57 遠回り?



「どういう意味?」

「【アルルラ・ブァロ・ラテア】。たぶん……」ユキの青い瞳がじっと文字をなぞった。「あなたの道を、開くために、みたいな。でも、なんだか中途半端な題名ね」

「確かに」


 組み変わった文字を指でなぞる。すると、表紙に描かれていた金色の線が浮かび上がり、その形を見慣れた法式陣へと姿を変えた。


「法式陣になった!」

「法式陣ならアズサの【魔力アラ】がいるのかな。魔法を唱えるみたいに」


 想わず自分に向けて指をさしたアズサに、ユキは当然だと頷いた。この本の所有者はアズサだ。


 とはいえ、アズサには【魔力】を扱うことに対する自信が全くなかった。何度も法式陣を作り、法式を唱えた。その度に魔法が生み出せた試しすらなかった。

 法式陣が使えないのは、そもそも陣に問題があるのではなくて、アズサ自身の問題なのかもしれない。


「アズサは【魔力】がちゃんと扱えないかもしれない。それは致命的だけど」

「致命的」

「自分に合うやり方が大事。だから、法式の仕組みを変えるのは間違いじゃない……と思う」


 表情を暗くしたアズサの心の内を見透かすようにユキが言葉を重ねた。 


「【大いなるものテーレ】は形をもたない。だから、まずはアズサが一番、想像しやすいもので考えてみるといいのかも。形のあるものとして考えるの」


 アズサは少し躊躇いつつ、指先を浮かび上がった法式陣の【心臓ハイト】に、人差し指の先を向けた。


「ユキだったら何を想像する?」

「光。金色だったり、白かったり。アズサは何が想像しやすい?」

「……それなら、、だと思う」


 アズサの口から出たイメージは、自身でも驚くほどに、アズサの中で馴染んだ。水、水。水が流れて、留まるのだ。どこに――この法式陣の中へ。水が流れていくように。溢れてこぼれないように。ゆっくり、慎重に、少しでも無駄がないように。 

 その時、アズサには、指先と法式の間に小さな水滴が見えたような気がした。

 ゆっくりと指先から滴り落ちた水滴が、法式陣の中央から【血】の道を辿って行った。触れてもそこには無いのに目には見えている。そこには、【大いなるもの】が存在しているのだと思った。


 ポタン。耳の奥で水音が聞こえる。その数秒後、カチ、と本の中で何かが嵌る音が鳴った。


 金色の法式陣は、砂のように形を崩して消えていった。表紙の文字も消えてしまって、神秘的な光も弱まっていく。

 失敗したかもしれない。アズサはごくりと生唾を飲んで、本をじっと見つめる。本はひとりでにその表紙を開いた。


 しかし、その中身は未だ白紙だった。


「そんなあ」


 アズサは落胆に肩を落とした。上手く出来たと思ったからこそ、全身の力が抜けていくような気がした。


「やっぱり、そう簡単にはいかないよな」


 アズサは法式を書いた紙をもう片方の手にずっと握っていたことを思い出して、それを無造作に紙の上に置いた。


「ごめん、ユキ。たくさん手伝ってもらったのに……。でも、本当にユキはすごい。さっき、【魔力】を使う感覚が掴めた気がするんだ」

「……アズサ、これ、成功してるよ」

「え?」

「見て、ほら」


 目を丸くするユキの視線の先を追った。白いページの上に、アズサが放った法式陣の加工紙が――ない。アズサが書いた拙い法式陣の模様は、本の紙の上に写っているというのに、小さな四角い紙切れが消えている。


「えぇっ!?」


 黒い文字を手で擦ると、紙のザラザラとした感覚があった。その線は紛うことなく、本の紙の中に書かれている。


「まさか、僕の書いた法式陣、ここに吸い込まれたってこと!?」

「そうみたい」

「そ、そんなことが――じゃあ、もう一枚は?」


 アズサは失敗作として重ねていた紙の束から一枚取ると、ページの上に置いた。加工紙は水に溶けてなくなるように消え、残った黒い線がページに移った。

 信じられない。アズサは目を擦って、頬をつねった。痛みがある。その行動を見ていたユキが、「夢じゃないよ」と笑った。

 すると今度は、アズサの法式陣の隣に黒い染みが滲み始めた。それは一つ一つ文字を書くように進み、文章となった。


「『【灯せウルーシェ】のなりかけ』……なりかけ?」

「『初歩魔法の一つにあたるが、【リンジェ】の繋がりが正しくないため、法式を使うことは難しい』」


 淡々とユキが続きを読み進めた。


「『この法式陣を作った人は魔力が少ないようだが、これでは光を灯す前に、魔力が尽きて、命も尽きることになる』だって。次は……、『少ない魔力でも爆発力を出せるが、制御が難しい。ただし、【ルフト】を増やすか、【リンジェ】の流れの向きを中心に合わせれば、改善されるかもしれない』」


 二人は同じように目を瞬いて、顔を見合わせた。


「これ……すごい……、すごいよ!」


 信じられない。

 アズサは顔が熱くなって、興奮に胸がゾクゾクと踊るような気持ちだった。それはアズサが今、ちょうど、欲していた法式陣の答えだった。


「法式の効果を教えてくれているの?」

「効果だけじゃなくて、法式がどうなってるのか教えてくれてるみたい」


 ユキは強ばった表情で本を見つめた。悪いものはない。そう考える一方で、心の奥底に何かが引っ掛かるような言い難い気持ちがあった。


「きっとゼンさんは分かっていて、これをくれたんだ」


 アズサは両手で優しく本を包んだ。胸の奥がじんわりと温かくなる。嬉しさと安堵に、胸のつかえが少しだけ軽くなったような気がした。


「うん。……きっとそうだと思う」


 物憂げな表情を浮かべていたユキは、喜ぶアズサの横顔を見て同じように微笑んだ。


 それからアズサは『魔法仕掛けの魔法の本』――名付けて『法式手帳』を使い、法式陣について学んだ。そして、手帳について分かったことは三つあった。


 一つ目に、法式手帳はアズサの書いた法式陣の加工紙しか吸い込まず、直接何かの文字を書いても反応しなかったということ(走り書きも消えてしまう)。


 もう一つは、法式陣の上に別の法式陣を書いた紙を載せると、新しい法式陣が上書きされること(うっかり残したい陣の上に加工紙を載せると消えてしまうので注意)。


 そしても最後にこの本には、使用の制限があること。――どうやらこの本は使用者、すなわちアズサの【魔力アラ】を消費し、法式陣への答えをページに書き出しているのだ。

 アズサが本を使えるのは大抵三十分ほどだった。それ以上の時間を使おうとすると、手帳は加工紙を吸い込まなくなる。けれどもその一時間だけでも得られるものは大きかった。


 与えられた本をめくり、試行錯誤を重ねて二週間。

 そして手帳を知って一週間。

 困難はありつつも、アズサは法式の仕組みに関わる知識を布に水を吸い込ませるように得ていった。



 ◆



 最初から期待をしていなかったものほど、期待を裏切られた瞬間の衝撃は大きい。

 期待をしていなかったと言えば嘘になるとはいえ、予想を上回ったものが出てきた時、セノルの口からは声にならない笑い声がかすかに零れていった。

 

「それで法式陣を作り直したと」

「はい」


 アズサは自信を持って頷いた。


「自分で?」

「は、はい。本を見て」

 

 嘘は言っていない。けれどもその時アズサは、咄嗟に手帳の存在をセノルに隠した。

 なぜそう口をついて言ってしまったのはアズサにも分からなかった。しかしあの本は、ゼンから残された唯一無二の大切な本だ。


 一方のセノルは頬を引き攣らせ、硝子玉に光を灯してみせたアズサを見た。

 危ないことをする、と思った。そして同時に、驚きに近しい感覚を覚え、アズサの持つ能力の片鱗を見た。魔法師の見習いにすらなっていない子どもが、全ての段階を飛ばして、魔法師でさえも難しい法式陣の書き換えを行ったというのだから。


「驚いたなァ。法式陣を書き換えてくるとは思ってなかったよ」


 降参したというように肩をすくめたセノルは、だけど、と態とらしい声で言葉を続けた。


「これから全ての法式を自分用に作り直していくのか? 膨大な量だぞ?」

「そ、それは、そうですけど……」


 アズサは唇を歪めた。心なしか、首元に冷たい風が通った。

 うまく扱えないのなら、変えることのできる媒体の仕組みを変えた。今のアズサにできることを努力したつもりだった。

 しかしその一方で、セノルの言うことももっともなこと。アズサも気がついていた。

 軽く息を吐き出したセノルに、アズサは口の中に溜まった唾をこくんと飲み込んだ。


「でも、第一段階の課題をやり遂げたことは認めるよ。君は考え無しじゃなかったな。考え方も悪くない。変えられるものを変えるという見方は良い。正解だ」

「せ、せいかい?」

「ずいぶん遠回りしてるけど」

「とお……、でもそれって違うってことじゃ」

「なにも正解は一つじゃないさ! まあ予想外と言えば予想外だったけどね、はは」

 

 アズサは下に落ちかけていた顔を上げた。セノルは、それまでの軽薄さを薄めて、真摯な表情でアズサを見ていた。正解――、その率直な言葉に、満更でもない嬉しさと恥ずかしさが息を吹き返した。


「ただ、全部を法式陣頼みっていうのも限界があるし、それだと君の根っこの問題の解決にはならない。それに、まァ、ちょっとばかし危険だし、手間も掛かるし」


 アズサはウッと苦い顔をした。認めているのかいないのか、セノルの考えていることはよく分からない。振り回されでばかりだ。

 けれども最初の時に比べて、その言葉に辛辣さは感じなかった。


「方式はあくまでも媒体で、その要は使い手だ。君は陣を書く時、どうしたいと思った?」

「えっと、【魔力アラ】が少なくても使えるように、調節したり」

「そう、調節。すなわち必要な分だけを、必要なところに持っていくと」

「あ、あとは!」アズサは声を上ずらせた。「法式陣に速く【魔力アラ】が伝わるように、とか」

「なるほど速さね。法式を唱えてから魔法ができるまでの時間を短くしようってことか」


 セノルはうんうんと相槌を返して、一呼吸を置いた。

 

「君自身が【魔力アラ】を支配できるようにするんだ」


 アズサは、え、と口を開いて、「支配?」と首をかしげる。


「でも僕は【魔力アラ】がうまく扱えないって」

「おいおい。ひとに言われたから可能性はないと思ったのか?」

「それは!」


 意地悪く口角を上げたセノルに、アズサは不服な声と鋭い視線を向けた。


「そう怒るなって。いいか、今の法式陣は、たいてい万人向けに作られてる。だから数撃てば扱えるものが多いんだ。まァつまり、【魔力アラ】をただ流せば魔法が使えるってこと」


 例えばこう、と言ってセノルは硝子玉を取り出し、【灯せウルーシェ】と言い――その瞬間、硝子玉は音を立てて砕けた。イテ、とセノルは手を振り払った。


「でも、同じ法式陣を使っても、力の強さは魔法師によって異なるし」

 

 セノルはどこからともなく別の硝子玉を取り出して、先ほどと同じように唱えた。言葉の調子も、声音も、仕草も、全て同じ。しかし硝子玉は割れなかった。今にも消えてしまいそうなほど弱々しい光が、フワフワとその中で浮かんでいた。


「同じ魔法師でも、魔法は大きくも小さくもなる」

「……【魔力アラ】の扱い方が違うから」


 セノルは「そういうこと」と頷いた。


「もちろん、個人の【天音の心フィシスヤール】――【魔力アラ】がどれだけあるかにもよるけど、法式は【魔力アラ】を流すだけで出てくるものじゃない。使い手の【魔力アラ】の扱い方も大事だ。その点、君には、まァ……かぎられた【魔力アラ】を上手く使う素質がある……かもしれない。きっとね。断言はしない。でも、そこを鍛えて、それからそう、君は法式陣を書く力があるから、それを使えば」


「僕も上手く魔法が使えるようになりますか」


 セノルは、おぉ、と感嘆した気持ちを抑えて、ハッと軽く笑った。


「期待はしないほうが良い。【大いなるものテーレ】は言葉通り、存在だ。僕たちにはどうすることもできないもの。それでも――」


「やってみないと分からない」


 アズサの瞳に映る挑戦的な色に、思わずセノルは隠していた表情を表に出し、くすみのある黄色の瞳を細めた。





 






 



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碧落に君は消えゆく 藤橋峰妙 @AZUYU6049

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