肌じゃなかったのに、何故あたしだけ肌の色が違うんだろう?

 周りにはそんなことを気にする人が特にいないから、見比べるまで考えることもなかった。


 ミズーリ司祭は、コルトの高祖父母あたりが小さい頃から知っているらしくて、時々コルトのことをコルトのお祖父ちゃんやお父さんと間違えて呼ぶことがある。


「コルト、パルマ、結婚おめでとう!」

「ありがとう!」


 3軒目のセナさん一家の家で塩を撒かれる。

 内陸地であるベルグ村では、貴重な塩を撒く行為は魔を払い、幸せを呼び込むという効果があるとされて、祝福の意味を持つ。

 お返しにフラワーガールであるあたしがテフの花を撒いて返す感じ。


 一軒一軒巡っていき、祝福を受けつつ幸せをおすそ分けしていき、6軒目は小さな教会で、ミズーリ司祭とウィンが出迎えてくれた。

 この村に先導してくれた弟のコレット神父が5年前に亡くなって、一時は落胆していたけれど、神父が助けた小さい男の子を育てることに力を注いでいるみたい。


 ウィンは南の森に薬草摘みに行っていたコレット神父が命をかけて救った男の子だ。

 エルフと人間とホビットとドワーフが混在する5、6人の奇妙な一団が、盗賊か何かに襲われて一緒に亡くなっていたそうで、ウィンが何の種族の子かわからないらしい。

 当時赤ちゃんで、今5歳くらい。

 おくるみに、ウィンブリル=デニルファードって縫い込まれていたそうだけど、他に情報はなかったらしい。

 コレット神父が通りかかった時には赤ちゃんは胸を刺されて瀕死で、神父は命を削った回復魔法を施してウィンを助けて、村まで戻ってきた。

 そしてミズーリ司祭にウィンを託すとそのまま息を引き取ってしまった。


 あたしを保護してくれて、ウィンを助けて、あたしはいつか、コレット神父のような立派な人になりたいって思ってる。


「あら、コルにパルマ、おめでとう! ほら、ウィンもおめでとうって言ってあげて」

「お、おめで…とう」


 ウィンは恥ずかしいのか怖いのか、ミズーリ司祭の後ろに隠れながら、ボソボソ囁いた。


「ありがとうミズーリ様、ウィン。でも俺、コルじゃなくコルトの方です」

「ふふ。コルさんの息子のコルトですね」


 パルマも補足して笑った。


「あらー、またわたくしったら、ごめんなさいね」


 そう言いながら塩を撒いてくれる。

 あたしは「ありがとうございまーす」と言いながらテフの花を撒いて返した。

 ビクッとしながらミズーリ司祭の足元で顔を隠しつつ、ウィンはこちらを覗いていた。


「またね」


 あたしはそう囁くと、ミズーリ司祭とウィンが見送られながら、次の家の方へ向かい始めているコルトとパルマを追いかけた。

 そんな感じでもう何軒回ったか。小さな村だから、結婚したことを村人全員に伝えて、全員を証人にすることが習わしなのだ。


◇ ◇ ◇


 こうしてパルマとコルトの夫婦にも子どもが生まれて、その子も大きくなって、今度はその子が結婚して、ネルフの世代はいつの間にか代わっていった。

 パルマたちが結婚してから20年くらい経った。


「レレー! ただいまー! パルマから毛糸玉貰って来たよ」

「あぁ、おかえり。今日も何か編むのか?」


 椅子に座ってお茶を飲んでいたレレはあたしの方を振り返って言った。

 テーブルに籠を置くと、あたしはひと抱えほどの毛糸玉をその中に入れた。

 20年経ったけれど、レレの姿は変わらない。

 エルフみたいに耳が尖ってないけれど、レレもネルフじゃないみたいだ。

 あたしは少し大きくなって、パルマが14、5歳くらいだった時くらいの容姿になっていた。

 パルマは40歳。

 まだお婆ちゃんというほどではないけれど、よくあたしを見てブツブツ言っている。

 そんなパルマにも孫が生まれるらしい。


 パルマがせっせと赤ちゃんの服や肌着、ケープや涎かけなんかを作りまくっているらしいから、あたしは帽子を作ってあげることにした。


「帽子作ろうと思ってるんだ」

「パルマが大量の服を作ってるんだったな。帽子も作ってるんじゃないのか?」

「帽子はまだだって。手袋、靴下…って聞いていって、殆ど作ったって言ってたから、ダメ元で帽子は?って訊いたら、まだ作ってないって。ラッキーだね」

「生まれる前から祝福されまくってるわけだな。パルマ自身の子の時は思い付きもしなかったのにな」

「たしかに」


 あたしは戸棚から編み棒を取ると、毛糸を一つ取って椅子に腰かけた。


「さて、俺はそろそろ戻ろう」

「うん、いってらっしゃい。気を付けてね」

「ああ」


 レレは午前中にひと仕事やって、ひと休みしていたみたい。

 うちの近くの荒れ地を3枚分ほど開墾して、いくつかの作物を育てている。主にルードという根菜を中心に作っていて、近隣の集落にも買い手がついている。


 元々誰が耕してもうまく作物が育たなかった荒れ地だったから、殆どタダ同然で土地を分けてもらったらしい。

 移動してきた当時、レレはコルトのお父さんから道具を借りて、木を切り倒して家の材料にして数日で立派な家を作り、記憶を失った大工じゃないかと言われてた。


 残った端材で畑の道具を作り、柵を作り、作物を荒らす動物避けの仕掛けも周囲に施して、あっという間に広大な範囲を耕してしまった。


「あたしもたまには手伝おうかな」


 ふと、今日はちょっと畑に行ってみたくなった。

 編み始める前に思い直し、編み棒を毛糸玉に刺すとケープを羽織って外へ出た。


 季節はそろそろ秋。

 暑い日と涼しい日とを繰り返し、今日は少し冷たい風が吹いていた。


「あ! レム! ちょうど良かったー」

「うん? リトどうしたの?」


 家から少し離れた畑の方に歩いていると、走ってきたリトが頬を紅潮させながら話しかけてきた。


「いやー、さっき採れたルードを少しかじってみたらさー。『うわぁ! うんめっ!』って思わず声が出るくらいでさ! オイラ今すぐレムにも食べさせたくって!」

「ぷっ! ふふふ!」


 そんなことで……と言いかけて、プリプリ怒りそうだったからやめた。


「ん? 何で笑ってるの?」


 キョトンとした顔であたしをみるリト。


「それよりレレにも食べさせたの?」

「うん! 今年は暑かったから甘味が詰まってるなって言ってた」


 ルードは甘味料の原料になる。

 採れたてなら洗えば生でも食べられる。

 甘くて瑞々しい果物のような根菜だ。


 他にもトラ麦やミリ菜、コケイモなどを育てている。

 少しずつ収穫の時期も違って、今はちょうどルードとトラ麦の収穫時期だ。


「おーい、リトくーん!」


 青っぽい髪の女の子が柵越しに話しかけてきた。


「んー、あれは確かポルカちゃん。ザドさんのお孫さんだっけ」

「そそ。ほいほーい。どしたの?」


 リトは軽く返事して、ぴょんぴょんと柵の方に行った。


「あ、レムさんこんにちはー」


 ポルカちゃんは向かいの家に住んでいる、青っぽい短めの髪をよく2つ結びにしている6歳くらいの女の子だ。

 弟のカロンくんは4歳。大体いつも二人で遊んでるけれど、今日は一人でこのあたりに来たみたい。


 カロンって名前を聞くと、あたしが小さい頃、向かいに住んでいたミンディとその弟のカロンを思い出す。

 元気に大きくなってほしいと思う。


「こんにちは、ポルカちゃん。今日はカロンくんは一緒じゃないのね」

「うん。カロン熱出しちゃって、一緒にいると感染るから外で遊んでなさいって、ママに追い出されたの」

「そう。それは可哀想に」

「じゃあ、これを持っていきなよ!」


 リトがルードを何個かポルカちゃんに渡した。

 ポルカちゃんは目をぱちくりさせながら、


「有難う!」


 と言うと、嬉しそうに手を振って帰っていった。


「カロンくん良くなるといいね」

「小さい子が熱出すと怖いよねー」


 あたしとリトが、柵に寄りかかりながらそんなことを話していると、収穫したルードが山のように入った底にそりが付いた籠を引いたレレが、柵の向こうからやってきた。

 

「ダンさん、凄い量だね! オイラも負けてらんないや!」

「ああ、今年はかなり豊作だ。パルマの家にも分けて来るといい」

「そうだね! もうすぐ孫ちゃんが生まれるかもだし、エルちゃんにも栄養つけてもらわないとね!」


 リトはぴょんぴょん跳ねながら柵を飛び越え、レレが来たルード畑に入っていった。

 エルちゃんはパルマの娘で、結婚から4年後に生まれたから今年で16歳になる。


 旦那さんのカリスくんは隣村から引っ越してきた猟師一家の1人息子で、エルちゃんが猛アタックして結婚した感じだったみたい。

 コルトのこと考えたら、血は争えないなぁって思う。


 そんなことを考えながら1人で歩いていると、パルマの家の前に着いていた。

 手が疲れたからルードが入った手提げ籠を置いて、木の扉をノックした。


「パルマー。来たよー」

「んー!」


 返事の代わりに悲鳴に近いような声が聞こえた。


「エルちゃんの声? 入るよ!」


 あたしは籠を置いたまま扉を開けると中に入った。

 慌ただしくお婆ちゃんやおばさんたちが動き回っている。


「お湯はまだかい!」

「ほれ、それ取っておくれ! ああもう、あんたはこっちの手を押さえておいてあげな!」


 今まさに生まれようとしている!


「エルちゃん! 頑張って!」


 来たばかりのあたしは何をやればいいか一瞬考え、ベテランの産婆さんたちに下手に手出しをするより、エルちゃんの手を握ってあげることにした。


「レム! 来てくれたんだね!」

「パルマ! ごめん。大変なタイミングに来ちゃった」

「いや、いいタイミングなんじゃない? それよりカリスくん間に合うのかなー」


 カリスくん、出産に立ち会うつもりだったらしい。


「よく耐えたわね。エルちゃんそろそろいきみ始めて大丈夫よ」


 産婆さんがエルちゃんに声をかけてきた。

 初産だと、産まれそうでまだ産まれないこの時間がとてつもなく長く大変なのだ。

 と、パルマが前に言っていた。


 エルちゃんが産れる時もあたしはこの目で見た。

 その子が今度は産む側になっている。

 不思議な感じがした。

 呻き声と、必死に息を整えようとする吐息。サポートするお婆ちゃんたちの声が聞こえる。


 いきみ始めてから産まれるまでは、案外早かった。


「おぎゃあ! おぎゃあ!」


 産まれた!


「男の子だね!」

「頑張ったね! エル! 元気な男の子だよ!」


 あたしとパルマが口ぐちにねぎらいの言葉をかけていると、扉を開く音と共にカリスくんが駆けこんできた。


「エル! あぁ、産まれたか!」

「はぁ、はぁ、カリス早いなぁ……」


 カリスくんに続いてコルトも入ってきた。

 男連中は少しだけ間に合わなかったけれど、エルちゃんはやつれた顔ながら凄く嬉しそうに笑っていた。


「エル! 頑張ったな!」


 カリスくんは泣きそうな顔でエルちゃんの頭に手を置いた。


「名前は…もう決めてあるんだ」


 エルちゃんが口を開いた。

 疲れたみたいで、か細い声だった。


「なんて名前?」

「ジット。この子の名前はジットがいい」


 あたしの言葉に小さい声で答えるエルちゃん。


「古いエルフの言葉で、龍という意味じゃな」


 玄関の方から声が聞こえ、パルマが振り返る。更に遅れて来たタルカ爺が呟いた声だった。


「お祖父ちゃん」

「昔語った寝物語にでも紛れておったんじゃろうかのぅ」


 名前を言ったエル本人が、一番驚いた顔をしていた。


 

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そして彼は魔王となった 月灯 雪兎(ゆきと) @tsukiakariyukiusagi

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