三、ダンケル=ハイト

  オイラが次に気がついた時は、海岸だった。


 岩がゴツゴツしたところで、レシェス様の外套の内側に引っかかってるような状態で、一緒に漂着ひょうちゃくしていたんだ。


 後で思い出したんだけど、レシェス様はでっかい衝撃波に吹き飛ばされて、船から落っこちていたんだ。

 でもその時は頭がぼーっとしてて、何がなんだかだったよ。

 自分が誰かも判らない状態だったんだ。


 レシェス様の懐からなんとか這い出て、倒れているレシェス様のほおをペチペチやってみたら、ちょっとだけ反応があったからほっとしたよ。

 だけどねぇ、名前を呼ぼうと思ったら、あれ? ってなった。

 困ったことにレシェス様の名前が出てこない。

 オイラ声が出なかったんだよ。

 思い出せなかったんだ。

 なんでこの人の懐にいたのかも出てこない。

 頭の中が、ハテナだらけになって岩の上を転がりながら考えてたら、レシェス様が目を覚ましたんだ。


「…っつ。ここは…」


 こめかみに手を当てながら、もう片方の手で体を起こし、大きめの岩に背中を預けながら、レシェス様は呟いた。


 オイラの姿にも気づいてない様子だったよ。仕方ないからオイラは、聞いてみることにしたんだ。

「オイラはリトだ! あんた名前は何てーのー?」って。

 そしたら驚いたような顔で、こっちを見た。


「リト…名前…? くっ…」


 険しい顔で目を閉じて、またこめかみを押さえたレシェス様。

 まぁこの時オイラはレシェス様の名前が分からなくなってたから、名無しのごんべさんとでも言っておこうかな。


 えっ長い? じゃあごんべさんで。


 ごんべさんは体を起こすと、「ダン…」と答えた。

 なるほど。

 何か聞いたことないなぁと思ったけど、とりあえずダンさんと呼ぶことにしたよ。


 ダンさんも自分がレシェス様だってことも含めて、なんか色々忘れちゃってたみたいだね。

 あ、ごんべさん終わりね。

 この時からしばらくダンさんって呼んでたからそれに合わせることにしようかな。


 名前もわからない状態だったけど、オイラはダンさんにくっついてるのが当たり前な気がしてたし、ダンさんも、オイラがくっついてるのには何にも疑問は無かったみたいだった。

 日の角度的に、夕方に差しかかってる感じだった。

 急に冷え込んできてたし、この岩場にいつまでもいるわけにはいかなかったから、オイラたちは移動することにした。


 船に乗るまで付けていたターバンは無くなっていたけれど、い灰色の外套に、腰帯に結んだ銀の剣はそのままだった。

 同じく腰帯に結んであった革の袋も外れることなくくっついていて、ターバン以外は特に無くしてるものは無かったらしい。


 びっしょりれた外套をしぼりながら、

「リト。俺は何故ここにいるのだろうな」


 ダンさんがそう言ったから、オイラは、

「オイラもわかんないけど、腹減った」

 って言ったんだ。


 ダンさん少し笑って、

「人がいるところへ行こう」


 って答えてくれた。

 海に面した岩場から陸地側へ歩くと、砂利と砂の荒地が広がっていて、ずいぶん離れたところに、南の区画のトラインの隔壁が見えた。

 後でわかったんだけど、打ち上げられた場所は、エルザの南西側、区画からはずいぶん離れた郊外のゴツゴツの石ばかりの浜辺だった。足場が不安定で、凄く疲れるんだ。


 少し歩くとゴロゴロした石から砂利に変わって、今度は裸足のオイラの足には結構痛かった。

 ダンさんが肩に乗せてくれたから、痛かったのはちょっとだけど。

 ダンさんはオイラが少し寝落ちる程度砂利道を歩いて、日が落ちきる前に、小さな民家がちらほら見える場所に着いたんだ。


「ここ、どーこ?」

「恐らく郊外の庶民宅の集落の一つだろう」


 首を傾げたオイラに、ダンさんは少し辛そうに答えてくれた。

 あとで知ったけれど、先の戦禍を免れた数少ない集落の一つだった。


 オイラは少し寒くなってきたから、ダンさんの外套の襟辺りに潜ってみた。


 くすぐったかったのか、ダンさんがちょっと首の辺りをよじって、口許が緩んだ。


 そのまま集落の入り口っぽい木の枠を抜けて、一軒の家の戸を叩いた。


「返事がないな」

「うん、寝てるのかな?」


 寝てるとすれば、相当早寝な家だ。

 だって、まだ日も暮れてないんだから。


「寝てるなら起こしては申し訳ない。他をあたろう」


 その時だった。


「誰だい!?」


 ちょっと低めのおばちゃんの声だった。

「ダン…ダンケル=ハイトという。船旅をしていたところ、大波に煽られて船から落ちてしまった。船はそのまま行ってしまって、なんとかここに辿りついた。勝手に近くをうろつくのも不審かと思って、挨拶に来た。一晩だけ近隣に野宿してもいいだろうか?」


「入んな」


 戸が開いて、中に案内された。


 中にいたおばちゃんは、耳が尖ったエルフだった。

 オイラには初め気づいていなかったみたいで、ダンさんにローブのような服と厚手のタオルのようなものを放ってきた。


「死んだ旦那のもんだが、着な。近所で野宿なんて、いちいち近くの家を訪ねて挨拶なんてせず、勝手にやればいいけどさ。凍えて死なれちゃ迷惑だからね」


「すまない。恩に着る」


 ダンさんはおばちゃんにお礼を言うと、その場で重くなった外套を脱ぎ、上半身裸になって身体の水気を拭った。


「はっ! あたしも一応女なんだがねぇ。近頃の若いのは恥じらいとかないのかね」


 おばちゃんの方が後ろを向いて、奥の部屋へと移動していった。

 今思えば、エルフのおばちゃんって、幾つぐらいなんだろう? いつまでも若いイメージだから不思議だねぇ。


 ダンさんが着替えてる間、オイラは実は部屋の中をうろついていた。

 ネズミが通り抜けたっぽい横穴を覗いてると、急に子ネズミが出てきて体当たりを喰らって驚いたよ。

 結局この日は、空いた部屋を貸してくれて、野宿じゃなく一泊させて貰ったんだ。

 口は悪いけど良いおばちゃんだよね。


 おばちゃんの旦那さんは、ずいぶん前に病気で亡くなったらしい。トライン防衛側の兵士として借り出されなくて良かったと呟いてた。


 次の朝、いずれ必ずお礼をさせてもらうと言っておばちゃんの家を後にしたんだけど、集落の広場に行くと、兵隊さんが2人いて、何やら看板の付いた杭を地面に打ち込んでた。


「何だあれは?」

「さぁ? オイラに聞かれてもわかんないや」

「ふむ。直接聞いてみるか」


 細い草や小さな花が咲いた草がところどころ生えた広場で、井戸の周りに大きめの木が何本か生えている。

 柵があるわけでもなく、植えてある感じじゃなくて、元々木がある所に集落が出来たのか、自然に生えてきたって感じだったね。


 その井戸の近くに看板が打ち込まれたわけだけど、小さな子どもや、おじいちゃん、赤ちゃんを抱いた若い女の人たちが、書かれた掲示を読んでいた。


「何て書いてあるんだろう?」

 オイラは歩いて近づいたけれど、圧倒的に背が足りなくて何にも読めなかった。


「ふむ、『先王によって穢されたこの地はヘイゼル公と賛同する諸侯による聖戦の末、再び安寧の地となった。はぐれとそれに類するものたちは、全てエルザの都及びその近郊から速やかに退去すべし。これはジーン皇国国王代行アルヴィン=ジオ=ヘイゼルによる勅令である。温情として、この掲示開始より7日の猶予を与えるものとする。』」


「何か難しい言い方だけど、要は出てけってこと?」


「そのようだが、エルフ以外はということらしいな」


「なんじゃこれは! 無茶苦茶じゃろう!」

「何だこのジジイ! 抵抗するものは拘束するぞ!」

「やめて! おじいちゃんを放して!」


 読んでいたおじいちゃんが兵隊さんたちに文句を言ったら、持っていた槍で交差する感じで押さえ付けられて、その横にいた子ども、女の子がその兵隊さんの腕に掴みかかっていた。

 兵隊さんの1人に振り払われて吹っ飛んだ女の子を、ダンさんが受け止める。

 次の瞬間兵隊さんの首のあたりに手刀を入れると、2人ともそのまま静かに崩れ落ちた。

 たぶん、兵隊さんたち、手刀入れられたことも気づいてなかったよ。

 二人の兵隊さんたちは取り敢えず寝かせておいて、ダンさんはおじいちゃんを助け出した。


「お兄さんありがとう!」

「あいたたた……お若いのすまんのう。ついカッとなって文句言ったらこのざまじゃ」


 小さな女の子とおじいちゃんはお礼を言ってきた。

 おじいちゃんは、あちこち擦り傷があったよ。


「いや、大したことはしていない」

「それよりこの兵隊さんたちどうすんの?」


 多分このままだと大事おおごとになるってことはオイラにでもわかったから、オイラはダンさんに訊いてみた。


 ダンさんは眉をひそめてちょっと考えていた。するとさっきのおばちゃんが声をかけてきた。


「あらら。タルカじいさんとパルマちゃんじゃないか。ってあんた、兵隊さんたちどうしたの?」


「あー…、大変だ! 兵隊さんたち働き過ぎで倒れちゃったみたいだよ! 誰かんちで介抱してあげよう!」


 オイラはその場でぴょんぴょん跳ねながら叫んだ。

 何となくの思いつきだったんだけど、ダンさんは「ふむ。いい考えだ」と呟いた。


 他にもその騒ぎを聞き付けて、集落の人たちが集まってきた。


 その間に集まった大人たちが協力して、兵隊さんは近くの日陰に敷いた敷き藁の上に寝かせた。

 額に濡らした布を、横に水差しを置いて、介抱してる風にしておいた。


「それにしても、今ヘイゼル公に逆らうのは得策じゃねぇな」

 おでこにタオルを巻いたおじちゃんが言ったら、他の人たちもうなずき合ってた。


 看板を皆それぞれ読んで、出た言葉は色々だったけど、大体そんな感じの話にまとまってきた。


 この集落には小さな教会もあって、そこの教会の神父さんが少し遅れてやってきた。


「大体の状況は把握できました。この集落の住民はぼぼ全員純血エルフではありません。それがわかっていて、このようなお触れを出したのでしょう」


「コレット神父、それでは我々はどうしたら……」


 昼に差し掛かる頃、100人前後の人びとが集まっていた。

 コレット神父は白いふさふさした髭の小さなおじいさんだった。


「では一度、この地から離れましょう。敢えて危険な王都の近くにいる必要もありません。遥か西の盆地に私の姉がおります。そこを皆で頼ることにしましょう」


 コレット神父の話を聞いた集落の人たちは、急いで旅支度を始めた。

 オイラたちはすることがなかったから、あちこちの大荷物を荷車に載せるのを手伝ったりした。


「兵隊さんたち大丈夫? 急に倒れたんだよ? 働き過ぎなんじゃない?」


 オイラはちょうど兵隊さんたちが体を起こすのが見えたから駆け寄って、声をかけてみた。


「うわっ! あー、ノームか。珍しいな。俺たちは倒れてしまったのか」

「ああ、そうだ。二人して急に倒れたところを若い連中が担いでここまで運んだのだ」


 ダンさんも兵隊さんにそう教えたから、もう疑われることはなかった。

 兵隊さんたちは誰とはなしにお礼を言うと、二人とも帰っていった。


「あ、あの綺麗な人!」


 高めの声が聞こえた。

 パルマの横にもう一人女の子がいて、その子がこっちを見て言ったらしい。


「ん? ダンさんのこと?」

「ダンさん?」


 女の子が首を傾げた。


「くっ…。君は…」


 ダンさんが急に頭を押さえて唸り始めた。


「ああ、そうか。君はレム」

「レム? あー! そうだ。前に草の玉転がして遊んでた子ね」


 今まで出てこなかった記憶の一部がまた少し出てきたのは嬉しかった。


 まだ肝心なレシェス様って名前とかは出てこなかったんだよねー。

 レムに前会ったときにレシェス様が名乗ってれば、この時にレムから教えてもらえたんだろうけど、仕方ないね。


「お母さん……死んじゃった」


 実はこの時にはいまいちわかってなかったんだけど、戦災孤児になってしまって周りは知らない人だらけで、少しでも知ってる人に再会したから嬉しかったんだろうね。

 ダンさんのローブにすがり付いて静かに泣いてた。


 それをコレット神父やタルカじいさんが悲しげに見守ってた。

 ダンさんはまだ状況は把握してなかったみたいだけど、レムが落ち着くまで頭を撫でてたよ。

 この時のレムは、髪が長くて真っ黒で、肌も浅黒い感じだった。

 日焼けじゃなくて元々そんな肌の色だったみたいだね。

 丸みのある赤褐色の大きな瞳はとても優しげで、肌の色とあいまって一度見たら忘れないほど印象的だった。

 7歳だったらしいから、随分小さかったけど、10歳のパルマも背は同じくらいだったかな。

 パルマの印象は…。

 薄いんだよなぁ。


 赤毛の巻き毛でお下げの子だったね。うん。

 お婆ちゃんになってからの方が印象強いんだ。


 さて、それから何日も経たないうちに、みんなで夜逃げさ。

 この集落には、ほとんど魔法を使ったものは無かったんだけど、集落の真ん中に一つだけ、前の王様がつけてくれた街灯があったんだ。


 不思議な光る石が埋め込まれた、火を使わない安全なもので、たった一つで集落全体を照らしてくれてた。

 それは引っこ抜いて、運ぶことにしたみたい。


「もうそろそろ休もうか」


 日差しが強く先頭を歩いていたおじちゃんがみんなに声をかけた。

 前におでこにタオルを巻いてたおじちゃんで、名前はセナさん。

 その隣にはセナさんと同世代っぽいおじちゃんで、皮の腰巻きを巻いたザドさん。


 大体この二人が普段から集落の村長的な役割を持っていて、大移動の大まかな指揮をとってた。


 オイラはダンさんと一緒に大移動の中列あたりにいた。

 その辺りにはパルマやレムたちみたいな小さな子どもが多くて、レムがダンさんと一緒がいいと譲らなかったのもあって、子どもたちの護衛役ってことになった。


「あとどれくらい歩くのー?」

 パルマが疲れた顔で近くの岩に腰掛けたタルカじいさんに尋ねた。


 オイラは歩くの慣れてるけど、子どもにはいつ終わるかわからない旅はしんどいんだろうなぁ。


「わしが若いときなら2日くらいじゃったのぅ」

「若いときって、何年くらい前?」

「1000年くらいじゃの」

「えー。おじいちゃん何歳なの?」

「1800歳くらいじゃったかのぅ。パルマは今8歳じゃったな」

「違うよ! 10歳だよ!」


 ぷりぷり怒るパルマ。


「レムは7歳だよ。パルマの方が随分お姉さんだね!」


 レムが話に加わってきた。

「レムってハーフエルフなの?」


 オイラちょっと気になって聞いてみた。


「うん。パパがエルフで、ママがネルフだったよ」

「ふーん。タルカじいさんは? エルフ?」


 1800歳って、随分高齢だったから聞いてみた。


 え? ネルフって何だ? だって?

 ネルフってのは、要は人間のことだよ。

元はエルフじゃないって意味だったらしいけど、確かに今は使わない言い方だねー。


「わしか? わしはエルフのハーフじゃが、四分の一はドワーフが混じっておるのぅ」


 タルカじいさんが答えてくれた。


 色々混じりすぎて種族不明となった者の総称がネルフっていう説と、短命でそれぞれの種族の特徴の平均的な感じの人たちをネルフって呼ぶようになったって説があるけど、オイラはぶっちゃけ違いがわかんない。


 寿命は確かに混じるほど短くなるっぽくはあるみたいだね。


「俺は…自分が何者かわからない」


 静かに聞いていたダンさんが口を開いた。

 それを聞いたレムが、一言聞いた。


「ダンさんって、もう一個名前あるんだっけ?」

「え?」

「何の話だ?」


 オイラもダンさんも思いがけないレムの言葉に驚いた。


「レシェスさまって、リト君言ってたよね?」


「あー! あー! あー!」

「リト君うるさいよー」

 パルマに怒られた。


「ごめん。でも思い出した! ダンさんはレシェス様だ! レシェス=ヴァゴラスって名前だよ!」

「うっ……」


 ダンさんもといレシェス様は眉間に皺を寄せながら、おでこを押さえてた。


「すまない。思い出せない」


「そっかぁ。じゃあしばらくはこれまで通り、ダンさんだねー」

「レムはレレって呼んでもいい? レムとおんなじ、レから始まるからレレ」

「ああ、好きに呼ぶといい」


 ダンさんはにっこりしてレムの頭を撫でた。

 こんな笑顔初めて見たよ。


 それを見ていたタルカじいさんたちも、ニコニコしながら見てたね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る