2-1 連邦警察
『一週間前まで“ヒーロー”はSNSを中心に支持される都市伝説でした。しかし今、状況は一転しています。ニールセン神父、転機となった証拠について再度教えていただいても?』
『はい。私のもとに“ヒーロー”は行方不明だった孤児院の家族を連れ帰ってくれました。ええ、先日のK&K社の被害者のことです。その時K&K社の悪事の証拠を収めた小型メモリとメッセージを同封して持ってきたのです』
『どのようなメッセージだったのですか』
『“ヒーローは悪を許さない”、とだけ。このセントポールで“ヒーロー”といえば都市伝説のことですから、まさに自分が都市伝説のヒーローであると宣言したのではないでしょうか』
『悪人への宣戦布告にも聞こえますね。ドラマのようなヒーローなら心強いですが、依然正体は不明です。ニールセン神父は“ヒーロー”の姿を見ましたか』
『いいえ、残念ながら。ですが存在は確信しています。いたずらで出来るレベルを超えていますから』
『番組にも各界から“ヒーロー”に言及する声が届いています。いずれもセントポール州警察が検挙した重大事件の関係者からで、警察は“ヒーロー”の力を借りたとしか思えない、というものでした』
『今回も先程の小型メモリが役立ったようですから。私は州警察と“ヒーロー”間で協力体制を作ってもいいのではないかと思います』
『課題は多いでしょうね。“ヒーロー”は、独断で悪人を決めていますし、証拠集めの過程で犯罪を犯している可能性も指摘されています。ニールセン神父、今回NPO法人を設立されたのにはこのような背景もあるのでしょうか』
『おっしゃる通りです。平和とされるセントポールですが、K&K社のように明るみにならない犯罪が横行している以上、“ヒーロー”は必要だと痛感しました。我々のNPO法人“ラスト支援機構OSL”にはすでに三十名以上が所属しており、”ヒーロー”が罪に問われることが無いよう法的なサポートを行う一方で、“ヒーロー”が破壊せざるを得なかった公共設備についてはその修繕に取り組みます』
『OSLでは“ヒーロー”を“ラスト”と呼称していると伺いました』
『はい。現状、“ヒーロー”は固有名詞に近い使われ方をしていますが、混同防止のため便宜上命名させていただきました。今後は名称の周知にも努めます』
『なぜラストなのでしょうか。どちらかといえばファーストヒーローでは』
『最後のヒーローにしなければならないからです。我々はラストの活動を支援しますが、ラストが活躍しなくてもいい社会を望んでいます。皆様のご支援をお待ちしております』
『ニールセン神父、ありがとうございました。OSLへの加入および支援は画面に記載の番号への電話あるいはホームページへのアクセスから行ってください。さて、セントポールに現れたヒーロー“ラスト”に街からも期待や疑問の声が上がっています』
画面は街頭インタビューの映像に切り替わり、そこでぶつりと電源を切られた。
「さて何を言いたいか分かるか、バートン警部」
平静を装った、凛々しい声だった。
州警察においてセントポールを四管区に分けたうちララブーケやビクターズベイなどの中心街を含む第一管区を取り仕切る第一管区長——エドガー=シュナイダーは、にこりともせずバートン警部の回答を待った。
管区長室はBIU(刑事局特殊捜査部侵入罪捜査隊)よりも遥かに設備がいい。最上階に位置する広い個室で、部屋の外には秘書が待機しており、窓際にはなんと花が飾られている。デスクやモニター、本棚とキャビネもこれだけ大きければかなり使いやすい。シュナイダー管区長がふんぞり返って座っている椅子なんて革張りでクッション性が高く、腰痛によさそうだ。しかし足を組んでリラックスしているような姿勢であっても、シュナイダー管区長の指は何度も神経質にひじ掛けを叩いていた。
「あー……我々もウィークエンドではなくラストと呼びましょうか」
ぴたりとシュナイダー管区長の指が止まる。棒立ちのバートン警部を下から見上げる構図だが、放たれる威圧感は凄まじい。
「バートン警部、次にふざけたことを言うのであれば……」
「……警察の面目丸つぶれに見えますな」
シュナイダー管区長の苛立ちを感じて、バートン警部は軽口を引っ込めた。
K&K社の事件直後、朝の情報番組GDCにおいてヒーローニュースという新コーナーが始まった。今後もラストあるいはウィークエンドが活躍するたびに臨時コーナーとして報道するらしく、州警察はウィークエンドが居なければ検挙できなかった、と言われているも同然だった。
しかしバートン警部は全く気にしていない。個人的事情を除いてもウィークエンドによって解決できた事件が数多くあるのは事実だ。そしてウィークエンドが事件解決に貢献したことと、その過程で不法侵入や器物損壊を行ったこととは別に議論するべきであって、バートン警部は後半を担当しているというだけである。
「面目ね。そんなものは犬に食わせてしまえばいい。やり方はどうであれ重大事件の解決は誇るべきだ」
シュナイダー管区長は険しい顔で腕を組む。若い頃から厳しい表情をしていることが多かったが、眉間の皺はもう取れなくなってしまったようだ。過酷な職務に当たってきた分、深く深く刻まれている。愛想なんて欠片もなく、最近では常に不機嫌に見える。
バートン警部は古い付き合いであるシュナイダー管区長の感情なら手に取るようにわかる。ちなみに今は本当に苛ついているらしい。
「GDCからインタビューの打診をうけている」
舌打ちでもしそうな顔でシュナイダー管区長は呟いた。間違いなく不機嫌の原因はこれだ。真面目で厳格なシュナイダー管区長と視聴率一辺倒のメディア。相性が悪いことこの上ない。
「BIUの責任者として私が対応しましょうか。ご存知の通りGDCのアリシア=ポートレイとは交流があります」
アリシアの父親であるアダム=ポートレイ博士の強盗殺人事件は、バートン警部が対応した事件の中でも気分が悪いものの一つだった。残されたアリシアの事が気がかりで何度も足を運ぶうち、今では良好な関係を築いている。良好というか、協力というか。
「いや、不要だ。記者会見になりうる馬鹿げた案件だ。よって管区長以上で片付ける」
「……ありがとうございます」
バートン警部はこの男のこういうところが憎めない。生真面目で融通が利かないかと思えば、狡いところがなく自身の正義に従って行動する。
「私が憂いているのは、重大事件を州警察の力で解決出来ていないこと、そしてBIU案件が未解決になっていることだ。後半の担当である自覚は?」
鋭い視線が飛んできて、バートン警部は姿勢を正した。
「最善を尽くします」
「結構」
シュナイダー管区長は眉一つ動かさず、言い方も相まって嫌味っぽく聞こえた。小言、いや激励を伝えるためにわざわざ管区長室に呼び出したのだろうか。
「小言のためにわざわざ呼んだのか——勿論違う」
「……」
心の中を読まれていた。内心冷や汗をかきながら、バートン警部は表情に出ないよう気を付ける。それすらバレているのだろうが、シュナイダー管区長は暗澹たる空気を纏っており様子が変だった。これは大きな気がかりがあると見える。
「——BIUにウェブスター長官が来るぞ」
唸るように吐き出された言葉に、バートン警部は跳ね上がった。
「っ! 失礼します」
「任せた」
管区長室を飛び出したバートン警部を見送って、シュナイダー管区長は頭を押さえる。管区長会議に、刑事局長との打ち合わせ、GDCへの返答や記者会見の実施検討——忙しくなる。
ウェブスター長官は秘匿主義の連邦警察に所属しながら、州警察においても知名度が高い人物である。情熱的に泥臭い仕事をこなせる一方で、本質を俯瞰し冷静な判断を下せる能力は長官に抜擢されるに値する。また、整った容姿と凛々しい風貌のお陰で若い時には広報を兼任して何度かメディア露出しており、ウェブスター長官に憧れて州警察を志望した若手もいる。連邦警察と州警察はあまり仲良くないのだが、それでもウェブスター長官のファンは多い、そういう存在だ。
しかし、彼をよく知るシュナイダー管区長やバートン警部は、彼のBIU訪問を手放しに歓迎する事はできなかった。いかに厄介な人物か、身に染みているからだ。
「グッドマン君!」
バートン警部はBIUの執務室の扉を荒々しくあけて、新人巡査の姿を探した。アットホームでこじんまりした、悪く言えば閉鎖的で狭い執務室にグッドマン巡査の間抜けな声が響く。
「あ、バートン警部、お客さんっすよ」
ぐ、と喉が汚い音を立てる。
グッドマン巡査の手には、ほとんど使われたことがない来客用のミネラルウォーターのボトルがあった。まさに置こうとしていたテーブルの向こうでソファからロマンスグレーの男が立ち上がる。ウェブスター長官その人だった。
「やあバートン。連邦警察に来る気にはなったかい」
「……いいえ全く」
爽やかと褒められるウェブスター長官の笑みは、バートン警部には胡散臭く見えた。
「知り合いなんすか? 連邦警察長官と?」
二人のやり取りをみて、グッドマン巡査は目を見開く。ウェブスター長官の名前はあまりに大きい。異なる組織である州警察の一警部が知り合える人物ではない、というのはその通りだ。
「ああ! 戦友だよ。実は大学の同期でね」
ウェブスター長官は嬉しそうに笑い、
「腐れ縁だ。何度か捜査協力した程度の同僚だよ」
バートン警部はすぐさま訂正した。相手を不快にさせない距離の詰め方は、この男の常套手段である。そういえばグッドマン巡査も同じ系統だ、と思い至った頃には「へえ、仲いいんすね」「いやあ、苦楽を共にしたからねえ」と一瞬で打ち解けていた。信じられない。
バートン警部は気を取り直し、向かい合って座った。ウェブスター長官のチェック柄のお洒落なオーダースーツが質素なソファーから浮いている。
「で、連邦警察長官がこんなところに何の用ですか。用があるならあるで刑事局長への打診が欲しいものですがね」
「あっはっは、私と君の仲じゃないか。それにエドガーの許可なら取っている」
シュナイダー管区長の態度から予想するに、許可申請ではなくただの伝達だったに違いない。連邦警察と州警察は異なる組織だともっと意識してほしいところだが、それができるだけの権力がウェブスター長官にはあった。
「二件あってね。まずはK&K社の件で広域担当局と連邦警察が協力体制を敷く方針に決まったからその挨拶だ」
「へえ、ALEX関連っすか」
グッドマン巡査は純粋に感心している。しかし、そう単純な話ではない。
連邦警察と州警察は仲が悪く、必要に迫られなければ協力してこなかった。ALEXの件についてもそうだ。昔から存在する密輸組織なのだから、昔からそれぞれが捜査を進めていただろうし、あっても時々情報交換する程度だっただろう。それがここで本格的に協力して、しかもBIUにわざわざ挨拶するだろうか。しかも現場主義とはいえウェブスター長官直々に、だ。
とても嫌な予感がした。
「話を聞いたら広域担当局が持つALEXの情報の一部——特にK&K社関連はBIUから引き継がれたらしいじゃないか」
「そうっすね。今回もウィークエンドを追いかける過程で得た情報っす」
「グッドマン君!」
バートン警部は声を荒げてグッドマン巡査を窘めた。彼は連邦警察も同じ警察組織の仲間だと思っているのだろうが、機密情報は長官だからといって明かしていいわけではない。
時は遅く、ウェブスター長官の目が輝いた。
「ウィークエンド! そう、その話がしたかった。GDCのヒーローニュースは見たかね?」
「あー、アリシアちゃんのやつっすね」
グッドマン巡査が愛想よく答えたが、今度は僅かに警戒が滲んでいた。ウェブスター長官相手なら、それでも足りないくらいだ。バートン警部は静かに唇を引き結ぶ。
「どうやらそこそこ人気らしいね。私もヒーローに憧れたものだ。 ふふっ……ヒーロー、実に結構! BIUはウィークエンドを抱き込んで正式に捜査協力を仰いだらどうだね?」
「ウィークエンドの犯罪を黙認しろ、と?」
バートン警部の声が一段階低くなった。
その場合、責任はBIU——ひいては州警察が負う。連邦警察は美味しい情報だけを得られる寸法だ。
「はは、冗談だ」
白々しい笑顔を浮かべる。ちっとも冗談に聞こえなかった。そもそも連邦警察はウィークエンドの存在を認めておらず、BIUはデマに踊らされる無能集団、あるいは予算の無駄遣いだと散々指摘されてきた。それを今更。
「まあ、実は本題もそこでね、バートン警部」
呼び方だけでなく、ウェブスター長官の醸し出す雰囲気ががらりと変化した。にこやかな表情をしているのに、肌にぴり、と刺さる。
「ウィークエンドについて連邦警察でも取り扱うべきだと検討を始めたのだよ」
この場合、検討を始めた、とはいずれそうなるという意味を成す。
「BIUの保有する情報を提供してくれるね?」
固まるグッドマン巡査とバートン警部をよそに、ウェブスター長官はいそいそとミネラルウォーターを開ける。しみったれた執務室に庶民的なボトルであっても、腹が立つくらい様になる男だった。
ヒーローニュースはCMの後 朝研(早蕨薫) @asalabo0307
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