二、ヘイゼルの乱

 この世界に世界樹と呼ばれる大樹があることは、誰もが知る生きた伝説である。

 しかし、その起源が、創世期にさかのぼる太古の昔であることを知る者はほぼいない。

 そして、あまりに大きすぎる魔力故に、周囲の時空はじ曲げられ、世界樹を中心とした、誰も近づくことのできない広大な聖域が存在する。

 そして誰もが知る世界樹は、その枝葉を分けた一つの分身にすぎない。


 ある森に、とても大きな大樹があった。

 その根元には大きな洞穴が空いていたが、入れそうで入れない、見えない壁のようなものに閉ざされていた。

 木の周りには耳のとがった綺麗きれいな人型の生き物たちがいて、銀の髪をなびかせた美しい青年が、洞穴どうけつから現れるのを楽しみにしていた。


 途方もない時が流れ、大樹はさらに枝葉を伸ばした。


 耳の尖った綺麗な人型の生き物たちもまた、『安心できる場所』から『神聖なるもの』というように、大樹のとらえ方を変容へんようさせていく。



―――



「この大樹を、そしてそのまもり手であるエルフの血を、決して絶やすでないぞ」


 この地の領主、アルヴィン=ジオ=ヘイゼルが幼い頃、そう祖父から託された言葉である。エルフの寿命は約2000年。

 ヘイゼル公はすでばん年に近く、その曾祖父がまだ子供の頃に、一度、伝説の大樹が燃えたという。


 5000年以上も前のことだった。


 当時『はぐれ』と呼ばれた、いびつな風貌ふうぼうの者が、夜更けに火を放ったというのだ。


 小規模ではあったが、当時既に非常に文化的な木造建築が立ち並んだ街で、大樹の恩恵おんけいによって護られて外敵もなかったため、警備けいびという概念がいねんもなかったことが災いした。


 街外れの牧草小屋に放たれた火は瞬く間に燃え広がり、エルフ達の集落は激しい炎に包まれた。

 雲にも届く巨木であった世界樹にも、その火の手は移り、天をも焼き尽くす勢いにまでなった大火災は、ひと月以上消えることはなかったという。


 悪鬼のごとく猛威もういを振るう炎をしずめるべく最後まで奮闘ふんとうした曾祖父の父親が帰ることはついになく、曾祖父を含む生き残ったエルフ達は、燃え残った大樹の枝葉を寄せ集めて野営し、大変な苦労をして復興したという。


「はぐれ……。追放されエルフではなくなった者たちのなれの果てども」


 長身の男が長い廊下を足早に歩いていた。


 整った美しい容姿ようしに知的な深いみどり双眸そうぼう。エルフの特徴でもある尖った耳は金色の流れるような長髪の両脇から突き出ている。

 長身でせぎすだが、武術で無駄なく鍛え上げた体躯たいくの持ち主であることが、身のこなしから見て取れる。


 腰には最低限の飾りがほどこされた実用的な長剣。美しいルビーが随所ずいしょに施された短い廊下の終点には両開きの飾り扉。開けると一気に視界が開けた。


 そこには10万にも及ぶ兵たちが隊列を組み、主のお出ましに大歓声を上げた。


 ヘイゼル領領主アルヴィン=ジオ=ヘイゼルは広場を見下ろし、手をかかげる。

 そして静まった兵達に向けて、高らかに宣言した。


崇高すうこうなる神々より預かりし世界樹の民よ! ついに立ちあがる時が来た!」


「現ジーン王エルスザックⅠ世は、神々に作られしエルフ族代々の伝統を軽んじ、かつて世界樹を焼き尽くした『はぐれ』どもを神聖なる城内に招き入れた」

なげかわしきことに、我ら純血なるエルフとの混血、ハーフエルフ等という者達も生まれているときく! ホビット族、ドワーフ族、そしてすべての能力を奪われ神々にも見放された最も無能なる人間! 世界樹を焼いた悪鬼どもの同族を招き入れるは大罪と進言するも聞き入れる気配なく、ついには手当たり次第に外部の者に領地を明け渡す法まで作る乱心ぶり!」


「大義は我らにあり! 世界樹の加護かごのもと、愚鈍くどんなる逆賊ぎゃくぞくエルスザックⅠ世をはいすべく、これよりジーン皇国王都、エルザへと進軍を開始する!!」


 それに応じる軍勢の声は、さながらごう音。大地を揺るがし、大気を震わせた。





―――


 気づけば炎の中だった。

 あたり一面赤い炎。

 あたしはママの隣で泣いていた。

 倒れてきた柱にはさまって動かなくなったママの隣で。


「レム! 危ない!!」


 そう叫んだママは、あたしを突き飛ばして柱の下じききになってしまった。

 それっきりママは動かない。


 あたしのお家は、トーラスとヴェネスの間あたりのトライン外居住区にある。


 この日は朝から、お向かいのミンディと、その弟のカロンと3人で遊ぶ約束だったんだけど、パパから駄目だって言われて家で大人しくしていた。

 いつもならそんなことは言わないんだけど、今日はパパの様子がいつもと違ってた。

 少し緊張してるような、そわそわしてるような、とにかく変だった。

 それから少しして遠くで小刻みな鐘が鳴って、それを聞いたパパは急いでお仕事へ出かけていった。

 パパの仕事は兵隊さんだ。

 そしてそのパパが絶対に外に出ちゃいけないって言ってた。


 仕方ない。

 遊びに行くわけにはいかない。


 ママは人間で、パパはエルフ。

 あたしはそのハーフだ。

 ミンディとカロンはハーフエルフって言われてるあたしと違って、パパもママも人間だって言ってた。

 ミンディはあたしと同じで7歳。

 カロンは5歳。

 あたしはパパの血をひいてるからか、同い年のミンディよりも、カロンと同じくらいに見えるらしい。

 あたしは、ひたすらパパの帰りを待っていた。


 お外が真っ暗になってもパパは帰って来なかった。

 ママが詰め所にお泊りだと言っていた。

 あたしとママはもうベッドの中だったけれど、あたしはなかなか寝付けなかった。

 トイレに行きたくなって寝室から抜け出したあたしは、遠くでダダダダッと音がしていているのに気が付いた。

 それはだんだん大きくなって、大きくなって…怖くなってきたからすぐにトイレを済ませて寝室に戻ろうとした時、急に外で何かが割れる大きな音がして、その音に驚いたママが起きて、次の瞬間ベッドが燃え上がって、ママがあたしの手を引っ張って玄関から出ようとしたら、もう廊下も燃えてて、台所の方にもうひとつある出口に向かおうとしたところで柱が倒れてきた。


 何処の柱だったかまではわからない。


 気づけばあたり一面燃えていて、真っ赤だった。

 ママは動かない。

 動かないママの横であたしは泣いた。

 もう何が何だかわからない。

 何もかもおしまいなんだと思った。




―――

 地響きとともに、騎馬きば隊がけ抜ける。

 軽鎧を身に付け、足首には小さな翼形の装飾を付けた馬達。

 軽装備に見えるが強力な魔法装備に身を包んだ兵達が突き進む。

 ヴェネス、トーラス、ヴィラは瞬く間に陥落かんらく

 3区画を陥落したヘイゼル軍は、一気に中枢ちゅうすう区画へと進軍。

 いかなる手段を用いたかは不明だが、アルヴィン=ジオ=ヘイゼルは一夜にしてエルスザックⅠ世に王手をかけた。

 ヘイゼル公のあまりに早い進軍に、エルスザックⅠ世の軍は後手に回らざるを得なかった。

 もともと軍政にうとかったことも災いした。


 制圧と同時にアルヴィン=ジオ=ヘイゼルの軍は各トライン外居住区に立ち並ぶ家々を焼き尽くした。


 騎馬隊は油の入った火炎壺かえんつぼを使ったという。

 特に『はぐれ』が集中した3区画の周辺区域はひどかった。

 焼け残った住居から瀕死ひんしい出した者達にも槍を突き立て止めを刺し、かろうじて難を逃れた者はたまたま別の区画にいた者や瓦礫がれきに埋もれて助かった幼子くらいなものだったという。

 残るカタン、エルバの2区画の周辺区域には主に純血エルフを中心とした王こう貴族の親族が多かったこと。

 ひそかにヘイゼル公に加担する者が多かったことからほぼ被害を受けることは無かった。

 

 焼け落ちた家の瓦礫の山に埋もれた状態で、一人の少女が発見された。

 木造家屋が多い地域だったため、他に生き延びた者は無く、凄惨せいさんな光景だったという。

 生き残った少女もまた、何日も眠り続けた。

 年のころは6歳前後。

 母親の遺体のそばに倒れていたその子が絶望に打ちひしがれていたであろうということは容易に想像できた。


 靄がかった視界に、いつもの景色が見えた。

 何も燃えていない。

 漆喰しっくい塗壁ぬりかべに、角材で出来たはり

 縄で縛られた根菜が幾つかるされているのが見える。いつもの景色だ。


「ママ、ママ! レムねっ。綺麗な人に会ったよ!」


「そう、良かったわねぇ。女のひとかしら?」


 茶色の髪を一本の三つ編みでまとめた女性がにこやかに答える。


「えっとね! 男の人だったよ!銀色の凄く長い髪で、目が青くてね! あとねー、ちっちゃな精霊も一緒だったよ!」


「へ~。銀色の長い髪の男の人も珍しいけれど、精霊も珍しいわね。ママも見てみたかったなぁ」


 そう言ってほほ笑んだ三つ編みの女性。

 ぼんやりと輪郭りんかくかすんでいき、次は小さな広場が目の前に広がる。

 カロンだ。タタタッと走って、3歳の男の子は、こちらに向かって干し草を丸めた玉をった。あたしはんできた草玉を受け止めた。


「とった! じゃあ次はあたしが…」


 勢いよく蹴った草玉は、まっすぐ飛ばず、思いがけない方へと飛んで行った。

 あっと思い、ふと見ると草玉は知らないお兄さんの手の中にあった。

 綺麗な人だった。

 銀色の長い髪に、銀色の細い剣を腰に付けた、背の高い人だ。

 お兄さんは草玉をあたしの手の上に置いてくれた。


「ありがとう!」


 何だか嬉しかった。凄く得した気分になった。

 帰ったらママに自慢しようと思った。


 次第に黒いきりが少女の姿を包みこみ、ぼんやりとした景色をも巻き込み、しずんでいく。

 深く深く。



―――

 巨大な轟音とともに巨大な地響きが都を襲った。

 しかしそれは正確な表現ではない。

 おそらくその地にいたすべての者の脳が同時に揺れたという方が正しいかもしれない。

 物理的には何も揺れなかったのだ。

 しかし、とてつもない衝撃波しょうげきはが全土を襲ったのは間違いなかった。


「おぉ……。玉座が降りてきておる」

 誰かがしわがれた声でつぶやいた。




 その日、悪政を布いた逆賊エルスザックⅠ世は神聖なる神のお告げに従うヘイゼル公により打ち取られたという。

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