四、クーファ=ジーン
暗雲立ち込める東の空を、1人の少年が眺めていた。
一見岩壁に囲われた堅牢な牢獄のようにも見えるが、高い魔力を秘めた岩を削って石板に加工してあり、接合にも錬金術の粋を駆使したいくつもの技法を用いられている。見事に接合された石板は、一枚一枚が正八角形のタイル状になっていた。
少年が空を眺めている場所は、そんな一室の窓のようになっている部分で、八角形と正三角形を組み合わせた縁取りで硝子のような半透明のものを嵌めこまれていた。
かつて天空の楼閣と言われた中央楼閣の一室である。
少年の中では東の方角は不吉の方角。
今の平和を脅かす恐れのある者たちの住処となっていた。
既にヘイゼルの乱から30年の歳月が過ぎようとしていた。
「じい」
「はっ、ここにおります」
「馬を用意せよ」
「どちらへ?」
「東の蛮族を狩りに行く」
「時期尚早かと」
「ちっ」
少年は舌打ちをした。
じいと呼ばれた男は、この国の実質のトップとも言える男だった。
アルヴィン=ジオ=ヘイゼル。通称ヘイゼル公。
30年前に先王エルスザック=ドルフ=ジーンを弑逆した張本人だ。
世界樹を擁するヘイゼル地方ヘイゼル領領主で、筆頭国務大臣であり、ジーン皇国国王クーファ=ジーンの教育係でもあった。
徹底した混血排除の強硬派で、その男に育てられた少年クーファ=ジーンもまた、同じく純血エルフ至高主義の思想の持ち主となっていた。
この中央楼閣と、世界樹の樹上に作られた城塞の天守閣にあたる建物は水鏡のような不思議な六角形の構造物で繋がっていた。
ヘイゼル公は既に2000歳を超えていた。
金色だった髪は、ある程度念願叶ったこともあって気が抜けたのか、白髪が目立つようになっていた。
銀色とは違う、明らかに色が抜け落ちている。
腰が曲がったりしているわけでもなく、一見若そうにも見える顔にも皺が目立ち始め、本人もそろそろ天命が尽きようとしていることを感じ始めていた。
「じい」
「何でございましょう」
「各トラインの様子を報告せよ」
「……はっ。ではまず北のヴェネスから。御存じの通り、ヴェネスは港のある区画でございます。先日西の大陸よりホビットが密航していたところを拘束し、聖域を穢した罪にて投獄いたしました。北東のトーラスにおきましては、その事件の為既存のホビットは全退去処分とし、現在ドワーフの刀匠のみ商業権を貸与しております」
「ドワーフも強制退去すればいいではないか」
「ドワーフは鍛冶技能に優れております。外見と素行のむさ苦しさには赦し難いものがございますが、完全に失うには惜しいものがあります」
「ふん」
クーファは鼻の辺りに皺を寄せ、心底嫌気がさしているような吐き捨てるような口調でヘイゼル公に答えた。
「それで、他は?」
「北西のカタン、南東のヴィラは特に変わりなく、南西のエルバは王侯貴族専用の港がございますが、ここ数年で交流が増えてきた妖精の町、西のメルポールへの観光船が頻繁に出ている以外、目立った動きはないようです」
「メルポールか。妖精はどんなものがいるのだ?」
「メルポールの近隣に住む妖精は、我々エルフと容姿は似ておりますが、極めて小さく、虫のような羽を持っておりますな。我が領地ヘイゼル地方にも、少々大型ではありますが、世界樹を中心に類似した種類の妖精が住んでおります」
興味なさげで、機嫌の悪そうな顔で、クーファは目を細めていた。
「ふむ。余も一度メルポールを訪ねてみるか」
「左様でございますな。見聞を広めるのもまた、王の勤めかと」
不機嫌そうな少年王は、羽織っていた煌びやかな赤いマントをはためかせながら、部屋の奥の方の扉を乱暴に開けて出て行った。
少年王が向かった先には石レンガを緻密に組まれた螺旋階段があり、地下へと続いていた。
扉を乱暴に開けるのはいつものことのようで、扉の先には人が二人分くらい扉から空けて、使用人らしき数名の男女が並んでいた。
彼らに一瞥もくれることなく少年王は足早に歩いていく。
螺旋階段を降りていくと、今度は赤い絨毯が敷き詰められた廊下だった。
左右には角が生えた鹿のような馬のような動物の剥製が飾られ、蝋燭ではなく乳白色に光る石がランタンのようにぶら下がって全体を照らしている。
廊下を抜けた先にはエントランスのような広い空間があって、そこからはいくつかの部屋に分かれていた。
干渉されるのを嫌う彼は、敢えて歩いて、従者とは別行動をとることを好んだ。
エントランスに設けられた扉のひとつを開けると、不思議な空間が広がっていた。
空色の光の波が部屋全体に揺らめくような空間。床面には透き通った虹色の円陣が描かれていた。
「エルバへ行く」
「はっ」
部屋の入り口で急に独り言を言ったように見えたが、返事が返ってきた。
部屋に入ってすぐの扉側の壁あたりに木製の事務机が置かれ、そこの椅子に腰かけて何やら事務作業のようなことをしている女性がいた。
部屋の中央には転送魔法を込められた魔方陣が描かれている。
微調整で行き先を決められる仕組みで、各トラインに瞬時に移動出来る優れものだ。
世界中に時空を越えて繋がっているとされる、世界樹の根や枝の時空間変容の理論を応用し、人為的に造った代物だが、移動先の指定まで出来るようになったのはごく最近のことで、その理屈について正しく理解している者はごくわずかだという。
少年王クーファは、ゆらゆらとぶれていく周囲の景色に身を任せた。
一瞬目を閉じ次に開けたときには景色は一変していた。
埃臭い部屋から視界は広がり、クーファはギリシャ神話の神殿を思わせる4つの柱に囲まれた、屋外の台座の上に立っていた。
先ほどの部屋の魔方陣より随分小規模だ。
台座からは石段が続いていて、石段を降りると石畳の広場までは石レンガの道が続いていた。
台座を囲4本の柱は結界のようになっていて、専用の魔法具を持つもの以外は内側に入れないようになっていた。
「お待ちしておりました」
「ふん」
声をかけてきたのは先ほどまで城にいたはずのヘイゼル公だった。
クーファの反応からして、いることは予想済みだったようだ。いつものことなのだろう。
この頃の大人のエルフにとっての30年は人にとっての2、3年と大差なかったであろうと、人の世には伝えられている。
しかし、人も子ども時代は一年が長く感じ、年を重ねると感覚が変わっていくのと同様に、ヘイゼルの乱の頃物心付くかどうかだったクーファにとっての30年は、3、4歳から15歳くらいまでのような感覚だったはずだった。
純血のエルフは大体100歳で成人となるため、成長が非常に緩やかなのだ。
「では早速船に案内致しましょう」
石畳の広場に着くと、そこには馬車のような乗り物が用意されていた。
2人乗りの人力車を馬のような動物が引いているような形だ。
現在ヘイゼル公は、政務の殆どを後任の者に任せ、半ば引退しているような状態だった。
あと数年でクーファが洗礼の儀を受ける年になるので、そこで政治の表舞台に立つ。
それまでにヘイゼル公自ら育て上げているのだった。
「この馬は正確にはなんという生き物なのだ?」
ふと疑問に思ったのか、クーファが口を開いた。
「これはカルバという動物でございますな。馬と呼んでいる家畜は他に2種類ございます。1つは翼を持ち空を駆るジルバ、1つは海を走るヴィヌマでございます」
「ふむ。船など使わずその、ヴィヌマとやらに乗れば良いのではないか?」
空を駆る馬や海を走る馬がいるならば、それに乗った方が早いと考えるのもわからなくはない。
ヘイゼル公は「ふむ」と頷いて続けた。
「正確にはヴィヌマは海面を駆る馬ではなく、海中を潜る馬でございます。故に船の代わりにはなり得ません。更に、ジルバは滅多に生まれないカルバの突然変異であり、現在我が国にはおりません」
「ちっ」
不満そうな顔のクーファ。
「さて、到着したようですな」
馬車はエルフの観光客の列を横目に王族専用の優先乗船口前に停車した。
周囲を取り囲む魔法による厳重警備の元、桟橋を渡って船に乗り込んだ。
船は二本の帆柱を持つ木造の帆船で、前帆は三角帆、本帆は大きな角帆で中も外も見事な彫刻や絢爛豪華な装飾に彩られていた。
メッキで縁取られた舷側からは20本ずつ長い櫂が出ていて、岩礁の多い海域では人力に切り替える方式の船だった。
クーファとヘイゼル公が乗り込んで間もなく船は出発した。
王候貴族専用というだけあって、贅の限りを尽くした船だったが、干渉されることを嫌うクーファは、個室に入ったまま降船まで出てくることはなかった。
エルフの中には階級があって、ヘイゼル公をはじめとするエンデリア大陸の各領地を治める領主一族を高級貴族、ヘイゼル領の騎士たち、つまりヘイゼル公の直接の配下と、エルザの各トラインを統治する者とその一族を中級貴族、その更に配下の者たちは下級貴族と呼ばれた。
更に騎士ではない者たちの血族は平民や下民と呼ばれ、基本的にエルザの都の区画の外に住んでいた。
レム=シーを保護したコレット神父は下級貴族だが、階級制度を嫌い、敢えて郊外に住んでいた。
現在、世界中にジーン皇国の息のかかっていない国はほぼ無く、国家としての文化水準の劣る近隣諸国はみな属国となっていた。
西の大陸であるジィン大陸の南部に位置するメルポールもまた、属国であるミトン国の町の一つだった。
航行距離としてはエルバから程近く、半日かからず辿り着く。
凪いだ海だった。
程よい追い風で帆を膨らませた豪華船は、魔法の力も借りること無く順調に目的地へと到着した。
「こういうことか。じい、余のローブを」
「これに」
桟橋を渡る前にフードの付いたローブをすっぽり被ったクーファは、顔もほぼ覆っていて一見王族には見えない。
身元がわからないようにというよりも、虫除けだった。
クーファたちの後に、他の乗船客たちも続々と降りてきた。
メルポールの町というので石畳や舗装された町をイメージしていたクーファは、ヘイゼル公が用意していた防護衣としてのローブの意味を理解した。
整備された町並みというより、密林の中に住み着いた妖精のコロニーに文化人がお邪魔する感じだ。
樹木の合間を縫うように蔦や草がところ狭しと生い茂っている。
桟橋が渡っている場所は、一応その先に獣道のような道が延びているのがわかった。
「ここは本当に町なのか?」
眉をひそめて訝しむクーファ。
「ふふ。入ってみればお分かりになるはずでございます」
言われるがまま足を進めるクーファ。
獣道のような茂みに足を踏み入れた途端、それまでただの茂みに見えていたものが、色づき始めた。
蔓が絡んだだけだった草木が茅葺きの家であったり、密集した立木の列は生きた木々を意図して植林されたと思しき天然の外壁であった。
人よりも羽を持つ生き物、特にフェアリーが多く行き交い、飛び交う密林地帯の楽園といったところか。
「おぉ……」
思わずため息を洩らすクーファ。
「念のため、虫除けのまじないをかけておきましょう」
そう言ってヘイゼル公は細いタクトのような杖を懐から取り出すと、何やらブツブツと唱え始めた。
「森羅万象に
タクトの先から迸る光が、クーファの纏うローブを包み込み、吸い込まれるように消えた。
「ふむ。これは何だ?」
「陛下を害なす者を寄せ付けない魔法ですな。暴漢、盗人、果ては吸血虫の類いも寄せぬまじないでございます」
「そうか」
興味なさ気に答えると、クーファは歩きだした。
木の周囲を葉が螺旋階段のように続いている。登っていくとその先で、木と木を繋ぐ桟橋のような蔦がかかっている。
フェアリーたちに階段や足場があまり必要でないため、来客用に設置したのかもしれない。
上の方で他のエルフの貴族たちが、おっかなびっくりつり橋を渡る姿が遠目にも見えた。
クーファはフェアリーたちが蝶のように飛び交う中、螺旋階段を登っていった。
大木の外周を巡る葉の階段を登ると、途中でつり橋のように別の方へ蔦を編んだようなの道が延びていたり、木の枝に手すりを渡され、通路となっていたりした。
案内板が随所に設置され、それを頼りに他にも観光客らしきエルフやホビットなどの姿が見渡す範囲にちらほら見られた。
「狭いな。こんなところで生活する者の気が知れん」
「ここの住民は飛べますからな。浮遊魔法は研究段階でございます」
「羽虫か」
「まぁ、我々エルフとフェアリーでは役割が全く違うということです」
つり橋を渡りながら、ヘイゼル公は肩を竦めた。
「この先にエルフの大使館がございます。そこで私は大使の者と交代致します。その者と護衛兵に案内を引き継ぎます」
「あいわかった」
吊り橋を渡った先には木をくり貫いたトンネルがあり、抜けた先は巨大な大木の切り株の上だった。
小さな建物や、切り株の各所から生えた太い木の幹や、平坦ではない段差のある切り株の幹の一部をくり貫いた住居が点在していた。
その太い幹をくり貫いたものに後付けで木の柱や板などを組み合わせた建物が大使館として使われているということだった。
「お待ちしておりました。私、ミトン国親善大使のティカンと申します」
にこやかな笑顔の、少し大きなフェアリーの男だった。
葉と布を合わせたような不思議な礼服に身を包んでいた。
頭には尖った葉っぱの帽子を被っていて、挨拶の際には帽子を取ってペコリと平伏した。
大使館の建物の端のあたりから、白地に水色の帯を付けたローブを着た浅黒い肌の、長い黒髪の少女が出てきた。
真珠のような乳白色の珠を連ねた髪飾りが黒髪に映える。
不意に視界の端に現れた見慣れない肌色の少女の姿に、クーファは目を奪われた。
つい目で追っていた。
尖った耳はエルフの血をひいていることを示している。
年の頃はクーファよりも少し下といったところか。
誰かに向けて、弾けるような笑顔を向け、歩きながら楽しげに喋っている様子だった。
「どうかされましたか?」
大使のティカンと何やら話していたヘイゼル公が、振り返って声をかけてきた。
「いや。何でもない」
平静を装ったクーファは、不機嫌そうにヘイゼル公の方に向き直った。
大使館の方へ案内されながら、もう一度少女がいたあたりを見たが、すでに少女の姿はなかった。
「それでは私はそろそろ本土に戻らねばなりません。ティカン殿、案内を頼みます」
「承知つかまつりました」
ティカンはそう言って羽をはためかせて宙返りをした。
「2体ほど護衛もつけることに致しましょう」
ヘイゼル公はそう言うが早いか、再びタクトを振るった。
杖が出現し、その先端で円陣を描いた。
「森羅万象に宿りし偉大なる大精霊にお願い申し上げる。世界樹の枝葉より生を受けし
血脈の末端たる我を助け、仮初めの命を此に現し給へ。ーービルド。アクトゥース」
つむじ風と共に円陣の上に現れたのは、硬そうな木製の鎧武者と、葉の翼を持った美しい蝶のような鳥のような、不思議な生き物の2体だった。
クーファは目を丸くしている。
「召還致したるはゴーレムの近縁のもので、
「某の名はソウジュにございます。以後お見知りおきを」
鎧武者はひざまづいた。
「きぇー!」
「こちらは言葉は成さぬか。ならばラビナと呼ばせてもらおう」
「きぇー!」
言葉こそないものの、その目には知性があり、ヘイゼル公の言葉に答えるかのようにじっと見たあと、再度一声啼いた。
「ふむ。あまり強そうではないが、大丈夫なのか?」
「こう見えて、一体で、我が軍の一個師団ほどの戦闘能力は有してごさいます」
クーファの問いかけに、ヘイゼル公は愚問とばかりにさらりと答えた。
「では後程」
そう言い残すと、ヘイゼル公は身を翻してそのまま来た方とは別の道へと去っていった。
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