8
風が頬をなでた。その感触で、私は目を覚ます。
自動車のエンジンの音が近付いてくるのが分かる。誰かにこの状況を説明する準備をしておかないと……その前に、自分はどういう状況にあるんだろう?
寝ているんだ。……そうか、横になっているんだ。
あわてて上半身を起こした。片手はそばにいるキシムの手を握っている。
あたりは真っ白だった。白い平原の中に、私達はぽつんと置かれていた。
時計塔ばかりか、町そのものが消えてなくなってしまった。……違う。消えたんじゃなくて、塩の結晶になってしまったんだ。その残骸が、この白い平原なんだ。
脳裏に残っている、ありえた未来の残滓が、徐々にその姿を消していく。かわりに現実が私に浸透する。
永遠だと思っていた町は、消えてしまった。
「明日……来なかったな」
時計塔はたしかに町の時間に釘を打っていて、それが外れたと同時に時計塔が崩れた衝撃が町を襲った。地震に匹敵したのだろう。衝撃はぎりぎりのバランスで時を止めていた町の時間を動かし——そして、破壊した。
エンジンの音の主は、軍のトラックだった。私達に横付したかと思ったら、中から軍服の男性が降りてきた。ドライバーは車内に残っている。
「軍の衛星写真で異常を発見して来た。住人か?」
私はしばらく考えて顔をあげた。
「私とこの少年を保護してください。塩になって消えた町の、生存者です」
「どういうことだ。どうして君達だけ生き残っている」
「町中全員が塩になった中で、私達だけが塩になりませんでした。私達二人の身体を研究すれば、この塩の被害から生き残る方法が分かるかもしれません」
兵士は無線機を出して、どこかに連絡した。しばしのやりとりの後、兵士は私に向かっていった。
「ついてこい。そこの少年は部下に運ばせる」
私とキシムがどうして塩にならなかったのか、理由はいまだに分からないままだ。二人の身体を調べれば、塩の被害を避ける方法が分かるかどうかなんて、何の保証もない。はったりだ。
しかし、町が消え、その外で生きていくためには、利用できるものを利用しなければならない。
そうだ。
私達は二人で生きていく。
時間が動いた明日のその先を、二人で生きていく。
ありえた未来のことなんか、考えるものか。現実は目の前にある事実のみだ。
私は立ち上がる。
軍のトラックに向かって、一歩を踏み出す。
踏み出した足の下で、塩の結晶が音をたてた。それはかつて誰かの身体であったかもしれず、それでも私はそれを踏んで乗り越えることしかできない。
終末に向かうこの世界の中で、私達は生きていく。
止まることなんかできないし、したいと思わなかった。
だって、私達は生きているから。
だって、私達の時間は、前に進んでいるのだから。
いつかの相転移 木本雅彦 @kmtmshk
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