第27話


「あなたのおっしゃる通り、【LABIY】に小説を投稿していた長江は、俺です。」


 一頻り笑い終え、しかし俯き加減のままの長江の言葉は、深夜のファミレスに静かに響いた。


「あなたは、サラサさんなんですね?」

「はい。」

「面接の時に、あなたの名前を見て、その後、店で働いてくれるあなたを見て、…サラサさんはきっとあなたのような方なのだろうと、思ってはいました。いや、あなたならいいのになと、思っていました。」


 長江の声は、どこまでも穏やかで優しい。

 更紗は目頭が熱くなるのを感じていた。


「…でも、…俺は、おそらくあなたの想像する『長江』ではない。…人付き合いの下手な、クズのような男ですから。」

「それは違います。」


 更紗は即座に否定した。

 途端に長江は鼻で笑う。


「いや、本当にそうなんで。…俺に期待しても、俺はあなたの期待には応えられない。」


 長江はゆっくりと顔を上げると、一度も更紗を見ないままグラスビールに手を掛けて、それを一気に飲み干した。


「ガッカリさせるだけです。…なので、この手の話はこれっきりにしてください。」


 そして長江は深く頭を下げた。


「………」


 更紗の頬を涙が伝う。


(この人は今まで、どれだけの人に傷つけられてきたんだろう。…心が、まるで厚いかさぶたに覆われてるようだわ。)


 人を信じることができない長江は、人を拒絶することでしか身を守る術を知らない。


 弱い男。

 だからこそ、ひどく愛おしかった。


「長江さん、私は長江さんが好きです。とても。」


 更紗の言葉に、頭を下げていた長江の肩がビクンと揺れる。


「貴方がどれ程の人に裏切られ、酷く傷つけられたのか、私にはわかりません。でも、私は傷まみれになりながら、マンボウに憧れながら、それでも今、生きていてくれている貴方が好きなんです。」


 長江の肩が、小刻みに震えはじめた。そしてゆっくりと片手で顔を覆った。

 更紗はそんな長江を静かに見守る。


「長江さん、私は貴方が生まれてきてくれて、出会うことができて、とても嬉しいんです。貴方のことは本当は何も知らないけど、懸命に今まで生きてこられたことは、知っています。」

「………」

「そんな貴方が私はとても愛おしいんです。だから、それだけで十分だと思うから、…裏切られたとかは思いませんよ。」


 そして更紗は零れる涙を拭うこともなく、真っ直ぐ長江だけを見つめて、改めて告げた。


「長江さん、私は貴方が好きです。」


     ※ ※ ※


 無言で立ち上がった長江は、そのまま会計を済ませ、席に戻ると、「出ましょう」と小さな声で言った。


 そして深夜のファミレスを二人は後にする。


 近くの通りでタクシーを拾い、長江は更紗を奥に乗せると、自身も乗り込み、運転手にどこかの住所を告げた。


「すみません。…このまま帰せなくて。」


 俯いたまま独り言のように漏らす長江の言葉は、車内に静かに響いた。


「大丈夫ですよ。」


 更紗は項垂れている長江の横顔に、そっと微笑みかけた。



 30分ほど走った後、小さなコーポタイプのマンスリーマンションに到着した。

 タクシーに金を払い、長江が先に下りる。次いで更紗が下りたのを確認すると、長江は歩きだした。その後についていく。


 小さなランプの灯った玄関を開けた長江が、まず更紗に入室を促した。それに従い暗い部屋の中に入ると、長江も後に続いて玄関をゆっくりと閉める。


 刹那、背後から抱きすくめられた。


「本当に、俺でいいんですか?」


 背中の、くぐもった声は震えている。

 

「長江さんがいいんです。」


 腹の辺りに回された手を、更紗がそっと撫でると、骨張った手に少し力が籠った。


 その手に触れたまま更紗は振り返り、長江の熱を帯びた瞳を見据え、


「ずっと会いたかったんです。ずっとっ」


 途端に更紗は崩れるように泣き出した。


「俺もです。」


 長江は更紗の涙を両手で拭いながら、上向かせ、ゆっくりと唇を重ねた。そして一度離れてもう一度。


 何度も交わす唇は、枯渇した心を潤すように次第に激しくなり、角度を変えては熱を貪った。


 息ができないほど強く求められ、更紗は足の力が抜けていき、力なく長江の背中に腕を回してしがみついた。甘い吐息が漏れる。


「……ぁ、」


 一瞬唇が離れ、荒い息の合間で長江が小さく笑った。


「すみません。俺、久し振りで、…加減がわからないかもしれません。」

「…構いません。…求められれば、嬉しいから。」

「すみません。」


 そして再び唇はゆっくりと重なっていった。


     ※ ※ ※


「あなたの書いた童話、読みました。」

「………感想は、言わないでください。」

「俺は、あの童話を読んで、サラサさんがやっぱり好きなんだと確信しましたよ。」

「…なら、書いてよかったです。」

「ありがとう。…俺を見つけてくれて。」

「……うん。」


 二人は乱れたベッドの上でお互いを強く抱きしめ合い、やっと眠りにつくことができた。


 白々と明ける朝の美しさを知らぬまま、二人は、ただ愛おしいだけの温もりにようやく心を満たしていった。



             了

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彷徨う海亀、死にたがりのマンボウ みーなつむたり @mutari

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